16日に行われたクラブW杯決勝。レアル・マドリー対グレミオは、結果こそ1−0だったが、内容はほぼ一方的。レアル・マドリーの強さが際立った試合だった。とはいえ、グレミオが弱かったと言うわけではない。グレミオも強かったが、レアル・マドリーはそれをさらに上回った。まさにレベルの高さを痛感せずにはいられない一戦だった。

 しかし、そのレアル・マドリーも、一週間後に行われたホームのクラシコで、バルセロナに0−3で敗れてしまう。頂点の高さ、競技力の高さを魅せられた気がした。E−1東アジア選手権で観戦したハリルホジッチ率いる日本代表の時代錯誤甚だしいサッカーに、目が慣れていたことも多分にある。その影響もあり、よいサッカーを見た感激は倍加することになった。

 とはいえだ。振り返れば、昨年のクラブW杯決勝は、レアル・マドリー対鹿島アントラーズの対戦で、日本は大いに盛り上がっていた。試合は2−2のまま延長にもつれ込む大接戦。セルヒオ・ラモスに一度は2枚目のイエローカードを翳そうとしながら、それを胸ポケットにしまい込んだ主審のレアル・マドリー寄りのジャッジがなければ、大番狂わせが起きていたかもしれない一戦だ。日本サッカー史に刻まれるべき名勝負を、ちょうど1年前、日本人は目の当たりにしていた。

 強者に対して、怯むことなく高い位置からプレスを掛けに行った鹿島。ボール支配率でも39対61と健闘した。W杯本大会で番狂わせを起こす術を、そこに見た気がしたのは、僕だけではなかったはずだ。

 ところが、肝心のハリルジャパンはいま、それとは真反対の方法論で半年後に迫ったW杯に突き進もうとしている。ボール支配を否定。最終ラインからロングボールを大きく蹴り込み、相手に奪われるや、広くスカスカになった中盤を相手に突かれる好ましくないサッカーを展開。北朝鮮、中国には辛勝したが、韓国にボコボコにされた。

 決勝で鹿島と戦うことになったレアル・マドリーに、グレミオ戦と同程度のモチベーションがあったかどうか怪しい限りではある。横浜(2016年大会)とアブダビ(2017年大会)。レアル・マドリーにとって時差、移動距離等、条件的に厳しかったのも横浜だ。結果を額面通りに受け取ることはできないが、韓国に屈辱的大敗を喫したいま振り返れば、それはよい思い出として蘇るのだ。

「ボール支配率重視のサッカーだ」とか、「横パスが多いサッカーだ」とか、Jリーグのサッカーを否定的な目で眺めているハリルホジッチだが、例えば鹿島のボール支配率は、今季のJリーグでは浦和、川崎に次いで第3位だった。優勝した川崎同様、ディフェンスラインの背後に、大きなパスを送り込むスタイルではない。そのサッカーで、オセアニア代表、アフリカ代表、南米代表を下し、決勝に進出した快進撃をハリルホジッチはどう見ていたのか。どう説明する気なのか。自らが提唱するサッカーで鹿島以上の成功を収めれば、多少なりとも説得力は出るが、ハリルジャパンにそうした目を見張るような試合をした過去はない。

 11月のブラジル戦。0−3で折り返した後半、1点を奪い1−3とすると、「もし前半を0−0で折り返していたら、日本は快挙を達成していたかもしれない」と独善的な理屈で息巻いたが、レアル・マドリーに善戦した鹿島と日本代表との間には、天と地ほどの差が存在した。

 E−1東アジア選手権では、韓国に1−4で敗れると、日本には勝ち目がなかったと、韓国の強さをあっさり認め、相手に賛辞まで送った。もし韓国が本当に強い相手だとすれば、逆に腕の見せ所であったハズだ。強者に対してどう戦うか。それは、昨年のクラブW杯に臨んだ鹿島、あるいはロシアW杯本大会に臨む日本代表と同じコンセプトなのだ。