これまでの民間航空界で超音速旅客機は、たった2機種しかありません。かの有名な「コンコルド」、そして「コンコルド・スキー」と揶揄されたソ連のTu-144です。このTu-144はどのような機体だったのでしょうか。

「コンコルド」よりは少し大型?

 2022年現在アメリカでは、スタートアップのブームテクノロシー社が超音速旅客機「オーバーチュア(Overture)」を開発しています。現状、民間人が超音速飛行を体験するには、軍関係者でもない限りは(それでもほぼ無理かもしれませんが)、巨大な金額を支払って、宇宙へ行く際に音速を超えることしか方法がありませんが、今後、これが変わるかもしれません。

 これまでの民間航空界で曲がりなりにも水平飛行中に巡航速度で音速を超え、営業運航に就いた旅客機(SST)はたった2機種のみ。一つは、かの英仏共同開発の「コンコルド(コンコード)」、それに先駆け世界最初の超音速飛行を成し遂げた旧ソビエト連邦(ロシア)のツポレフ社が開発した「Tu-144」です。これ以外に“超音速旅客機”はなく、航空大国アメリカでさえ計画こそいくつかもち上がれど、実現していないのです。


ツポレフTu-144(画像:NASA)。

 Tu-144はコンコルドより胴体が太く、全長もコンコルドの約61.7 mより4mほど長い65.7mと、ひと回り大きな機体です。ただ同年代にデビューし、ぱっと見たところ、スタイルがあまりにもコンコルドそっくりなために、東西冷戦下の西側諸国(アメリカ側)から皮肉を込めて「コンコルド・スキー」と呼ばれたこともありました。

 当時のソ連は航空に限らず、各分野で(西側諸国を上回って)世界一を目指していました。超音速旅客機開発も、そのソ連の国家的プロジェクトの一環として、同国の老舗航空機メーカーであるツポレフ社に開発を迫ったのでしょう。また、開発に成功すれば、軍用化も視野に入れていたのかもしれません。

 このコンコルド・スキーことTu-144は、サイズがコンコルドより大きいほかにも、その設計に違いがあります。

「コンコルド・スキー」、コンコルドとどう違う?

 ソ連のTu-144とコンコルドとの大きな違いとして、Tu-144は機首の上下の操縦をより効率的にできるよう、機首の左右に「カナール(カナード)」と呼ばれる折り畳み式の先翼が装備されていることが挙げられます。カナールは離着陸時に動翼となって展開され、これが「コンコルド・スキー」と呼ばれたTu-144の大きな特徴となっていました。

 一方で、主翼の形状は2機種ともに前後に長いふたつの三角形を、前後方向に組み合わせた「ダブルデルタ翼」の後退角を緩やかにした「オージー翼」を採用。超音速飛行に移る際、機首から後方へ延びる「マッハ・コーン」という形状で衝撃波を発生させることから、この翼型は、強度を最優先させた結果ともいえるでしょう。


ライバル機である「コンコルド」(乗りものニュース編集部撮影)。

 なお旧ソ連では、ツポレフ設計局の他に、大型機の開発の実績のあるミャシチョフ設計局も超音速旅客機の開発にあたったようですが、実機の完成には至らなかったようです。

 ソ連のコンコルドへの対抗心を示すがごとく、Tu-144はコンコルドより先んじて、「世界初」の記録を次々と打ちたてます。1968(昭和43)年12月31日、Tu-144はコンコルドより3か月早く初飛行。翌1969(昭和44)年6月には、民間機として世界初となるマッハ2を超える超音速飛行に成功。貨物便として、世界初の超音速輸送機の称号も持っています。

 ただ、Tu-144を“超音速旅客機=SST”と定義していいのか――というと、正直微妙なところです。確かに旅客を乗せたことはあるのですが、ほとんどのフライトは貨物便としてであり、旅客機としての就航はコンコルドが先です。旅客機としての飛行回数も100回程度に留まります。

運航終了後のTu-144、異色の転身へ

 Tu-144は旧ソ連の広告塔となるべく開発されましたが、結局、パリ・エア・ショーなどで2機が事故損失。実際の運航期間も1975(昭和50)年から3年ほどでした。「コンコルド」が英仏の威信をかけて、時間と手間をかけて開発、維持した結果、長く使用されたのに対し、Tu-144はそれには全く及ばない結果に終わりました。

 ただ、運航を終えたTu-144はその後、謎の転身を遂げることになります。1990年代にNASA(アメリカ航空宇宙局)がTu-144を引き取り改造し、次世代の超音速旅客機研究用のテスト機としたのです。NASAは「1990年初頭にツポレフ側から試験機として利用できると提案があった」としています。


NASA時代のTu-144(画像:NASA)。

 ある意味“東西冷戦”そして“ソ連”の終結を象徴するような「NASAのツポレフ機」は、Tu-144LL(LLはロシア語で飛行実験室を意味するそう)としてロシア国内で27回の飛行を実施するも、その後資金を投入できなくなり、計画中止となりました。さらにその後、同機はオンライン・オークションで販売されましたが、成立しなかったとか。

 現在、世界にはTu-144を見学できる博物館があります。ロシアのモニノ中央空軍博物館のほか、ドイツのジンスハイム自動車&技術博物館にはTu-144だけでなくコンコルドなども存在するようで、筆者も是非ともこの眼で見たいと思っています。

 ちなみに先述の通り、Tu-144はコンコルド・スキーの名称があまりに広まっていますが、当時、東西冷戦下の西側諸国は、対立する共産圏の旧ソ連機にNATO(北大西洋条約機構)コード・ネームを付けており、Tu-144には輸送機の分類から充電器を意味する「Charger(チャージャー)」と名付けています。

※一部修正しました(1月12日17時15分)。

【映像】時代を感じる! 「コンコルドスキー」の機内へ