リヴァプールがガチで取り逃した「9名のスター選手」

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先日「リヴァプールはクリスティアーノ・ロナウドの獲得に合意していたが、最終的にマンチェスター・ユナイテッドに奪われた」という話題が再び話題になった。

今回は『talkSPORT』による「リヴァプールに来そうで来なかった選手」をベースに記事を紹介しよう。

クリスティアーノ・ロナウド

宿敵であるマンチェスター・ユナイテッドで世界的なスターになったクリスティアーノ・ロナウド。リヴァプールファンが獲得できなかったことを後悔する選手がひとりいるとすれば、それは彼だろう。

リヴァプールのジェラール・ウリエ元監督によれば、2003年に獲得に近づいていたという。だが、財政面の制約によって移籍を諦めざるを得なかったとか。

ナビル・フェキル

2018年に最も話題になった移籍話のひとつ。アリソン、ファビーニョ、シャキリらの獲得に1.7億ポンド(228億円)を投下したが、最も話題になったのは「長期間狙っていたフェキルと契約しない」という決断だった。

リヨンから5200万ポンド(70億円)で移籍することが実質決まっており、フェキルはリヴァプールのクラブ内メディアの仕事もしていた。だが、リヴァプールは取引から突如撤退。

ユルゲン・クロップ監督は彼を非常に買っていたが、ドクターはそれまで抱えていた膝の怪我が悪化する可能性を懸念し、クラブはナビ・ケイタ獲得に方針転換したとされている。

ダニ・アウヴェス

バルセロナで世界的な選手に成長したダニ・アウヴェス。彼がセビージャに所属していた2006年にリヴァプールは獲得を狙っていたとされている。

2017年のインタビューで、本人が「リヴァプールとの合意にかなり迫っていた」と以下のように明かしている。

「最後の段階で何らかの理由で実現に至らなかった。自分にもなぜなのか分からない。当時は自分の代理をしていた他の人間がいたんだ」

ジエゴ・コスタ

ルイス・スアレスの去就が大きな話題になっていた2013年夏。結局、彼はもう1年残留することになったが、その理想的な代役と考えられていたのはジエゴ・コスタだったという。

リヴァプールはその獲得に動いたものの、2100万ポンド(28億円)のオファーは拒絶されている。そしてアトレティコに残ったコスタは52試合で36ゴールを記録。リーガ優勝とCL決勝進出という置き土産を残して、チェルシーに旅立った。

さらに、その傷に塩を塗り込むように、チェルシー加入後は12試合で10ゴールと爆発。リヴァプールもその餌食にされたチームのひとつだった…。

アレクシス・サンチェス

マンチェスター・ユナイテッドで微妙になったサンチェスだが、かつては世界最高FWのひとりだったことは事実だ。

ルイス・スアレスを失った2014年夏のリヴァプールは、攻撃陣を絶対的に強化する必要があり、サンチェスを第一ターゲットにしていた。

リヴァプールのオファーのほうが好条件だったそうだが、彼はアーセナル行きを選択。当時のブレンダン・ロジャーズ監督は「彼を獲得できなかったことにひどく失望している。我々にとって完璧な存在だっただろう」と残念がった。

テディ・シェリンガム

1995年、リヴァプールのロイ・エヴァンズ監督は29歳だったシェリンガムをトッテナムから引き抜くのに躍起になっていた。指揮官は比較的経験が浅いメンバーが多かったチームに経験豊富な人材を加えたがっていたのだ。

だが、後にエヴァンズはこう明かしている。「テディを連れてくるチャンスがあった。だが、クラブの移籍方針は28歳以上の選手はダメというものだったのさ。彼は38歳までプレーしたのに!いや、48歳だったか。我々には経験が必要だったんだ」

1999年にはマンチェスター・ユナイテッドの3冠に貢献したシェリンガム。42歳まで現役でプレーし、息の長い選手になった。

ガブリエル・バティストゥータ

1990年代〜2000年代初頭にサッカー界を席巻したアルゼンチン代表FW。彼もエヴァンズ監督が熱望していたものの獲得できなかった一流ストライカーだ。

ロビー・ファウラーが「我々は興味を持っていたし、リヴァプールと彼のクラブとは何度か対話をしていた。彼も興味を持ってくれたが、残念なことに実現しなかった。もし獲得できていれば、素晴らしいものになっていたのは間違いない」と明かしている。

ネマニャ・ヴィディッチ

プレミアリーグで史上最強クラスのCBになったヴィディッチがマンチェスター・ユナイテッドに移籍したのは2006年。

実はその際にラファ・ベニテス監督も獲得を狙っていたことを当時リヴァプールでプレーしていた解説者ジェイミー・キャラガーが明かしている。

「リヴァプールは2016年1月に彼を買おうとしていた。だが、我々の損失はユナイテッドの利益になった。彼と一緒にプレーしてみたかったよ。我々はソリッドなパートナーシップを形成していたはずさ」

ティモ・ヴェルナー

RBライプツィヒで大ブレイクを果たしたドイツの新星ストライカーは、リヴァプールへの移籍が決定的になったと伝えられていた。もはやユルゲン・クロップとは相思相愛の関係であると。

しかしながら、最終的にヴェルナーはチェルシーへの移籍を選択。その理由は、本人によれば「ヨアヒム・レーフ代表監督のアドバイスと、チェルシーが持つプロジェクト」であったそうだ。

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もちろん、メディアではRBライプツィヒが求めた移籍金を先に支払うと言ったのがチェルシーだったからだろうという見方もあるが…。