冤罪はあってはならないことですが、人間が人間を裁いている限り避けられないのも現実です。

無実の罪でありながら、ニューヨークで起きた殺人の罪で刑務所に18年間服役した男性が、海外掲示板で質問を受け付けていました。

 

本人からの投稿文は以下のもの。

「1995年に、他の5人と一緒に殺人罪で逮捕された。全員有罪となり、25年〜無期懲役の判決を受けた。全員が最初から無実を主張していたが、僕は1度もあきらめなかった。刑務所の中で自分で調査し、すでに服役をしていた真犯人を見つけることができ、冤罪を証明することができた。
ようやく2年前に、18年の服役をした僕たち6人は釈放された。テレビでも自分のことについてNBCが放送している。
(SNEAK PEEK: 'A Bronx Tale' - NBC News.com)

自分であることの証明に現在の写真。
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聞きたいことがあれば何でもどうぞ。」

Q:なんてキツい話でしょうか。そんなことは想像もつきませんが、失った人生の支払いを受けるというのは可能なのですか?
A:失った時を取り戻すのに、十分な支払いなんてものはない。

Q:おかえりなさい。もう2度と釈放されることはないとあきらめたことはありますか?
A:2度とそこから出られないと毎秒思った。だけど、どうにか楽観的に考えて、そういう日がいつか来ると信じないといけなかった。

Q:人生から遠ざかっていたことについてはどうですか? 自分について何か変わったところはありますか?
A:まわりの世界が変わったように思う。社会に適応させていくのが困難に感じている。元に戻していくのに少しずつ進まないといけないと思っている。

Q:友人や家族で、あなたを信じてくれた人はいますか?
A:多くの親類が実際に僕を有罪だと思い、見捨てた。現在は真実を知り、過去の誤った判断を修正しつつあるようで、それを僕は受け入れている。

Q:自分を有罪と思われたことで肉親を恨んでいますか?
A:いいえ、よくあることで、いったん被告側のテーブルに座ると、みんなが疑い始めるんだ。

Q:罠にかけられたということですか? あるいは判断ミスによるものだったのですか? 1人の殺人で5人も有罪を受けたのが変に思えるので。
A:自分はその両方だと思っている。

Q:他の服役囚が質問してきたら、自分は無罪であると言っていましたか? もしそうなら相手はどんなリアクションでしたか?
A:話した相手全員に、自分は無罪だと言っていた。実際に事実が判明するまでは、リアクションはいろいろ。

Q:刑務所では多くの人が無実だと言ってますか。あるいは本当のことを言うものですか?
A:有罪の人は驚くほど本当のことを言うよ。

Q:真犯人はあなたと何らかの関係がある人でしたか? 逮捕前に知り合いだったとか、つながっていたとかはありますか?
A:個人的には知らないが、近所の人ではあったようだ。

Q:テクノロジーの発達で、一番のショックは?
A:携帯電話!

Q:そんなに長く刑務所にいた後、今の世界で一番ショックを受けたことは何ですか?
A:若者だね。サブカルチャーが変わったこと。ピアスやタトゥーを入れていることや、パンツを下げて履いていること。

Q:有罪宣告では、どんな証拠を突きつけられたのですか?
A:嘘の目撃証言をされた。彼女は麻薬中毒者でホームレスだった。彼女は僕たち全員がタクシーから出るところを見たと言った。科学的な証拠は一切なかった。指紋も何も。

Q:その(若い)肌をどうやって保っていたのですか。
A:生のアロエを食べたよ。

Q:戦い続けたその強さがすごいと思います。5人の仲間がいたことは助けになりましたか? お互いに協力しあいましたか? 自分たちは珍しいケースだと思いますか、それともこういうことは頻繁に起きていると思いますか?
A:仲間とはバラバラだった。刑務所では一度も会ったことはないよ。手紙は書いたけど。こういうことはしょっちゅう起きていると思う。みんなが考えているよりも。

Q:自殺を考えたことはありますか?
A:何度もあった。控訴を全部却下されると、一生そこから出られないと思い始めるんだ。殺人罪の場合、仮釈放されることはほぼないからね。そうすると楽になるのは死ぬことだと思い始める。だけど自分のどこかで戦い続けなければいけないと思った。

Q:なぜ釈放されるまでにそんなに時間がかかったのですか? 再審議されたのが最近ということでしょうか。あなた自身による調査が再審議のきっかけですか?
A:自分で調べて、刑務所の中で真犯人にたどりついた。米連邦地検が関係していて、やっとブロンクスの裁判所が真剣に取り扱ってくれた。

Q:全ての人を憎んだりしませんでしたか? 正気でいるために、何らかの心の平安はありましたか。
A:全員を憎んでも何もいいことはない。それはもう自分ではないから。

Q:釈放後の最初の食事は何でしたか? それはどうでしたか?
A:最初の食事はラムチョップとチーズケーキ。もう、まるで初めて食べたときのようにすばらしかった。

Q:法のシステムで、何か1つ提唱したいことがあるなら、それは何ですか?
A:証拠を隠ぺいしたりする検察や刑事に、その責任を取らせること。

Q:あなたを起訴した検察官と話をしましたか? あなたの今の状況について何と言いましたか?
A:この事件の検察官は、別の殺人事件の裁判中に心臓発作で亡くなったらしい。

Q:刑務所を出たら一番したかったことは何ですか?
A:ラム・チョップを食べたかった。

Q:釈放されたときは何と言われましたか?
A:何も言われなかった。僕の控訴すべてに対抗してきた女性の検察官のところに行き、「ついに往年の宿敵に会えることがうれしい」と彼女の手を取って言った。彼女は多くの戦いには勝ったけど戦争には僕が勝った。彼女が恥ずかしさに頭を下げたような気がした。

Q:他の5人も刑務所内では調査などをしていましたか?
A:僕の知る限りはしていない。

Q:刑務所ではひどい扱いを受けましたか?
A:18年間、180x245cmのスペースで寝なければならず、生活は刑務官からの命令で成り立ち、1日に3度立たされ、まるで家畜のように数えられる。

Q:いったい刑務所からどうやって調べるのですか? とても難しそうだけど。
A:困難だった。僕は情報自由法“FOIA”を利用した。手紙もたくさん送った。何年も却下された。ようやく2012年に、1つの書類によって全ての事件を再審議することになり、真犯人を究明できた。
(FOIA“Freedom of Information Act”情報の自由法。アメリカの情報公開法。政府情報の原則的公開を取り決めたもので 1966 年制定)

Q:刑務所で暴行などの被害にあったことはありますか? 他の服役囚や刑務官とはどうでしたか?
A:ほとんどは一人でいた。頻繁に法律図書室にいた。いろんな人に読み書きは教えた。書き取りクラスでも教えた。自分をできるだけ忙しくしていた。刑務所に入ったときは小6の教育レベルだったが、出るころには行動科学の学士を取得した。

Q:差別主義がこの冤罪の原因になったと思いますか?
A:差別主義ではなく、これはきちんとした弁護士を雇えないというが問題だと思う。

Q:刑務所で見た、一番クレイジーなことはどんなことですか?
A:ある日、通りかかった監房で男が首をつっていた。

Q:真犯人を見つけてから、どれくらい刑務所にいなくてはいけませんでしたか?
A:約8か月。

Q:その強い意志に敬服します。服役中、一番恋しかったものは何ですか?
A:娘。生まれて1週間で引き離されたので。今、彼女は19歳になった。

Q:ベンチプレスは何回できますか?
A:315回。ついでにスクワットは430回。

Q:服役したという汚名はかなりきついものですか? 職探しなどに影響しますか?
A:金銭的な信用や住宅について困難を抱えている。アパートを新しく借りたが、何の信用もないので1年分も家賃を前払いしなくてはならなかった。仕事はブロンクスでジュースバーを開いて、毎日そこで働いている。

Q:そのウェブサイトとかシャツとかありますか? 買います。
A:これがFacbookのページ。(Fresh Take Juice Bar)

Q:5年後は何をしていると思いますか? 18年の刑がなかったら何をしていたと思いますか?
A:5年後は行政で働く自分を考えているよ。何かを変えたいと思ったら、外からではなく中から叫ばなくちゃいけない。18年服役してなかったら……わからないな。違ったと思うよ。


もともとは1995年にニューヨーク起きた強盗殺人事件で、偽りの目撃証言によりエリック・グリッソン氏を含む6名が、冤罪により服役していたというものです。

18年という月日はあまりに長く、無罪を勝ち取るまでの苦難は想像もできませんが、冤罪の恐ろしさや理不尽さの一端を感じ取ることができるかと思います。

I spent 18 years in prison for a murder I didn’t commit.

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