その後、私はチームの幹部とうまくいかなくなり、2009年の9月にチームを去った。それから5か月後の翌年1月、CSKAモスクワは本田を獲得した。そして、私が予想した通り、本田は素晴らしいプレーをし、ゴールを決め、チームの中心となった。

 CSKAに本田獲得のアイデアを授けたのが私だということを、本人が知っているかどうかは知らない。多分リオで彼が私の名前を出してくれたのは、日本サッカーに対する貢献のことだと思う。
 
 新監督がパウロ・アウトゥオリに決まったことは、彼にとっては大きな幸運だ。日本人のメンタリティーを知っている監督の下でプレーできるのは心強い。きっと本田の力を最大限に引き出してくれるだろう。とにかく私はとても楽観視している。

 それにしてもブラジルのビッグチームでプレーする日本人選手を見られる日が来るとは――。何よりも大きな満足感を感じている。

取材・文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子

【プロフィール】
リカルド・セティオン/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。
8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。