Jリーグで3バックが流行っている。広島、浦和、磐田、湘南、大分。J1、18チーム中5チームがコンスタントに採用している。

 J2に至ってはその数はさらに増える。世界的に見て、3バックがここまで幅を利かせている国も珍しい。強いて挙げればイタリアぐらいだ。比率にすれば1割にも満たない少数派がなぜJリーグで流行るのか。なぜ、わざわざ世間と違った方法で戦うのか。その理由が明確ではないところに問題性がある。

 背景に潜む思想、哲学は見えてこない。監督もそれを積極的に口にしていない。発信源から明確な説明がないまま、3バックという特殊な戦い方は流行している。

 そもそも布陣は、戦術を具現化するための手段、仕掛けだ。そして戦術とは戦略に基づくものであり、さらに戦略は哲学と密接に関係しているべきものだ。まず哲学。戦略、戦術、そして布陣。思考の順序はこうであるべきで、布陣は最後にたどり着く結論になる。

 布陣が特殊ならば、哲学も特殊でなければならない。他と一線を画していなければならない。日本独自の哲学があるなら3バックの流行も理解できる。

 だが、世界に比べて攻撃的なサッカーが流行しているわけでもなければ、極端に守備的なサッカーが流行しているわけでもない。布陣という数字が流行しているだけのように見える。これだけ特殊な流行を見せておきながら、特別な何かが流行している様子がない。

 その昔、トルシエの「フラット3」が流行したときもそうだった。3−4−1−2は理由なく流行った。Jリーグのおよそ半数のチームが、気がつけば、トルシエジャパンと同じ布陣で戦っていた。全国各地の高校、中学、さらには小学生チームに至るまで浸透していた。3−4−1−2が、守備的サッカーを代表する布陣で、それを数ある布陣の中からあえて選択しているという認識がないままに。

 その結果、守備的サッカーは日本の津々浦々まで浸透。気がつけば、3−4−1−2は、日本で最もポピュラーな布陣になった。笑えない話とはこのことだ。

 当時、この布陣は主にドイツとイタリアで流行していたが、彼らには守備的サッカーをしているという自覚があった。彼らは守備的サッカーを意図的に選択していた。攻撃的サッカーに対抗する形で。欧州には攻撃的サッカー対守備的サッカーという明確な対立軸が存在していた。

 なにも知らず、無意識、無自覚のままに守備的サッカーをしていた日本は、笑えないどころか、危ない国だ。サッカーの話で良かったという気さえする。

 その流れは4、5年前にようやく収束。世界に遅れること7、8年で、日本からようやく姿を消した。3−4−1−2を見かけることは少なくなった。つまり、そこで多くの監督が布陣を変えたわけだ。しかし、ここでも変更の理由を説明する人はいなかった。その頃、日本代表監督に就任した岡田サンしかり。横浜マリノスで3−4−1−2をメインに戦っていたにもかかわらず、代表監督に就任するや、日本で遅まきながら流行し始めた4−2−3−1に変更した。

 だが、バーレーンとのアウェー戦では、再び3−4−1−2を採用。まさかの敗戦を喫すると、「これからはオレ流で」と、ひとこと述べ、布陣を4−2−3−1に戻し、以降の試合を戦った。なぜ4−2−3−1で戦うのか。理由は伝わらずじまい。こちらの推理に委ねられることになった。

 懐かしい話だが、いまの状況も、これと似たり寄ったりだ。何が何だか分からぬうちに、3バックは流行している。

 3バックには3−4−1−2のような守備的なモノもあるが、攻撃的なモノもある。中庸なモノもある。一口に3バックと言っても種類は様々だ。にもかかわらず3バックは流行している。説明が必要なのは、3バックを採用する理由だけではない。

 なんの説明もないままに、思い切り変わったことをするなと言いたくなるが、自分たちが変わったことをしているとの認識がなければ忠告も糠に釘。

 サンフレッチェ広島の森保監督は、最近の記者会見で「3バックはもっと広まると思いますよ」と述べているが、そんなもったいぶらずに、理由を端的に述べよと言いたくなる。その「3バック」という大雑把な言い回しも大いに気になる。

 繰り返すが、その前に語るべきはある。それを語らないと、サッカーは面白くならない。観戦のレベルは上がらない。僕は強くそう思う。