森下翔太(東海大相模)

 東海大相模からまた楽しみなスラッガーが現れた。その名は森下 翔太。戸塚リトルシニア時代は、齊藤 大輝とともにプレーした森下は1年夏から名門の4番を任された。昨夏、昨秋と結果を残せなかった悔しさをバネに、この春に飛躍。今春の関東大会で高校通算22本塁打を打つまでのスラッガーとなり、関東大会では全試合で安打を打ち、計8安打を記録。夏へ向けてさらなる活躍に期待がかかる森下の飛躍のきっかけに迫った。

打席の気持ちの持ち方を変えたことが飛躍のきっかけに

 中学校3年生の時、森下は横浜、東海大相模のどちらかで進むか迷っていた。東海大相模へ進んだ理由は、戸塚シニアのチームメイト・齊藤 大輝の進路がきっかけだ。「齊藤が横浜高校に進むと話してくれたので、僕は、齊藤と対戦して勝って甲子園に行きたいと思い、東海大相模へ行くことを決めました」と振り返る。1年夏では、上級生の強打者を差し置いて、4番センターで出場。デビュー戦となったアレセイア戦で、3打数1安打1打点の活躍を見せたが、以降、無安打の試合が続き、敗れた準々決勝の慶應義塾戦では出場がなかった。1年夏を振り返って森下は「自分の情けなさが残った大会でした。特に気持ちの弱さが出てしまい、精神的に強くなろうと思いました」 1年秋も4回戦で桐光学園に敗れ、結果を残すことができなかった。勝負強い4番打者になるために、技術向上、肉体強化だけではなく、精神力強化もテーマとなった。そこで森下がこだわったのは打席の気持ちの持ち方だ。「気持ちは熱く、頭は冷静に」これを頭に入れながらプレーをしてきた。そして2年春、森下は関東大会出場をかけた県大会準決勝・桐光学園戦の5回表のことだ。無死一、二塁の場面で、左中間へ大飛球。これを森下が捕球。そして内野手へ返し、飛び出した走者をアウトにして、トリプルプレー成立したかのように見えたが、捕球が認められず、1点を許すことに。この結果に燃えていたのは森下で、取り返そうという思いだったが、頭は冷静だった。

 5回裏、打席に回ってきた森下は高めの直球を思いきり、振り抜いて打球は保土ヶ谷球場の場外へ消える本塁打となった。意識改革により、勝負強い4番となった森下は勝利に貢献。関東大会出場を決めた。

 関東大会でも、連日の快打。2回戦の千葉敬愛戦の4安打から始まり、全4試合で、16打数8安打を記録。さらに3盗塁と俊足をアピール。自分の実力を発揮できた大会となったが、森下は満足をしていない。決勝の浦和学院戦では最後の打席で、左腕・佐野 涼弥から見逃し三振に倒れ、試合を終えた。森下は「準決勝まで結果を残せていましたが、決勝は僅差の試合。こういう試合こそ結果を残すのが4番打者であり、悔しいです。夏では僅差の場面で打てる打者になれるように、残り40日間でしっかりとした準備と練習を重ねていきたいです」夏へ向けての課題と過ごし方について語った。だが、関東大会の活躍は自身の実力をアピールする良い機会となった。

 2年ぶりの甲子園へ。甲子園に行くまでノンストップで打ち続ける。

(文=河嶋 宗一)