「20代30代が逃げていく」観光都市世界一・京都が陥った"破産危機"の真実
■古都に走った激震
「10年以内に財政が破綻(はたん)しかねない」
門川大作京都市長のこの一言が全国ニュースとなって駆け巡った。2020年から続くコロナの影響、繰り返される緊急事態宣言の発出は、京都の観光業界にかつてない試練をもたらした。
2020年には米国の大手旅行誌『コンデ・ナスト・トラベラー』が発表した世界人気都市ランキングで、京都は初の1位に選ばれた。だが、観光寺院は閑古鳥が鳴き、往年の京都の見る影もない。
そのせいもあってか、「観光客が来なくなり京都市財政は苦境に陥っている」と一般に解釈されがちだが、まったくそうではない。
実は、京都で本当に深刻な問題は観光ではなく、「財政」と「人口」だ。都市の根幹が揺らぎ始めているのである。
確かに観光業は大変だ。お盆の最中、銀閣寺門前を訪れたが、開いている店はたったの3軒、すれちがった観光客はわずか数人……。清水寺門前も伏見稲荷門前も同じような光景が広がっていた。
ただ、観光客の減少は一過性にすぎず、コロナの収束とともに昔の京都の姿を取り戻すことだろう。
一方、著(いちじる)しい財政悪化と人口減少は、コロナ収束後もすぐに歯止めをかけることができるはずもなく、改善は至難の業だ。
■「観光客では潤わない」京都市財政
まず、申し上げておかねばならないのは、財政が厳しくなったのは観光のせいではないということだ。
まず、市税の主たる収入は固定資産税と市民税であり、観光客が来ても市自体はあまり潤わない。また、寺社仏閣や大学が多く、固定資産税が少ないから財政が厳しいというのも誤った見方である。なぜなら他都市よりも収入が少ない分は、原則国が補塡(ほてん)する制度になっているからだ。
過剰投資と甘い見通しで作られた地下鉄建設時の負債が大きいという問題はある。しかし、高金利で借り入れをしていた平成時代のほうがはるかに財政負担は大きく、借り換えをしたいまはずいぶん楽になっている。
■財政破綻危機を招いた「3つのツケ」
では、なぜいま、財政破綻なのか。
1点目は、コロナ禍(か)で予定外の歳出増と歳入減で財政が悪化している。ただ、京都だけでなく、全国の自治体が同様の事態に見舞われていることは言うまでもない。
2点目は、長年の過剰サービスで歳出超過が続いていた。それも市民が知らないまま、全国最高水準の福祉サービスを提供し、全国屈指の高給を職員に与えてきたのである。
3点目は、歳出超過を補うために、ありとあらゆる貯金を使い、揚げ句に借金の返済積立金(減債基金)をも使って無理やり決算を黒字化させてきた。
これらのツケがいよいよ表に出たわけだ。
「このままでは破綻する」と言いながら、京都市が新たに出した財政計画は、再建でなく延命する(令和7年の破綻を同15年まで延命)という笑えないものだった。人件費は1%カットにとどめ、市民サービスをカットして延命を実行するという。
京都市の財政が悪化したのはこの10年のことだが、14年にわたり市政の舵(かじ)取りをしてきたトップの責任が重いのは当然だ。だが、それ以上に、この期に及んでもなお破綻に向けたカウントダウンを止められないというところに、この問題の根深さがある。
■日本一人が去る街・京都
もうひとつの課題は人口減少だ。2020年、京都市は人口が8982人減少し、人口増減数が全国ワースト1位となった。同時に社会増減もワースト1位である。ちなみに、増減率のワースト1は夕張市だ。つまり、京都市は「日本一たくさんの人が去っていく街」になったということだ。
こちらは財政難とは違い、京都市の観光と密に関連している。
2015年、京都市は「2020年には4万室の客室が必要だ」という試算を発表し、門川大作京都市長は記者会見で「客室があと1万室足りない」と発言した。自治体のトップが供給不足を明確に表明したことに加え、当時すでに始まっていた東京オリンピック特需を見込んだホテル建設、民泊ブームがそれを後押しし、空前の「お宿バブル」が始まった。
2015年に施設数1228軒、客室数2万9786室だった宿泊施設は、以下のように右肩上がりで増え続け、たった5年間で客室数は倍増した。
2016年2043軒/3万3887室
2017年2866軒/3万8419室
2018年3614軒/4万6147室
2019年3993軒/5万3417室
2020年3783軒/5万6183室
京都市の積極的なホテル誘致は、自治体財産にも及び、元植柳小学校跡地はデュシタニ、元清水小学校跡地はNTT都市開発、元立誠小学校跡地はヒューリック、元白川小学校跡地は東急ホテルズ、中央市場敷地の一部もホテルに転用することを条件に容積率の緩和を行うなど、行政総出でホテル誘致に奔走した。
世界遺産の二条城前の民間マンション建設予定地にいたっては、京都市が強いホテル誘致の意向を示し、デベロッパーはマンション建設を諦めさせられるという事態にまで発展している。
結果、当初4万室の供給を掲げていた京都市だが、わずか2年足らずで目標を達成。政策目標がここまでみごとに行政の舵取りで成功するのも珍しいだろう。
■街のあちこちで起こった「異変」
しかし、その頃すでに街のあちこちで京都を蝕(むしば)む異変が起きていた。
中心市街地のワンルームマンションのオーナーは住人に立ち退きを迫り、簡易宿所へ用途変更した。また、東山の八坂神社そばの30坪の京町屋は3000万円で売却されたあと、転売を繰り返し、最終的に1億2000万円で売却された。住居に比べてはるかに高利回りな宿泊施設経営に莫大な「投機マネー」が流れ込んでいったのである。
一方で、街中の住宅供給は極端に低下した。2017年マンション供給は前年の3分の1に落ち込み、中京区では例年300〜600戸で推移していた供給量は41戸にまで落ち込んだ。需給バランスの歪みにより、供給される希少なマンションは一般人が買える値段ではなくなっていった。
一方、「お宿バブル」で増加したホテルの稼働率は2015年の89%をピークに下がり続けていた。コロナ禍に見舞われた2020年4月は5%、2021年4月は20%だ。
■30代の流出が都市を弱体化させていく
その頃から京都市の人口動態にも異変が生じてきた。京都府下との転入転出の数値が、2016年を境に転入超過から転出超過に転じたのである。当時市議だった私は“異常な事態”を前に、「これはベネチアやバルセロナで起きている観光公害と酷似している」と危機感を覚えた。
そこで2017年、まだ客室数4万室の目標を達成していない時期ではあったが、議会で市長に「ホテル充足宣言」をするよう迫った。しかし市長の答えは、「まだホテルは足りない」というもので、2019年5月に「ホテル充足宣言」が発せられるまで事態は悪化の一途をたどった。
ホテルが住民を駆逐するという観光公害の代表的事象が、この京都でも進んだ。
京都市の人口動態には特徴がある。20代と30代という若者の転出超過が止まらないのだ。20代は大学を卒業して就職で東京、大阪へ流出する。30代は住宅価格が高いため、周辺都市へ流出する。
20代の流出については、人口の1割を大学生が占める京都独特の特徴であるため、一定数はやむを得ない面もある。しかし、30代の流出は、少子化をさらに進行させ、納税義務者を失うことで税収にも悪影響は必至。さらに、街そのものが活力を失うという「三重苦」に見舞われる。
この30代の流出問題は、人口減少の中で最も深刻な課題のひとつとされている。そこで、各自治体は積極的な誘致に動いている。ところが京都市では、「流動人口8人で定住人口1人分の消費に匹敵する」と豪語し、観光優先の政策を改めようとしなかった。
その結果、周辺の長岡京市、向日市は全国屈指の人口増加を達成する一方で、京都市は2020年に人口減少数で日本一という自治体に成り下がってしまったのだ。
■「強み」を生かせるか
京都は、このまま沈みゆくのだろうか?
復活の芽がないわけではない。財政再建についていえば、やりきるには相当の返り血を浴びるトップの覚悟が必要だが、他都市並みの水準まで人件費やサービスレベルを引き下げれば、実はある程度めどが立つ。人口減少対策は、地価を安定させることが求められるが、定住促進戦略でいえば、京都は他都市に比べて優位なポジションにある。
転勤などを除き、人は知らない都市、訪れたことのない都市に引っ越したりはしない。そのため、全国の自治体が進める定住促進対策は、まずは知ってもらい、その町のファンを増やそうと「まず一度わが町を訪れてください」となる。流動人口(来訪者)や応援人口を増やすというのが基本戦略なのだ。
その点、京都市の場合は恵まれている。
京都を知らない人はまずいない。そして、多くの日本人が訪れたことがあり、京都の持つブランド力に憧れを持つ方も多い。意外に語られないが、観光は定住促進の突破口にもなるわけだ。
こうした素地を生かし、定住促進政策を積極的に展開すれば、他都市に比べ優位に進められることは間違いない。
■過去の遺産に胡坐をかいた結果…
政令指定都市の中では沈下傾向にあるとはいえ、任天堂や京セラ、日本電産などに代表されるように、日本有数の企業も多く、恵まれた条件がそろっている。歴史都市・京都の観光資源もブランド力も健在だ。これらのことを考慮すれば、復活に必要な素材は十分すぎるほどある。本来ならば。
ところが、京都では「過去の遺産に胡坐(あぐら)をかいてきた」という街の声を聞くことが多い。まさしく、これが京都市凋落(ちょうらく)の真因といえるかもしれない。
財務処理手法の問題、過剰投資、人口減などの社会変化に対応できず、かつて夕張市は破綻した。すべては当時の政治判断の誤りによるものだった。現在の京都市は、夕張破綻から何も学んでいないと言うほかない。
しかし、政治判断のミスで追い詰められたこの状況を乗り越えるのも、また政治判断でしかない。トップのリーダーシップが強く問われている。
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村山 祥栄(むらやま・しょうえい)
前京都市議会議員
1978年、京都府に生まれる。15歳のとき、政治に命をかけず保身に走る政治家の姿に憤りを覚え、政治家を志す。衆議院議員秘書、リクルート(現リクルートホールディングス)勤務を経て、25歳の最年少で京都市議に初当選。唯一の無所属議員として、同和問題をはじめ京都のタブーに切り込む。変わらない市政を前に義憤に駆られ、市議を辞職。30歳で市長選へ挑戦するも惜敗。大学講師など浪人時代を経て、地域政党・京都党結党。党代表を経て、2020年に再び市長選へ挑むも敗れる。主な著書には『京都・同和「裏」行政』『地方を食いつぶす「税金フリーライダー」の正体』(以上、講談社+α新書)、『京都が観光で滅びる日』(ワニブックスPLUS新書)などがある。
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(前京都市議会議員 村山 祥栄)