「いかめし」ついに丼になる 発売80年 不動のNo.1駅弁を守る3代目の挑戦
2022年1月に京王百貨店新宿店で開催される「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で、北海道・森駅の駅弁「いかめし」が丼になって登場します。発売から80年が経つ「いかめし」、その人気の秘訣と新たな展開を3代目社長に聞きました。
80年の「いかめし」史上初! 新作の“どんぶり駅弁”を食す
全国各地の駅弁フェアや物産品展で、独特のイラストが入った赤いパッケージの「いかめし」をよく見かけます。スルメイカの中に餅米・うるち米を入れて大鍋で煮込む「いかめし」は、函館本線・森駅の駅弁として1941(昭和16)年に発売され、80年も愛されているロングセラーです。
その名を広く知られたきっかけといえば、京王百貨店新宿店で開かれている「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」(以下、駅弁大会)でしょう。1966(昭和41)年から開催されているこの大会で、製造・販売を担う「いかめし阿部商店」は唯一、第1回から実演販売で参加しています。1971(昭和46)年から会期中の販売数1位を50回連続で保ち続け、2021年には史上初の“殿堂入り”を果たしました。
そして2022年の第57回大会では、「いかめし」史上初めての“どんぶりモノ”として登場した「3代目のいかめしde丼!」が話題となっています。
「いかめし」(右)と「3代目のいかめしde丼!」。2022年1月7日から始まった京王百貨店「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で(宮武和多哉撮影)。
この丼は、いかめしのタレで炊いた炊き込みご飯の上に、煮込んだイカを2ハイ、アスパラガス、じゃがいも、プチトマトをのせ、そしてチーズで大胆な洋風アレンジを施しています。醤油味のいかめしのタレとチーズは驚くほど相性がよく、互いの旨みがしっかり噛み合い、添えられている野菜もちょうど良いアクセントに。食べ合わせの楽しみ詰まった一杯です。
今回の大会では限定300食で発売されている「いかめしde丼!」ですが、昨年から始まった「店頭お取り置き」(会場に入らず2階窓口で時間を分散して受け取り可能)での受け取り枠も早々にほぼ埋まり、毎年のように駅弁大会へ行っている人からも「まずこれは食べてみたい」との声もあり、注目度の高さが伺えます。
発売から80年、ここまで支持を集めるようになった「いかめし」の歴史と、3代目社長に代替わりしたばかりの現在の状況を紐解いてみましょう。
コメ不足から始まった「いかめし」駅弁大会から全国区へ
現在の函館本線 森駅の開業(1903年)とともに営業を開始した阿部商店が「いかめし」を発売したのは、第二次世界大戦中のこと。食料不足が深刻になる中、駅の目の前に広がる内浦湾で多量に獲れるスルメイカに米を入れて煮ることで、当時勧められていた“節米”(コメを節約する運動)にもなり、かつ腹持ちもよい一品として評判を呼んだといいます。なお同じように内浦湾に近い函館本線 長万部駅でも、米不足で弁当などが作れなくなったという事情から、茹で蟹1パイ丸ごとの販売をはじめ、後の「かにめし」開発につながっています。
「いかめし」は戦後も長らく森駅のホームで販売され、繁忙期にはホームに多くの売り子が立ち、地元高校生の格好のアルバイト先ともなっていたそうです。しかしに急行列車が停車しなくなると駅での売り上げは激減。販売の中心は、徐々に全国での催事や駅弁大会に移り、京王百貨店での実績もあって出店の要請は激増していきます。9月から翌年春にかけての催事シーズンは、多い時で10チームほどに分かれて全国のデパート・イベントなどへ飛び回っていたそうです。
それは今も変わらず、阿部商店の売り上げのほとんどは催事での実演販売によるものです。同社のウェブサイトには京王百貨店のあとも、阪神百貨店梅田店、鶴屋熊本店など10か所ものスケジュールが掲載されています。毎年出店する場所も多く、楽しみにされているファンの方が各地で根付いていることが伺えます。
“森のいかめし”といえばこのパッケージ(宮武和多哉撮影)。
そうしたなか、同社の近年の悩みどころが、原材料となるスルメイカの不漁。国内の漁獲高が減少した後は、煮込んだ後も味の柔らかさを保てるニュージーランド産に変更していましたが、2011(平成23)年に同国で発生したカンタベリー地震後はこちらも不漁が続き、現在はアルゼンチンなど広い地域で調達先を確保しているのだとか。そのため価格は2014年に580円から650円、2017年に780円と上げせざるを得なくなり、2021年には大口の物流ルートを持つ水産会社と提携することで、「いかめし」の原材料調達につなげています。
子供の頃から「いかめし」一筋!3代目社長が変えるもの、守るもの
そして2020年5月、いかめし阿部商店の3代目として、現在の今井麻椰社長へのトップ交代が行われました。今井社長は小学生の頃からいかめしのホーム立売りに携わり、就任前にもアメリカでの実演販売で、いかめしへの馴染みがないLA、ニュージャージー、サンノゼなどを回ったという貴重な体験をしています。また就任前にはTVキャスターなどの経験もあり、今もプロバスケットボールBリーグの配信「バスケットLIVE」のリポーターを社長業と兼任するなど、「魅力を伝える」ことにとても長けている方です。
しかし社長交代までの数年の間は、先述した食材のコスト高や職人の高齢化が進むなど、会社としてはとても厳しい状態にあり、現社長の父で先代の今井俊治社長の時代には、会社を手放す選択肢もあったそうです。駅弁業界そのものも業者の数が減り続け、同じ北海道では、百貨店での出店も多かった名寄駅弁・角館商会が2009(平成21)年に廃業するなど、家族経営の代替わりの難しさも各地で浮き彫りとなっていました。
その中で「自分が引き継ぐ」との強い要望もあって発足した麻椰社長の新体制でしたが、そのタイミングは折悪く、7週間にも及ぶ緊急事態宣言が発令されていた最中のこと。駅に人影はまばらで、各社横断で行われていた駅弁誕生135周年記念のキャンペーンで限定発売していた同社の新商品の売れ行きも、期待していたものと大きく違ったといいます。その中でも今井社長は「既に決まっていることだったので、もうやるしかない」と決意を新たに、経営者としての世界に飛び込んたといいます。
実演ブースに貼られているポスター(宮武和多哉撮影)。
その後もコロナ禍は収束することなく、デパートでの催事も次々と中止に。開催された催事も以前のような活気はなく、2022年1月現在でも、全盛期の半分にあたる5チームほど全国を回れる程度にしか売上も回復していないのだとか。
その中でも麻椰社長は、この1年で函館空港の空弁、もうひとつの顔であるレポーターとしてのつながりからBリーグ試合会場でのいかめし販売、いかめしのおかき・ポテトチップス展開など、これまでにとどまらないルートを開拓し続けています。
初の「丼」に賭ける意気込み
今井麻椰社長によると、今回は「いかめし」販売数1位の50回達成と“殿堂入り”を記念して、京王百貨店からの持ち掛けによって、「3代目のいかめしde丼!」の開発・発売に至ったそうです。この大会では毎年の恒例として、陶器の特製丼鉢に入れた駅弁が限定発売されていますが、その中でも“元祖 森 名物 いかめし”の文字・マークが側面に入った真っ赤な記念丼は存在感を放っています。
この「いかめしde丼」は、今回の目玉企画「人気駅弁屋・新作弁当の競演」の一角として、いわき駅弁・小名浜美食ホテル、仙台駅弁・こばやしとともに話題を呼んでいます。
一方、80年来のいかめしについては今後も変えないといいます。食材のコンディションに合わせてタレの配合を変えて大鍋で煮込むため、少しづつ味が違ってくる多様さもそのまま。だからこそ、長年買い求め続けるリピーターも多いのではないでしょうか。
現在ではレトルトのいかめしも発売されていますが、先代の社長も以前に「レトルトと実演の『いかめし』は別のもの」と話していました。麻椰社長も「その味と見た目は守りたい」といいます。もし近くに出店があれば、バスケのパスワークを見るかのようなチームワークで作られた実演販売で、いかめしをテイクアウトしていただきたいものです。