「今までは甲子園しか目標においておらず、勝利至上主義の代表みたいな監督でした。僕みたいな指導者は、甲子園に連れていってナンボだと思ってやってきました」明秀日立(茨城)の金沢成奉(かなざわ・せいほう)監督は自嘲気味にこう話す。事実、それだけの結果を残してきた。明秀日立の監督となって初めて夏の甲子園に出場した金沢成奉氏転機は夏の甲子園大会の中止当時まったく無名だった青森の光星学院(現・八戸学院光星