日本に溶け込もうと努力する外国人家族を襲う「いじめ」の恐怖
海外からの労働者の受け入れ拡大で、今後さらに日本に増えることになるであろう外国人家族。彼らの一番の悩みは子どもの教育環境や学校文化の違いなのだそうです。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では、外国人の子どもに対するいじめを取り上げ、教師たちの対応や態度に警鐘を鳴らしています。
外国人の子ども いじめの問題
外国人観光客の急増により、ホテルの大浴場やレストラン、寺社などで、文化習慣マナーの違いにより、トラブルが発生しています。いろいろな方面で相互理解、多文化共生といった文言が聞かれます。
最近、高野山赤松院の宿坊に対する、欧米の宿泊者からの「スタッフは愛想が悪い。朝からシャワーを個室で浴びられなかった、精進料理は妙な味だ」という感想に、アメリカ人僧侶が反論したことが話題になりました。
これまで日本的対応としては、クレームがあっても「沈黙」で通すことが多いと思います。しかし、反論しなくては、相手に伝わりません。また、「沈黙は、了解。そのとおりだと認めるということなのだ」と捉えるのが世界の常識です。そのことが身についている外国人僧侶は、口コミサイトへの返信を即座に行ったわけです。
欧米文化を理解している、アメリカ人の僧侶の対応は正しいし、相手の宿坊利用者にとってもフェアなのだ、と思います。何と言ってもお寺は高級ホテルではなく、お布施をして修行する場であり、そのための精進料理であるからです。修行僧は、ホテルマンではないのです。相手の間違いを指摘し、反省を促すことは、仏教の教えとしては正しい態度です。
外国の方との問題は、観光客だけではなく、住民の間でも起きています。実は、日本はすでに世界第4位の「移民大国」になっているのです。法務省統計では、平成29年末における中長期在留者数は223万2,026人です。特別永住者数は32万9,822人で、これらを合わせた在留外国人数は256万1,848人となり、過去最高となりました。多い国別では、中国、韓国、ベトナム、フィリピン、ブラジル、ネパール、インドネシアの順になっています。
みなさまの周囲でも、飲食店やコンビニ店で働く外国人の姿をみることは当たり前の風景になっていますね。就労ビザで入国する外国人だけではなく、留学生が妻子を滞在させ、日本で子どもを産む、育てる、学校に入学させることも増えてきています。
そのような状況の中、在留外国人は日本に溶け込むよう努力しています。ゴミの分別はもちろんのこと、義務である税金支払い、国民健康保険の加入など日本人と平等ですし、周囲に溶け込むようがんばっています。
彼らが最も期待していることは、「子どもに高等教育を受けさせて、日本の企業に就職させたい、エリートにしたい」ということなのです。それゆえに、彼らの一番の悩みは、子どもの教育環境、学校文化の違いにあります。
外国人の父母は、保育園、幼稚園時代から、日本の文化に馴染もうと努力しています。けれども、一見して分かる肌や髪の色の違いからくる「差別的発言」を経験していない人は誰一人いないのです。これは子どもの世界でも同じです。むしろ子どものほうが辛辣な言葉の暴力にさらされています。
子どものいじめの問題が起きると、父母が担任教諭に相談をします。ところが、学校に相談してみて、外国人の最初の衝撃は、「いつまで待っても返事がないこと」にあります。
学校は必ずしも何もしていないわけではありません。しかし、返事がなければ、何もしていないのと同じです。
世界のそれぞれの文化的な背景がわからなければ、相手を理解できないのです。教育では、相互理解、多文化共生とお題目的には言うものの、実際には、理解が進んでいないのが現状で、日本の学校も、相互理解の努力が足りません。
「いや、そんなことはない。わが市では、通訳もそろえているし、学校から渡す文章は必ず母国語にしている」という校長もいるでしょう。違うのです。外国語の行政文書を渡すだけでは不充分です。実際に外国人の子どもや父母と会話するのは教師です。教師がその基礎教養ともいえる外国文化、歴史、宗教を深く知っていること、それに基づいた生活習慣などを理解していることが必要なのです。
この相互理解がないために、ある日突然、学校に、弁護士や外国人支援NPOが登場するといった場面になることもあります。日本人の美徳である、「遠慮する」、「信じて少し待ってみる」という、相手の都合をおもんばかる態度も悪いことではありませんが、こと「いじめ」に関しては、外国の方々の対応も見習っても良いかもしれません。
ではなぜ、日本では、いじめ等について「判断しないで先延ばしにする」のでしょうか。これは、「責任をとりたくない」、「自分が担当の時に、ケチをつけられたくない」、「自分の出世のじゃまにしたくない」、という「日本組織に多いパターン」に、はまっているのです。「解決しました」という加点主義ではなく、「失敗した」という減点主義をさける傾向が強いということです。世界のスタンダードは実績主義です。
この「判断しないこと」について、特に学校教育現場では、「タイムオーバー」という伝家の宝刀があります。「沈黙」を保って、やり過ごすことで、事態が収束し、終結するというものです。特に、3学期では、あと少し待てば先生もクラスも変わります。事情を知っている先生を、転勤させることもできます。さらに、子どもが卒業してしまえば、「終わり」です。
ここで、外国人と日本人との交渉のちがいについて考えてみたいと思います。外国人の場合、繰り返し、言葉で交渉しながら、自己主張し、押したり引いたりしながら、納得できるラインをさぐるということが往々にしてあります。これは商売でも同じなのだと思います。日本人から見れば、遠慮や調和が無いように見える自己主張は、外国人にとっては、言葉によるコミュニケ─ション、繰り返しのやり取りを通じて、相手を理解し、立ち位置を確認していくことにすぎません。ですから、「主訴」つまり、言うべきことをはっきりという、言い返されて初めてなるほどと思うという言葉のやりとりは当たり前なのです。
日本人であれば、相手の感情を害するのではないか、と遠慮するようなことも、外国人には、はっきりと論理的に言わなくては伝わらないのです。そして、大概にして、はっきりと言われた外国人のほうは、ひょうひょうとして打たれ強い姿を見せています。自分は自分、相手は相手、言い分が違って当然、と考えているからです。
様々に述べてまいりましたが、結論として、学校は、外国人の方、日本人を問わず、論理的に「できること」「できないこと」をしっかりと説明する必要があります。学校は、善悪について、逃げないで、しっかりと向き合い、いじめなどの問題について迅速に対応することです。
夏休みに入ってから、外国人名の子ども達からの相談を受けています。ご両親から受け継いだポジィティブ思考と正直さ、日本の先生や友人たちとの触れ合いから学んだセンシティブな心、両方をバランスよく保持した彼らが、いずれ日本と世界の未来のため活躍する姿がありありと目に浮かんでまいります。
前名古屋市教育委員会スクールソーシャルワーカー 堀田利恵
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