2019年12月の資本提携に関する会見で、ヤマダホールディングスの山田会長(右)は、久美子社長にチャンスを与えたが、久美子社長は応えることができなかった(撮影:尾形文繁)

事実上の更迭の知らせだった。

大塚家具は10月28日、大塚久美子社長が12月1日付で社長と取締役を辞任すると発表した。後任は現会長である、親会社・ヤマダホールディングスの三嶋恒夫社長が兼務する。

会社側は辞任の理由を「2021年度の黒字化に向けて道筋がつきつつあることから、過去の業績の責任を明確にするため、本人から申し出があった」と説明。しかし、この理由を額面通りに受け取る関係者は少ない。元幹部は「業績が回復しない状況を見かねたヤマダが最後通牒を突きつけて、申し出を促したのだろう」と推察する。

久美子社長は2009年の社長就任後、創業者である父・勝久氏(当時会長)の会員制による販売手法や広告への過剰投資を批判し、意見が対立。一度は社長を解任されたが、2015年に復帰した後は勝久氏との経営権をめぐる委任状争奪戦で勝利し、顧客層の拡大に向け会員制販売の廃止や小型店の展開を推し進めた。

が、その後はお家騒動によるブランドイメージの悪化や、商品構成の新鮮味の乏しさなどから顧客離れが深刻化。ニトリやイケアといった低価格SPA(製造小売業)の台頭も受け、2016年度から4期連続で営業大赤字に陥った。2017年の年末からは資金繰りが逼迫し、10社以上のスポンサー交渉に明け暮れる。そして2019年12月、家電と家具のセット提案を強化していたヤマダが同社株式を51%取得した。

ヤマダ幹部に叱責された久美子社長

久美子社長の経営権に対する執着は強く、資金援助を検討した企業が久美子社長の退陣を条件に挙げたことで、交渉が破談となるケースもあった。昨年末の買収に関する記者会見で、ヤマダの山田昇会長は久美子社長の続投を許した理由を「来期の黒字化という目標へチャンスを与えないといけない」と強調。「(大塚家具は)粗利益率が高いから、売り上げが10%伸びれば黒字化できる」とも語った。


ところがヤマダの思惑は早々に狂い始める。ヤマダからの資金調達により広告投資や改装を強化したところで、久美子社長が指揮を執るままでは客足はそう簡単に戻らなかった。

2020年2月にはヤマダから仕入れた家電の試験販売を始めたが、新型コロナウイルスの感染拡大の時期と重なり、客数回復の起爆剤にはならずじまい。「結果主義」を標榜するヤマダが想定したスピード感で改革は進まず、春先には売り場の運用などをめぐってヤマダ幹部から久美子社長が叱責される場面もたびたび目撃されるようになっていた。

7月には、ヤマダの三嶋社長が会長に就任し、取締役会メンバーのおよそ半数をヤマダ出身者に入れ替える人事を断行。「もう久美子社長には任せておけないという山田会長の意向が強かった」(ヤマダ関係者)。長期間売れ残っているソファなどの滞留在庫の処分を進めて売り場の鮮度を上げるため、10月からはヤマダの旧「LABI新宿東口館」で大規模な家具のセールを開催している。

大塚家具は久美子社長の辞任を発表した10月28日、未定としていた今2021年4月期の業績予想も公表。26億円の営業赤字(前期は76億円の赤字)と、5期連続の赤字を見込む。1年の猶予の下に課せられた黒字化というミッションは、果たせなかった。

「社長としての求心力がなかった」

カリスマ性があった一方でワンマン経営者と呼ばれた父・勝久氏と対照的に、銀行出身者らしく常に冷静沈着な受け答えが目立った久美子社長。社内ではかねて「社長としての求心力がない」という声が根強かった。


カリスマ性がありながらも、ワンマン経営者と呼ばれた父の勝久氏(撮影:尾形文繁)

複数の元社員は「チラシや投資家向けのリリースには事前に細かく目を通すのに、売り場の状況や問題点をまるで理解できていない。掲げる戦略は机上の空論に聞こえ、現場との温度差は大きかった」と話す。銀行や取引先から招いた経営幹部とも意見の対立が絶えず、その多くが数年で会社を辞めていった。

久美子社長は辞任と同時に会社を離れるが、ヤマダからは「家具やインテリアに関する知見を生かした助言をしてほしい」とも頼まれているという。安売りを強みに成長してきたヤマダ主導での大塚家具ブランドの再生も前途多難だ。業界関係者の間では「もう一段の店舗規模縮小など、踏み込んだ改革は時間の問題だろう」との見方もくずぶる。

昨年夏に実施した東洋経済のインタビューで久美子社長は「家業は自分の人生の一部。長い付き合いのある友達を大切に思うのと同じように、守っていかないといけないという責任を感じる」と語っていた。お家騒動からおよそ6年。自らの手で会社を守り切れぬまま、父に続いて娘も去ることになる。