又吉直樹 撮影/森田晃博

写真拡大 (全3枚)

 芥川賞を受賞したベストセラー『火花』に続く2作目の長編小説『劇場』も30万部を超えるヒット! 自分の演劇を追求しようとする主人公とその彼女との恋愛物語に込めた、小説家・又吉直樹の思いとは?

この記事のすべての写真を見る

「沙希は、なにも人に恥じることのない人物。人として好きですし、やさしくて、女性としても素敵やと思いますよ」

 ついに今をときめくお笑い芸人・小説家の又吉直樹さん(37)にも春が到来!? と思いきや、「沙希」とは、今年5月に上梓(じょうし)された又吉さんの作品『劇場』に登場する、ヒロインの名前だ。

『劇場』は、何年かの時間をともに過ごした若者ふたりを描いた小説。演劇を追求するために関西から上京した永田は、女優を目指す青森出身の沙希と出会う。物語は、ふたりの恋愛を中心に、表現者の苦しみや葛藤、夢を追う者の嫉妬や焦りなど、人間なら誰もが持っているであろう気持ちや感情をこまやかに書き込んだ作品に仕上がっている。

「ただの恋愛小説というより、惹かれ合うふたりと仕事の関係とか、ふたりを取り巻く社会との関係とか、いろいろな“関係性”を書いている作品でもあるんです。もともと人間と人間の関わりみたいなものにすごく興味があるんですが、恋愛って、当事者ふたりだけの世界で成立するものじゃなくて、仕事や周りの人の影響も必ずあるもの。それを表現してみたかった」

 永田は沙希のアパートに転がり込み、彼女の作った飯を食べる“ヒモ”のような生活をしつつ、ときに彼女に八つ当たりしたり、自分の“正論”を激しく振りかざしたりする。そんな主人公に関して、又吉さんのもとには「周りに迷惑をかけているアホなやつ」という感想が少なからず届いているのだとか。

「誰かのことを、“あいつはマジメで穏やか”とか“一見、毒舌で怖そうだけど本当は気のいいやつ”って表現するのはよくあることやと思うんです。でも僕は、そうした意見をなんの参考にもしない。だって、人間っていうのはひと言で表せる存在ではないから。

 僕自身、永田がどういうやつかは、正直なところ、ちゃんとわかってないんです。感情表現が下手くそなだけで、好きな人に対する愛情も、仕事に対する情熱もあるやろうし。僕は、永田という人物の将来に“なんかええことあったらええなぁ”という気持ちで、この小説を書いてました」

“好きな女性のタイプ”がない理由

 理想と現実の間でもがきながらも、夢に向かって進もうとする永田を、精神的にも物理的にも支えている沙希。生活の面倒をみつつ、永田の考えや発言を全面的に肯定している。冒頭でも答えてくれたように、もしかして、沙希にはズバリ、又吉さんの理想の女性像が投影されている?

「沙希がタイプそのものかといったら違う。僕、好きな女性のタイプっていうのはなくて、ただ、人間的に好きか嫌いかだけなんです。例えば、読書の話で言うと、“ミステリーしか読まへん”とか“恋愛小説は嫌いや”とか、いろんな決まりを作ってる人もいますけど、僕の場合、なんとなく、純文学に好きな本が多いだけ。おもろいかおもろくないか、それだけで、人の好き嫌いもそれと同じ感覚です」

 揺るぎない判断基準を持つ又吉さんだが、かつてはマジョリティーの波にのまれていた時期もあったという。

「高校生のころ“どんな人がタイプ?”っていう質問が飛び交ってたんで、好きなタイプはあって当然なんかなって思って、“こんな感じかな”と考えてた時期もあったんです。でも、なんとなく、無理してんなぁって思って。だって、やさしい人がいいって言うてたけど、超厳しい人を好きになったこともあるし、“あいつのどこがええねん”って言われる人に恋したこともあるし。ああ、タイプっていうのは会話のためだけにあるんやな、って。

 今後、テレビとかで“変わった人が好き” “ギャルが好き”とか言うたりするかもしれませんけど(笑)、今回のように小説に関する取材をお受けしているときは、自分に正直に答えたいなと思ってるんです」

太宰治の墓参りで「いつもすんません」

 前作『火花』が芥川賞を受賞し、“小説家・又吉直樹”は一世を風靡(ふうび)しつづけている。少しは“天狗”にもなってしまっていたり……?

「もちろん、芥川賞をいただいたことも、注目していただくことも、“おめでとう”って言ってもらえることも、純粋にうれしいしありがたい。でも、結局は“芸人が芥川賞を受賞した”ことへの注目やったって思ってるんで。多少浮き足立ってはいましたけど、身構えずに普段どおりにやろうと心がけてましたね」

 とはいうものの、毎日ひっぱりだこの生活の中で、小説を執筆するのは苦労も多そうだ。

「寝られへんくてしんどいときとかもありますけど、そういう状況でも小説に向き合えるっていうのが好きなんですね。高校時代にサッカーをやってたんですが、僕、ゲボを吐きながら走っててもイヤじゃなかったんですよ。だって、自分がうまくなる可能性を感じられますから。むしろ、“ボールを蹴(け)んな” “家にいろ”って、つまり“もう書くな”と言われることのほうが、よっぽど苦しみなんです」

 そんな又吉さんが誰よりも意識している小説家は、かの文豪、太宰治。

「小説って、わかり切っている道徳的なものか、頭のいい人が書いている難しいものだとばかり思ってたんです。でも太宰を読んだとき、“あれ? 僕らの日常のこと書いてるやん”って。人にどつかれた人しか痛みはわからないって言うけれど、そういう、自分が感じる日々の葛藤みたいなものが書かれていて面白かった。太宰がおらんかったら、僕はこんなに小説を読まなかった可能性があるんです」

 今でもそんな“恩人”のもとをときどき訪れるという。

「テレビやエッセイで太宰の名前を出したり文章の引用をしたときには、必ずお墓参りをしています。今年も1回行きました。太宰からしたら“お前、勝手に俺のこと好きって言うてるみたいやけどな、俺はお前なんて知らんぞ”と思ってるでしょうからね(笑)。特に、テレビ番組で共演者が太宰をいじったときには“すんません”って、いつもより長めに手を合わせるようにしてます。ただ、僕や誰かが太宰を好きとか大嫌いとか言っても、太宰にはびくともせえへん強さがありますから。富士山みたいな、絶対的で、普遍的な存在やと思うんです」

 将来的に目指すのは、まさに富士山のような作家?

「僕は、太宰みたいな、富士山みたいな作家にはなれないでしょうけど。でも、いつか、富士山のような作品を創ってみたいなぁとは思ってます」

相方の綾部と再会も「『劇場』の感想は一切なし(笑)」

「6月頭くらいに綾部と都内で会いましたよ。“向こうで活動できる環境が順調に整ってきてる”ゆうて、滞りなく、夢に向かって進んでますね」

 昨年10月に今春からのNY移住宣言をしたピース・綾部祐二さん。現地で奮闘中かと思いきや、まさかの一時帰国中!? 『劇場』はもちろん読んでくれている?

「あ、そんな話は出なかったですね(笑)。読んでへんとちゃうかな。僕、綾部のことは好きですけど、『劇場』の感想をもらいたいとは思わない。そもそも、綾部は本が好きじゃないから(笑)。とにかくNYで元気にやってくれれば」

<プロフィール>
又吉直樹(またよし・なおき)◎1980年、大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人。コンビ「ピース」として活動中。2015年『火花』で第153回芥川龍之介賞を受賞。著書に『第2図書係補佐』『東京百景』など。

(取材・文/熊谷あづさ)