レール間の幅が異なる2つの鉄道が交差するポイント。右が1435mm、左は1435mmと1067mmの「三線軌条」(写真:tarousite / PIXTA)

踏切を歩いて渡ると、レールとレールの間の幅の違いを歩幅で感じることがあるだろう。JRはそんなに広くないが、京急や京成、阪急などの踏切を通ると結構広いと感じるのではないだろうか。

レールの幅を「軌間」という。軌間は鉄道によってさまざまで、JR在来線や多くの私鉄は1067mmだが、京急や京成、また阪急や阪神など関西の大手私鉄の多くは1435mm、京王は1372mm(ただし、井の頭線は1067mm)といったように異なっている。世界的な標準は1435mmで、これは新幹線にも使われており「標準軌」と呼ばれる。

なぜこんなに多くの軌間が混在しているのだろうか。

大隈重信が決めたレールの幅

日本初の鉄道が新橋―横浜間に開通したのは1872年。その際は3フィート6インチ、つまり1067mmという軌間が選ばれた。理由には急勾配や急曲線、外国人の薦めなどがあると言われており定かではないが、軌間を決定したのは当時大蔵大輔だった大隈重信である。

もともと、日本の鉄道は官営(国鉄)でつくることが原則であった。しかし、官営だけでは鉄道整備が追い付かず、私設の鉄道を多く認可することになった。その際に、レールの幅は1067mmにすることが法律で決定された。1887年に制定された「私設鉄道条例」である。その第7条には「軌道ノ幅員ハ特許ヲ得タル者ヲ除クノ外總テ三呎六吋トス」とある。「三呎六吋」すなわち3フィート6インチ=1067mmということだ。この規定は1900年に施行された「私設鉄道法」でも受け継がれた。

これによって、全国の主な幹線は私鉄として建設された。東北本線や常磐線は日本鉄道、山陽本線は山陽鉄道、九州内は九州鉄道……といった具合である。1906年にはこれらの私鉄を国有化する「鉄道国有法」が成立し、計17社が国に買収されることになったが、この際、列車の運転に特に大きな問題が起きなかったのは、私設鉄道法によって各線ともレールの幅が一緒だったためだ。

一方で私設鉄道法は制限の厳しい法律であり、それにのっとって鉄道会社を経営しようとすると、面倒なことも多かった。さらに全国の17社が一気に国有化されたこともあり、民間による鉄道建設への熱が冷めていった。

そこで国は自由度を高めて民間による地方の鉄道整備を進めるべく、1910年に「軽便鉄道法」を施行した。この法律は軌間を1067mmに限定しておらず、より低コストで建設できる軌間の狭い鉄道も造られるようになり、地方には軌間が762mmの鉄道も数多く造られた。これらの路線はかつて「軽便鉄道」と呼ばれた。いまなおこの軌間で残っている路線として、三重県の四日市あすなろう鉄道や三岐鉄道北勢線がある。

このように、民間による鉄道整備を推進する法律がつくられるなかで、別の方法で開業する私鉄も出てきた。1905年に開業した阪神電気鉄道は、国鉄と並行する区間であることから私設鉄道法では建設が認められず、代わりに道路上を走る路面電車のための法律である「軌道条例」に基づいて開業。だが、実際に路面を走るのは一部で、実質的には一般の鉄道と大差なかった。


都営地下鉄浅草線を通じて相互直通する京成や京急などの軌間はJR在来線より広い1435mmだ(撮影:尾形文繁)

この方式に追随する鉄道会社も多く出た。軌道のための法律は当初「軌道条例」、のちに「軌道法」となったが、この法律では軌間が限定されておらず、レールの幅を広くすることが多かった。それゆえに現在のJRとの軌間の違いが生まれた。軌間が1435mmの関西の大手私鉄はほとんどこの方法で開業している。関東でも軌間の広い京急、京成、京王は軌道として開業した。大阪市営地下鉄も、軌道法に準拠してつくられた。

軌道として開業した鉄道は、当初の社名に「軌道」が入っていた例が多い。のちには、軌道かどうかあいまいな「電鉄」(電気鉄道の略)という言葉も使われるようになった。

在来線の軌間を変える動きも

こうして日本国内の鉄道にはさまざまな軌間が採用されるようになったが、国鉄の標準となっている1067mmを変更しようという動きもあった。大正期の大隈重信内閣、その後の寺内正毅内閣では鉄道院(国鉄)各線の1435mmへの改軌を考えていた。軌間が広いほうが輸送力が高いと考えられたためだが、これは実現しなかった。

しかし、昭和に入り日中戦争がはじまると、東海道・山陽本線の輸送が逼迫し、新たに高速・大量輸送のできる鉄道を造ろうという計画が生まれた。「弾丸列車計画」である。これは1435mmの軌間で建設されることに決定したが、その後の戦況の悪化で中断。そして1964年、ついに国鉄に1435mm軌間の鉄道が開業した。これが東海道新幹線だ。


京王電鉄の京王線系統は軌間が1372mm。井の頭線と異なるだけでなく、全国的に見ても珍しい軌間だ(撮影:尾形文繁)

一方、このような歴史的経緯の違いによって、同じ鉄道会社でも路線によって軌間が違うケースがある。その一つが京王電鉄だ。京王の路線網は全線で約85kmと短いものの、京王線系統と井の頭線で軌間が違う。車両の見た目もまったく別だ。

これは、もともと井の頭線は戦前の開業時、小田急系列の帝都電鉄が運営していたためだ。京王線は「京王電気軌道」として開業し、東京市電(都電)への乗り入れを考慮して軌間を都電と同じ1372mmとしていた。一方、帝都電鉄は軌道ではなく鉄道として「地方鉄道法」に基づき、軌間1067mmで開業した。

両社は戦時中の私鉄の大統合によって「東京急行電鉄」の路線となったが、戦後に再び各社が分離独立する際、井の頭線はさまざまな経緯で京王の一路線となった。これによって、同じ鉄道会社ながら異なる軌間の路線を持つことになったのだ。

ちなみに京王線の一部は、かつては軌間が1067mmだったことがある。府中―京王八王子間を開業したのは京王電気軌道ではなく、京王系列の玉南(ぎょくなん)電気鉄道だった。こちらは軌道ではなく「地方鉄道法」に基づいて1067mmで建設された。これは補助金を得ることを考えたためだったが、結果的に補助金は認められず、玉南電気鉄道は京王と合併して軌間も京王の1372mmに統一された。京王線と軌間の因縁は深いのだ。

地下鉄新会社の社名に「軌道」

ここまで見てきた通り、開業時の経緯からかつては社名に「軌道」と入っていた鉄道会社も多かった。だが、路面電車を運営している会社を除けばのちにほとんどが「電鉄」などに改称されている。

しかし、新たに「軌道」を名乗る鉄道会社が現れた。今年4月に大阪市営地下鉄の民営化によってスタートした「Osaka Metro(大阪メトロ)」の社名は「大阪市高速電気軌道」だ。いまどき「軌道」? しかも「高速」? と感じた人も多いのではないだろうか。

これは先に説明した通り、大阪メトロの路線のほとんどが軌道法に基づいてつくられたためだ。「高速」とは路面電車と違いスピードを出して大量輸送できるということを示すためのものである。なにもそんなアナクロな社名にしなくてもいいのに、とは筆者も感じた。「大阪地下鉄」もしくはカタカナの社名も可能なのだから「大阪メトロ」でも問題はないとは考えられる。「大阪市高速電気軌道」では漢字が多すぎる、という印象もなくはない。だが、この社名には、大阪の地下鉄の歴史が込められているのだ。

軌間の違いは、敷設されたときの根拠法の違いが大きな要素となっている。各路線が開業するまでのさまざまな経緯が、多様なレール幅の路線を生み出してきたのだ。