第90回選抜高校野球大会は23日に開幕する。21日放送、毎日放送「戦え!スポーツ内閣」では、高校野球を沸かせた球児たちの今を追った。

ゲスト出演した元木大介は、上宮高校時代の1989年のセンバツ決勝で「天から地」を味わった。1点リードの延長10回裏、2死走者なしと優勝を目の前にしながら、その後同点に追いつかれ、さらには悪送球からまさかのサヨナラ負けを喫した試合だ。

このとき優勝した東邦のエース、山田喜久夫(46)は高校卒業後、地元の中日ドラゴンズにドラフト5位で入団。だが、プロでの通算8年間で目立った活躍はできず、引退して現在はわらび餅専門店を経営している。

劇的な決勝後、悲運のヒーローとなった元木は読売巨人軍で活躍。一方の山田は、プロでは苦しい野球人生を味わった。内容が悪いとスタンドから「たいしたことない」と罵声を浴びせられたという山田は、「優勝なんかしなけりゃよかった」と思った時期もあったと明かした。

だが、今では山田も野球チームの監督として地元の小学生を指導している。子どもたちには「最後のスリーアウト、ゲームセットを言われるまで全力でぶつかっていけ」と教えているそうだ。

同じく「伝説の決勝」といえば、2006年夏の甲子園決勝。田中将大擁する駒大苫小牧と、「ハンカチ王子」斎藤佑樹の早稲田実業による死闘だ。再試合にまでもつれ込んだ激戦を制した斎藤は、大会屈指のスラッガーだった本間篤史を田中以上に恐れていたという。

8打数無安打5三振と封じ込まれた本間は、斎藤との再戦を目指して11年野球を続け、JR北海道で戦ってきたが、昨年限りで引退を決意。「甲子園の決勝がすごく悔しくて、あの試合があったからこそ、ここまで野球ができた」と振り返った。

その本間とJR北海道で同僚だったのが、2014年夏の甲子園で「超スローカーブ」が話題となった東海大四(現・東海大札幌)の西嶋亮太だ。

超遅球は賛否両論を呼び、「世の中をなめている」との批判もあった。その批判が「合っている」と笑顔で話すなど、気にしなかったという西嶋だが、現在はほかに磨くところがあると超遅球を封印している。ただ「甲子園で誰か投げてくれることをけっこう楽しみにしています」ともつけ加えた。

甲子園の伝説といえば、松井秀喜の存在も欠かせない。星稜時代の5敬遠は社会問題にもなった。その松井が愛称「ゴジラ」で呼ばれるようになったきっかけが、1992年のセンバツ初戦の宮古戦だ。松井は元田尚伸から2打席連続本塁打を放ち、規格外の力を見せつけた。

自ら「32校中一番(球が)遅い投手だった」と話す元田は、30年ぶりの甲子園にもかかわらず、松井に真っ向勝負を挑んで玉砕し、当初は批判も浴びたという。だが、その後5敬遠があってからは、「お前はよく勝負した」と逆に評価されるようになったそうだ。

大学で野球を続けたものの、20歳で引退した元田は、電子機器メーカーの営業マンとなった。野球とは無縁の生活となったが、仕事先で松井とのエピソードを話すことはあったという。今では長男が野球をしており、元田もグラウンドに戻った。

松井との対戦を息子に自慢もするという元田は「まさか自分が対戦した相手が国民栄誉賞(受賞)っていうのは、想像だにできないこと」とコメント。自分は「最初にやられた男」と笑顔で語った。