中国共産党江蘇省委員会の機関紙「新華日報」は22日、「河村たかし名古屋市長の父親は南京大虐殺を知らない」と主張する記事を掲載した。河村市長が父親の経験を引き合いに、「“南京事件”はなかったのではないか」と述べたことに反発した。中国新聞社など他の中国メディアも同記事を転載した。ただし、同記事は、河村市長の主張に対する反論としては、論理的に無理がある。

 新華日報の記事は、南京大屠殺史(大虐殺史)研究会会員の胡卓然の史料分析を元に書かれた。河村市長の父の軍歴を調べた結果、「南京大虐殺が発生した時には南京にいなかった」ことが分かったという。

 所属部隊は12月10日まで上海市の警備任務に当たっており、10日には南京方面に出発したが、途中で目的地を変え杭州に向かった。従って、1937年12月における南京の状況を「目撃することはありえなかった」という。

 その後、所属部隊は日本国内に戻った。同部隊は再編成されて再び中国に渡り南京市の警備に就いたが、河村市長の父親が同部隊の一員として従軍していたとしても、目にした南京市の光景は「大虐殺から5年半が経過したあとだった」と主張した。

 ただし、河村市長は「“南京事件”から8年後の終戦時に父親が南京にいた」と述べ、「父親が事件発生当時に南京にいた」とは主張していない。そのため「新華日報」の主張は、“河村発言”を否定することにはなっていない。

 また、河村市長は“南京事件”について「絶対になかった」と断定してはおらず、終戦時に「南京の人は日本の軍隊に優しくした。なぜか」などと“大虐殺”への強い疑問を示すにとどめ、「互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」、「南京で歴史に関する討論会をしてもいい」と提案した。

 これまでの情報を総合すれば、河村市長は中国側が異なる考えを持つことを前提に、「よい関係を築くためには意見を出し合った方がよい」との考えを示した。中国側は「大虐殺があったことは事実」ということを出発点に、極めて強い拒絶反応を示した。(編集担当:如月隼人)