「日本一長い踏切」は多摩地区にあった 長すぎて途中には小休止用の“小島”も
2009年5月末まで、「日本一長い」とされる踏切が拝島駅の東側にありました。JR青梅線や西武拝島線のほか、横田基地へ向かう線路も跨ぐため長さは約130m。ただ安全確保のため自由通路が設置されても、踏切を利用する人が多くいました。
3路線+αを跨ぐ踏切 総延長は128m
「日本一距離が長い踏切」はどこにあるでしょうか。幹線のほか複数の路線が並行して走る、例えばJR東海道本線や山陽本線などの踏切が想起されるかもしれません。
ところが2009(平成21)年5月末まで、「日本一距離が長い」とされた踏切は東京の多摩地域にありました。拝島駅(昭島市)の東側にあった「市道北143号踏切」です。意外かもしれませんが、なぜ距離が長かったのか、そのワケを振り返ってみます。
「日本一長い踏切」こと市道北143号踏切を北側から見た風景。西武鉄道の黄色い電車が行き来する(2009年4月、小川裕夫撮影)。
拝島駅はJR青梅線・五日市線・八高線のほか、西武拝島線が乗り入れるターミナル駅です。脇にあった踏切はこのうち、青梅線、八高線、拝島線と、在日米軍横田基地へ向かう線路を跨ぎます。いくつかの引込線もあるため、路線の数以上に線路がありました。また、JRと西武鉄道の線路が離れている地理的な要因もあって、踏切道の長さは約128m。そのため、「日本一長い踏切」とも呼ばれていたのです。
これだけ長いと、当然ながら高齢者や子供連れなどが1回で踏切を渡りきるのは難しいでしょう。そのため、JRと西武鉄道の線路の間には、小休止できるようなスペースが設けられていました。落ち着いて、何回かに分けて渡ることが推奨されていたのです。
ただ、待避スペースがあっても、警報音が鳴り始めると慌てて渡ろうとするのが人間の心理です。そのため、危険な事故はしばしば起き、事故防止の観点から拝島駅構内に自由通路を設けることになりました。
当初は「踏切の方が良かった」との声も なぜ?
2007(平成19)年8月、駅の改修に合わせ構内に自由通路が開通。しかし「踏切の方が使いやすい」という声が周辺住民から上がりました。自由通路には階段しかなかったからです。
踏切の途中にある待避スペース。正面に見える大規模団地の住民も、同踏切を頻繁に利用していたようだ(2009年4月、小川裕夫撮影)。
また時間帯により、自由通路は多くの人で混雑します。歩行がおぼつかない高齢者などにとって、混雑した空間は他人とぶつかるリスクが高くなります。先述の子供連れに加えベビーカーを押す人、さらには自転車の人たちからも、利用しづらいという声が聞かれました。
実際に、自由通路の開通後も2年近く、踏切が廃止されるまで多くの人たちは踏切を利用していました。ただでさえ人は駅まで迂回するのが面倒くさいと感じがちなうえ、そこに階段があっては利用を阻むものです。
自由通路にエレベーターが設置されたのは2009年5月末。同時に踏切は閉鎖されました。バリアフリー化も考慮されたわけですが、エレベーターは一度に複数台の自転車を乗せられる大きさです。
踏切が事故発生リスクの高い場所であることは否定できません。その解決策として、跨線橋・地下道・自由通路などが整備されることも時代の流れです。代替手段が設けられ人流が生まれることで、街の分断は一定程度解消されます。
拝島駅の事例では、閉鎖という形であれ踏切も解消されました。事故リスクの低減も相まって、地元自治体や周辺住民、鉄道事業者の3者にメリットが生まれたといえそうです。