平良 海馬(八重山商工)「進歩し続ける魅惑の快速右腕!」【前編】

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 去った沖縄県高校野球春季大会1回戦。八重山商工は宮古工との連合チームとして出場し、中部商と対戦した。先発した平良 海馬は3失点したものの、最速152kmをマークし全国的に注目される存在となった。平良自身、高校野球生活最後の夏を迎えるいま、どのような取り組みをしているのか。彼のこれまでの野球歴を掘り下げつつ、これまでの経緯を探ってみた。

学童では4番キャッチャー

平良 海馬(八重山商工)

 沖縄県石垣島。南西の、海に近い場所にある真喜良小学校に入学した1人の少年はある日の放課後、グラウンドで野球をしているチームを見掛ける。「僕は長男。父も野球をしていた訳ではなく、兄弟が野球をしていたとかそういうことがきっかけで野球を始めたのではなく、気が付いたら入部していました。」八重山地区の強豪、真喜良サンウェーブが平良 海馬の球歴出発点だった。

 小学2年にはキャッチャーとして座り、先輩たちの球を受け続けた平良 海馬。さそがし身体能力も秀でていたのだろうと思ったが、「5年生になってバッティングで同級生らよりも遠くへ飛ばせるなぁと思うくらい」と本人はいたって謙遜。6年生になった平良 海馬。ソフトボール投げで65mをマークし校内ナンバーワンに。

「それでも地区大会だと8位。特に自分が凄いとは思わなかった。」チームは夏の県大会(石垣島開催)に出場。「2回戦で2打席連続本塁打を放つなど海馬が活躍してくれました。」(真喜良サンウェーブ高良監督談)とベスト8。その平良 海馬が選んだ次なるステージは硬式野球、八重山ポニーズだった。

本格的に投手を始めたのは中学2年

 平良 海馬がポニーズの公式戦で投げ始めたのは中学2年。自分たちの代になってからだった。元々キャッチャー出身の平良 海馬。1年の秋に1つ上の先輩がキャッチャーを務めていたため、主にセカンドを務めつつしかし、紅白戦ではマウンドに上がるなど、少しずつ投手としての経験を積んできた。「ポニーズでのストレートのMaxは133Km。計ったことはありませんが遠投だと85〜90m程です。」2年生の秋になり、自分たちの代になるとエースとして一本立ちする。

 そんな折、平良 海馬を温かく見つめる1人の男がいた。伊志嶺吉盛、前・八重山商工監督(現・日本文理大附監督)だった。「一緒に商工でやろうと。熱心に見てくれてたので。」かくして、平良 海馬はタテジマのユニフォームに身を包むこととなった。

與那原大剛(現・巨人)と対戦平良 海馬(八重山商工)

 1年生の平良 海馬は夏、衝撃的な対戦を果たす。1回戦、八重山商工は、普天間のエース與那原 大剛の前に苦戦。しかし八重山商工も負けてはいない。具志堅忠憲の好投もあり、試合は延長へ入り、雷雨で再試合となった。

 その再試合で平良 海馬の出番がやってきた。「2回から出場しましたが、普段練習で打っていた速さとは段違い。対応出来なかったです。」

 ただただ速い!衝撃が平良 海馬の脳裏を駆け巡った。3打席立ったがヒットを打てずチームも敗れた。

怪我の功名。筋トレがレベルを上げる

 秋の県大会。平良 海馬は5番レフトで全試合に出場。チームはベスト8も、自身の打撃は13打数で1安打と振るわなかった。高校野球最初の冬。平良 海馬は怪我をしており、筋トレを続けていた。「完治後、走るメニューなどこなしていきましたが、バッティングでは振るスピードが、ピッチングでも腕を振るスピードが上がったのは感じました。」春季大会ではついに4番(レフト)に座るなど、順調に成長を続ける平良 海馬に高校野球二度目の夏がやって来た。(後編に続く)

(インタビュー/文・當山 雅通)

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