サウジアラビアのイスラム教聖地、メッカ駅に停車する「ハラマイン高速鉄道」の列車(写真:AFP=時事)

イスラム教の聖地・メッカで知られる国、サウジアラビア。同国には、2018年10月からメッカ―ジェッダ国際空港―メディナ間を移動する巡礼者らのアクセス改善を狙った「ハラマイン高速鉄道(Haramain High Speed Railway、HHR)」が走っている。

長期にわたってムスリムの巡礼などを除く外国人観光客の来訪を拒んできた同国。女性の社会参加についても厳しい制限があるが、HHRは今年初頭、同国鉄道界初の女性運転士候補の研修生募集を実施。定員の1000倍近くもの応募があり、人事担当者はうれしい悲鳴を上げたという。

サウジアラビア政府は2019年、観光目的の外国人の入国ビザ発給を開始し、巡礼者しか入れないメッカなど一部のエリアを除いて、ある程度自由に国内を巡ることが許されている。とはいえ、いまだ秘密のベールの向こう側にある感じが拭い去れないサウジアラビア。HHRと女性運転士、そして同国の鉄道の現状はどうなっているのだろうか。

巡礼者以外も自由に乗れる

HHRはメッカ―メディナ間の450kmを結び、途中にジェッダ、ジェッダ・キングアブドゥルアジーズ国際空港、そして新開発地域であるキング・アブドゥラ経済都市の3駅がある。車両はスペインのタルゴ(Talgo)製で最高時速は300km。メッカとメディナ間の移動時間は2時間20分だ。1編成の定員は417人、全部で35編成ある。

ジェッダでの暮らしが36年目という日本人女性で、サウジアラビアへの観光喚起にも尽力しているカナモリヨウコさんはHHRについて、「巡礼者の移動のためだけのものではありません。非ムスリムの外国人観光客がジェッダの国際空港に降り立った後、メディナなどへ向かう際に自由に乗れます」と語る。

誤って観光客がメッカ行きの列車に乗ってしまうようなことはあり得るのか?カナモリさんに尋ねると「メッカに入り込んだら、もう改宗するしかないですね」と笑って答えるが、巡礼者向けのメッカ発着の列車と、外国人が入れる行先への列車はまったく別仕立てで運行されている。

サウジアラビアでは、かつて女性の社会参加が”絶望的”とも言えるほどに不可能だった。一般商店の店員さえもすべてが男性で、「女性が下着を買うにも、男性にお金を払って商品を受け取る」という状況だったという。筆者は2012年に開催されたロンドン五輪の際、サウジアラビア初の女子五輪代表が柔道選手として戦う姿を会場で目にした。結果はもとより、競技終了後には女子選手の声を直接聞こうと各国のメディアが殺到したのだが、結局マイクを通じて聞く声は男性コーチによるものだった。

同国では長きにわたって、女性だけでの外出も禁止されてきた。だが、2018年には自動車運転が解禁、2019年には男性保護者の許可がなくてもパスポートを取得したり、海外渡航したりすることが合法化された。

そんな中、同国の鉄道専門学校は今年1月、女性だけを対象にHHRの運転士候補を募集する大英断を行った。何十年もの間、列車の運転士は男性が就く職業と見なされ、女性が入る余地がなかった。つまり”タブーを打ち破るプロジェクト”として国内では注目を浴びた。

志願者はなんと約2万8000人

研修生枠は30人で、年齢は22歳から30歳。枠に残れば、HHRの運行を受け持つスペイン国鉄の現地子会社Renfe KSAに雇用される形となる。医療保険や社会保険が完備、研修期間中も月給4000サウジアラビア・リヤル(約14万円)が支給される。そして、研修を修了しサウジアラビア鉄道に就職すると、最高で月給8000サウジアラビア・リヤルを支給するともうたわれている。


メッカ―メディナ間を結ぶハラマイン高速鉄道。車両はスペイン・タルゴ製だ(写真:Courtesy of Talgo)

わずか10日余りの募集期間中、集まった志願者はなんと2万8000人にものぼった。募集を担当した鉄道専門学校の幹部は「高い英語力や高校卒業時の高い成績を求めたにもかかわらず、こんなにも集まった」と喜びを隠さない。志願者はオンラインによる審査でおよそ半分の1万4000人に絞り、さらに試験と個人面接を通じて研修生候補者を決定した。

研修は3月から開始し、HHRが保有するオペレーションセンターの施設でRenfeのスタッフによるレクチャーが行われている。現在、HHRでは55人のサウジアラビア人運転士が働いており、さらに48人が研修中。ここに女性運転士候補が加わることになる。

サウジアラビア統計総局によると、同国の労働人口における女性の参加率は、2016年の19%から2020年末には33%に上昇し、女性の労働力参加という目標を10年前倒しで達成したという。目下、世界経済フォーラム(WEF)の「ジェンダー・ギャップ指数2021」でサウジアラビアは156カ国中147位となっているが、この順位も徐々に上がっていくことだろう。ちなみに日本は同指数で120位と、G7はもとより”先進国の中で最低”となっている。

女性がこれまで鉄道の運転士に就くことができなかったサウジアラビアならではの例として、こんなケースがある。


プリンセス・ヌーラ・ビント・アブドゥル・ラーマン大学内を走る自動運転鉄道(写真:日立製作所)

リヤドに、プリンセス・ヌーラ・ビント・アブドゥル・ラーマン大学(PNU)という女子大学がある。学生数は6万人、キャンパスの面積は1300ヘクタールあり、これは東京ドームのおよそ280倍の広さだ。キャンパスが広すぎるため、校舎間などの移動に乗り物が必要ということになり、全長11.5km、途中駅が14もある自動運転メトロシステムが走っている。

自動運転を導入した理由として、現地では「女性には運転士をさせられないが、男性を女子大キャンパスに入れるのは不適当」という判断があったから、とも言われている。同メトロの運営は、日立製作所鉄道システム事業グループ会社の日立レール社が担当。同社の資料によると、PNU校内を走るこの路線は2011年5月に完成、1編成の定員は110人、22編成が最高時速60kmで運行し、毎日およそ6万人の学生の校内移動の足となっている。

6カ国を結ぶ新鉄道計画も

サウジアラビアの鉄道の歴史をひもとくと、20世紀初頭にダマスカス(現在のシリア)からヨルダン領内を通り、アラビア半島北西部を通ってメディナまで至っていた「ヒジャーズ鉄道(Hejaz Railway)」という路線に行き着く。


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当時のオスマン帝国が1900年に建設を開始、1908年には完成した同鉄道の総延長は1300km超。メディナへの巡礼客を運ぶのに大いに重宝されたが、最終的にメディナからメッカへ向けての敷設が終わらないうちに、第一次世界大戦中に徹底的な破壊に遭う。この破壊に関するエピソードを題材にしたのが、往年の映画『アラビアのロレンス』だ。ロレンスとはトーマス・エドワード・ロレンスという実在した男性で、ゲリラ部隊を率いて、ヒジャーズ鉄道を徹底的に破壊した。

こうした経緯もあって、サウジアラビアの人々にとってメディナ―ジェッダ―メッカ間の高速鉄道は長年の夢がようやく実現したともいえる。

つい数年前まで観光客さえも拒んできたサウジアラビアだが、今後はHHRだけでなく、東海岸に「ガルフ鉄道」なる新規路線が計画されている。これは、アラブ湾岸協力会議 (GCC) メンバーの6カ国を結ぶもので、サウジアラビアとクウェート、カタール、バーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーンをつなぐ足となる。

新しい鉄道が生まれる際には、それに従事するスタッフに女性を登用する機会もさらに増えるだろう。イスラム文化に育まれたユニフォームをまとった女性鉄道員たちが働く姿がより多く見られる日が来ることを楽しみに待ちたい。

(さかい もとみ : 在英ジャーナリスト)