第2次世界大戦期の、アメリカの物量の凄まじさを象徴するもののひとつに「リバティ船」と呼ばれる輸送船が挙げられますが、実は造船や溶接技術といった産業の歴史という観点からも重要な位置にいる船です。その果たした役割を追います。

後の世に重大な功績と教訓を残した「戦時標準船」

 第2次世界大戦中、政府主導のもと海上輸送力の急速増強を目的として規格を統一し、大量に建造された「戦時標準船」と呼ばれる船舶が数か国に見られます。アメリカにおいては「リバティ船」と呼ばれる輸送船がこれにあたり、1941(昭和16)年から1945(昭和20)年までのあいだに2700隻以上(諸説あり)が建造されたといいます。


動態保存されているリバティ船「ジョン・W・ブラウン」。2019年現在は博物館船およびクルーズ船としてメリーランド州ボルチモア港に停泊している(画像:アメリカ海軍)。

 この「リバティ船」の大量生産体制を支えたのが、2019年現在、鋼材を使用した船舶「鋼船」の建造で基本になっている「ブロック工法」で、そしてこの鋼材の接合で活躍するのが、アーク溶接といわれる溶接法です。この、アーク溶接とブロック工法という技術なのですが、後の造船技術発展のために、重大な功績と教訓を残しています。

 リバティ船に採用された「ブロック工法」とは、各ブロックに分けて作った船体を、最終的につなぎ合わせるというものです。これには、作業スペースの確保が容易になり、造船の期間も短縮できるなどのさまざまな利点があります。そしてこの工法にはアーク溶接が欠かせません。

「アーク溶接」とは電気の短絡(ショート)を利用する溶接法で、種類分けするといくつかあるのですが、ここでは省きます。実はアーク溶接に限れば、この第2次世界大戦の直前から戦中にかけての期間は急速に技術発展が進み、現在も工業を支える主流をなす溶接法が確立した時代でもあります。

「アーク溶接」と「ブロック工法」は造船をどう変えた?

 鋼船の建造で鋼材を接合する方法には、溶接が一般化する以前、リベットという、緩める機構がなく、半永久的に接合されるねじのようなものがありました。しかしこれには、熟練の技と時間を要していました。それと比較すると、アーク溶接は作業が簡易で工作時間も早く、鋼材の使用も少なくなります。


建造中のリバティ船と溶接工。写真の女性は元ウェイトレスという。

 実はリバティ船以前にも、一部にアーク溶接とブロック工法を採用した船が世界中にありましたが、強度などの心配もあり、重要な部分にはリベットを採用している船舶がほとんどでした。そのなかでリバティ船は、戦時中の建造ということもありスピード性が求められていたため、積極的に新技術が本格採用されました。

 完成したリバティ船は即、輸送任務に従事し、連合軍を影で支えることになるのですが、1943(昭和18)年3月に重大な問題が発生します。ニューヨーク港外を航行中にリバティ船である「マンハッタン号」の船体が真っぷたつに折損しました。さらにこの船だけではなく、最終的には計7隻のリバティ船が、なんの前触れもなく船体が折れてしまう事故を起こしたのです。

謎の破損事故が頻発するリバティ船 潜水艦の仕業かと思いきや…

 当初は潜水艦の仕業とも疑われたようですが、ほかの船にも溶接面に亀裂が生じている報告がもたらされており、原因が溶接した鋼板にあることは、戦中からなんとなくは分かっていたようです。なお、戦時中に船体の損壊事故を起こしたリバティ船は全体の約4分の1といわれており、かなり深刻だったことがうかがえます。


1942年7月15日撮影、リバティ船「ジョージ・ゲール」の進水式(画像:アメリカ海軍)。

 正式に謎が究明されたのは、1946(昭和21)年7月で、原因は鋼材の溶接性の不良にあるとされました。見た目では完全に接合されているように見えても、不純物のせいで細かな亀裂が発生しており、低温になると溶接の継手(つぎて。結合部のこと)部分が、突然パキッっと折れてしまう現象「脆性破壊(ぜいせいはかい)」が生じやすいという結果が出たからです。

 この事件をきっかけに、溶接用鋼材の見直しや、溶接継手位置の設定、溶接順序の設定、溶接法の見直しなど様々なルール作りが行われました。そして、このときに確立した方法というのは、2019年現在でも溶接施工の基礎となっており、造船以外の分野でも役立っています。

 このリバティ船にまつわることの顛末は、現在でも工業・工学系の学校に入ると、技術発展における重要な教訓のひとつとして学ぶこともあるほどです。ある意味、戦時中という非常事態だからできた、壮大な実験ともいえますね。