人間五十年…は昔の平均寿命じゃない?織田信長が好んだ幸若舞「敦盛」に唄われた真意とは
「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか……」
『信長公記』
織田信長。Wikipediaより。
時は戦国、織田信長がこの幸若舞「敦盛(あつもり)」の一節を吟じて舞い、桶狭間の決戦(永禄三1560年5月19日)に臨んだエピソードは有名ですが、この「人間五十年」が当時の平均寿命を表したものと誤解されているようです。
確かに信長が本能寺の変で亡くなったのは49歳、他の武将たちも多くが50歳前後で亡くなっているため、そのような勘違いも起こるのですが、それでは「人間五十年」とは何を意味しているのでしょうか。
912.5万年の寿命!下天に生きる人々の時間感覚に比べれば……
人間五十年の真意を知るカギは、次の「下天」にあります。
下天とは仏教における天上世界を、欲望の度合いに応じて六段階に分けた六欲天(ろくよくてん)の最下位世界を差し、その世界では一昼夜が人間世界の50年に相当する長さになります。
悠久の歳月を生きる下天の住人たち(イメージ)。
ちなみに、下天の住民は寿命が500歳とされ、彼らの一日が人間世界の50年であれば、彼らの生涯は50年×365日×500歳≒912.5万年という途方もない長さになります(※閏年は省略)。
そんな悠久のスケールで生きる人々を前にすると、人間世界で50年ばかり生きていることなど、うたた寝の夢に過ぎない……だから今川義元の軍勢ごときにくよくよする必要はない。思いっきり戦おうではないか。そんな思いで舞っていたのかも知れません。
つまり、この唄は人間世界の50年間を下天における時間感覚と比較しただけで、人間の寿命が50年である、という訳ではないのです。
下天と化天、たった一字で桁違い
ちなみに、幸若舞「敦盛」は平安時代末期の源平合戦(一ノ谷の戦い。寿永三1184年2月7日)において、平家の若武者・平敦盛(たいらの あつもり)を討った源氏方の猛将・熊谷直実(くまがいの なおざね)が世を儚んだエピソードが元ネタとなっています。
左が熊谷直実、右が平敦盛。歌川国貞「無官太夫敦盛 熊谷次郎直実」嘉永三1850年
こちらでは「下天」が「化天(けてん)」となっており、化天は先ほどの六欲天の下から二番目と一段階上がった世界で、時間の感覚もよりスケールアップ。
化天での一昼夜は人間世界の800年に当たり、住民の寿命は彼らの基準で8,000歳。一応計算すると、およそ23億3,600万年も生きるそうで、もう50年なんてほんの一瞬でしょう。
確かに、そのように途方もないスケールと比べれば、自分の悩みなどちっぽけに感じられるかも知れませんね。
まとめ
「昔は『人間五十年』と言ったけど、今じゃもう人間80年、いや100年だね……」
これまでにない長寿社会を迎えた現代日本では、そのような会話が時おり聞かれます。しかし下天や化天に比べれば、夢幻に変わりなく、50年が100年に延びたところで、人の世など実に儚いものです。
決死の覚悟で掴んだ逆転勝利。楊洲周延 「桶狭間合戦之図」明治三十1897年
とは言うものの、限りある命だからこそ、せめて一花咲かせよう……かつて桶狭間の決戦に臨んだ信長の背中からは、そんな生き方が偲ばれます。
参考文献
荒木繁『幸若舞3 敦盛・夜討曽我』平凡社東洋文庫、1983年1月1日太田牛一(中川太古 訳)『現代語訳 信長公記』新人物文庫、2013年10月10日恵谷隆戒監修『新浄土宗辞典』隆文館、1974年5月