町田の一部、本当に神奈川県になってしまう 今さらなぜ?市役所に聞いた
ネット上でたびたび話題になる、「町田は東京か?神奈川か?」問題。もちろん町田は東京都に属している市だが、神奈川県に隣接していることから時折このようなネタにされてしまう不憫な街だ。
しかし2020年4月1日、あるツイッターユーザーが衝撃の投稿をした。12月1日から町田市の一部が神奈川県になることが市議会で決定したというのだ。「町田、実は神奈川だった」がついに現実になってしまうのだろうか。
どうも神奈川県相模原市との境界線が一部変更されるということらしい。ツイッターでは、
「え?まじなのこれ?」
「これは、4月1日ネタですか?それとも本当のことでしょうか?」
「町田市......嘘だよな......?」
と動揺が広がっている。
エイプリルフールネタだと疑うユーザーも少なくないが、町田市議会の公式サイトを確認すると、境界線の変更は19年12月の定例会で議案が可決されている。どうやら嘘ではないようだ。
「飛地」に荷物が届かないことも
それにしても、なぜ市の境界線が変更されるのだろうか。
町田市議会の公式サイトによれば、かつて町田市と相模原市との境界は境川の河川中央となっていたが、現在は河川改修によって両市の一部が川を隔てた「飛地」となって存在している。
そこから生じる様々な不都合を解消するために、境界線を新河川中央に変更して、飛地をなくすというわけだ。
境界変更の一例(画像は町田市議会公式サイト、第131号議案より一部編集)
Jタウンネットは2日、町田市の総務部総務課担当者に詳しい話を聞いた。
「昔から境川は氾濫しやすい川でした。昭和30〜40年ごろに川沿いの宅地開発が進み、田んぼで水を吸収することができなくなりました。40〜50年ごろに改修して氾濫しにくい川にしようという話が出てきて、ジグザグした川をまっすぐにしてきました」
境川改修の背景をこのように話す担当者。そこで飛地ができたことによって、荷物が届かなかったり、ゴミの集積に河川の向こう側まで行かなければならかったりなどの不便が生じ、境界線の変更に至ったという。
最初に行政境界が変更されたのは1999年(平成11年)12月1日。変更は約4年のスパンで行っており、今年で7期目だ。担当者によれば9期までを予定しているが、昭和50年代から続く河川改修の進捗が遅くなっていることから「残り8年で終わるかは分からない」とのことだ。
実生活への影響は?
ここで気になるのが住所変更に伴う実生活への影響だ。住んでいる市が変われば免許証等の登録情報、町内会や自治会、学校など様々な変更が余儀なくされる。
担当者によれば住所変更は飛地に住む世帯ごとにお願いしており、反対が1世帯でもあればその土地は住所変更しない、つまり行政境界も従前と変わらないという形になる。南から北に向かって境界変更してきたが、現にこれまでの境界変更ではそういった理由で残ってしまった飛地もある。
学校に関しては相模原市と協定を結んでおり、
「例えば住所が相模原市から町田市になった場合、基本的には町田市の学校に通っていただきますが、学校を変わりたくないというケースがあれば従前の学校に通うことができます。ただ、入学前であれば町田市の学校にいっていただきます」
と担当者。住所が変わったからといって必ずしも転校しなければならないというわけではないようだ。