日本と清王朝は、近代の歴史においてほぼ同じ時期に開国して西洋化を進めた。日本が急速に発展して列強の仲間入りを果たしたのに対し、清は日本のような発展には至らなかった。(イメージ写真提供:123RF)

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 日本と清王朝は、近代の歴史においてほぼ同じ時期に開国して西洋化を進めた。日本が急速に発展して列強の仲間入りを果たしたのに対し、清は日本のような発展には至らなかった。中国メディアの快資訊はこのほど、「日本はなぜ貧しく遅れた国だったのに台頭できたのか」と題する記事を掲載した。3つの要因が考えられるという。

 記事が挙げた1つ目の要因は「権力が集中しておらず均衡していたこと」だ。記事は、江戸時代の日本では、天皇が最高位にあったが実権はなく、幕府と各藩がそれぞれに力を持っていたと紹介した。これが、後の「討幕運動」の基礎となっており、天皇を擁した側が勝利者となったため、改革がスムーズに行われたと分析している。

 2つ目は「教育」だ。日本では江戸時代に「寺子屋」があり、すでにかなりの識字率に達していたと紹介した。記事によると、当時の中国の識字率が約4%だったころに日本は約40%だったという。明治維新後は学校教育が普及し、あっという間に90%以上の識字率になったと驚きをもって伝えている。この教育の基礎があったので、優秀な人材や労働者を輩出できたと説明した。

 3つ目は「工業化を徹底して推進したこと」だ。明治維新後は、「脱亜入欧」を目指して西洋化を進め、積極的に西洋の設備や機械を導入したと伝えた。そして、政府も長期的な発展のために多くの企業を民営化して競争力を高めたとしている。

 最後に、日本がこのような努力をしている時に、当時の中国は「孔子を崇拝し、内部争いをしていた」と問題点を指摘した。明治維新後の日本の台頭には他にも様々な要因が関係していると思われるが、記事が指摘した点は特に当時の中国で欠けていた点なのだろう。これは現代の中国にとっても教訓となっているようだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)