金正恩氏の美貌の姉「金雪松」はこんな顔だった!
北朝鮮「女人天下」の知られざる深奥(2)
北朝鮮の金正恩党委員長の異母姉・金雪松(キム・ソルソン)氏の情報が韓国や日本で出回り始めたのは、2006年頃のことだった。
韓国紙の朝鮮日報は同年2月25日、元朝鮮労働党幹部の脱北者の話として、「(金雪松氏は)目鼻立ちのはっきりした美人」「身長165センチで、北朝鮮の一般女性と異なり、腰まで届くような長髪」などと伝えた。
さらに、父である金正日総書記の現地視察にしばしば動向しており、その際は朝鮮人民軍の軍服を着て中佐の階級章を付けているとも書いている。
続いて翌月には時事通信がソウル発で、「党の思想や政策方針を国民に浸透させる労働党宣伝扇動部で活動し、副部長に就任したとされる」「2004年5月、元応熙(ウォン・ウンヒ)護衛司令官が死去。このため総書記の日程調整や護衛関係の業務も、雪松さんが掌握するようになったもよう」などと報じた。
日韓のメディアはその後も散発的に、金雪松氏の役割に言及しているが、その人物像は謎のままだった。何より、北朝鮮の公式メディアへの登場は現在に至るも皆無である。
「溺愛」受ける
だが今回、デイリーNKジャパンは金雪松氏の「似顔絵」とされるものを入手した。提供してくれたのは、脱北者で平壌中枢の人事情報に精通する李潤傑(イ・ユンゴル)北朝鮮戦略情報センター代表である。李氏はこの似顔絵について、次のように説明する。
「この似顔絵は金雪松の写真をスケッチしたもので、彼女を知る人々から『よく似ている』との評価を得ています。もちろん、その写真は私も見ています。しかし残念ながら、その写真そのものを公開することは出来ません。公開すれば、北朝鮮当局によって流出経路を辿られ、北朝鮮国内にいる情報提供者たちが命の危険にさらされてしまうからです」
北朝鮮問題を取材している者ならば、そのような状況があり得ることは十分に理解できる。ただデイリーNKジャパンとしても、李氏の主張を鵜呑みにしてこの似顔絵を公開したわけではない。李氏からは、これが本当に金雪松氏であるかどうか、相当程度まで検証できる材料が提示されている。そちらについては、本連載の次の回で公開すべく準備中だ。
ちなみに、金雪松の名前をインターネットで検索すると、ある女性の写真が出てくる(画像)。李氏によれば、これはまったくの別人であるということだ。
金雪松氏とは、果たしてどのような人物なのか。前回は、彼女の生い立ちと成長過程について述べた。金正日総書記の子どもたちの家族関係は、父親の女性遍歴のせいで複雑である。
しかし、正妻の子として生まれた金雪松氏は、一度も「日陰者」になったことがなかったようだ。とくに、祖父・金日成主席からは溺愛されたという。また、海外留学などで知性を磨き、国内では庶民ともふれあい、聡明な女性に育ったという。
一方、金日成氏は生前、正恩氏とは一度も会ったことがなかったとされる。
その後の金雪松氏の経歴について、李氏は次のように説明する。
「金雪松は金日成総合大学に在学中の1993年12月30日、満21歳の誕生日に朝鮮労働党員になりました。そして、金日成が死亡した直後の翌年8月、党中央委員会宣伝扇動部の行事課長を皮切りに党幹部としてのキャリアをスタートさせました。その後の約24年間、党中央の核心部門で経験を積み、2011年12月に金正日が死亡した時点では党組織指導部副部長および秘書室副室長クラスにまで昇進していました」
朝鮮労働党の組織指導部は、北朝鮮の統治機構の最中枢に位置する機関で、そのトップである部長は国内最強の権力者と言える。実際、金正日氏は存命中、自分でこのポストを兼務していた。部長の下には3人の第1副部長がおり、これが日本の中央省庁で言うところの次官クラスとなる。副部長はその下で、日本の官房長や局長よりやや高位にあると言える。
このようなキャリアを踏み、父親の現地視察に同行してきた金雪松氏の頭の中には、膨大な数の幹部たちに関する「データベース」が構築されていたはずだ。そして前回も指摘したとおり、金正日氏は遺書において、「金雪松を正恩の幇助者(助言者)として準備させ後押しするように」と指示していたとされる。
李氏はこの指示の真意について、次のように分析する。
「金正日は国家を守る軍や国家安全保衛部(現国家保衛省)、偵察総局などの安全保障部門を正恩に、経済など国内行政に関わる部門は金雪松に託し、両者の均衡の下で国家が統治されるよう望んだのだと思います」
次回はいよいよ、金雪松の実像を見せる証拠資料を検証する。