三鷹天命反転住宅の外観。カラフルな色彩、丸や四角い形が目をひく(写真提供:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所) © 2005 Reversible Destiny Foundation. Reproduced with permission of the Reversible Destiny Foundation.

思わず足を止めて眺めてしまうような、街中にある少し変わった形をした物件ーー。

いったいなぜ、そのような形になったのか。そこには、どんなドラマがあり、どのような生活が営まれているのか。

連載「『フシギな物件』のぞいて見てもいいですか?」では、有識者や不動産関係者に話を聞き、“不思議な物件 ”をめぐるさまざまな事情に迫る。

街中に突如現れるカラフルな建物

東京都の多摩地域東部に位置する三鷹市。都心に出やすい立地である一方で、仙川や神田川などの川が流れ、井の頭公園や国立天文台・三鷹キャンパスといった自然豊かな場所も多い。2001年には「三鷹の森ジブリ美術館」が開館し、海外からも人が集まる街である。

そんな東京・三鷹市に、フシギな物件がある。

中央線の武蔵境駅からバスで8分ほど。大通りに面した敷地に、丸や四角の色鮮やかなブロックが積み上がった印象的な集合住宅があった。

見た目もフシギだが、扉を開けた部屋の内部は驚きと混乱で満ち溢れていた。

【32枚の写真を見る】「三鷹天命反転住宅」の図面と圧倒される建物内部の写真


三鷹天命反転住宅の部屋の内部(写真:筆者撮影)

この家の名は「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller(イン メモリー オブ ヘレン・ケラー)」。

「天命反転」とは、不可能だったことが可能になるかもしれない、天命を反転させることができるという考えだ。まさに天命反転を実践し、視力と聴力を失っても、人間の無限の可能性を切り開いたヘレン・ケラーを制作上のモデルにしている。

手がけたのは、ニューヨークを拠点に活動した芸術家の荒川修作さん(1936〜2010年)と、荒川さんの公私にわたるパートナーで詩人のマドリン・ギンズさん(1941〜2014年)。2005年に竣工し、荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所(株式会社コーデノロジスト)が管理・運営をしている。今回は支配人の松田剛佳さんを訪ねて、部屋を案内してもらった。

ユニークな部屋の間取り

三鷹天命反転住宅は A棟、 B棟、C棟の3つに分かれ、それぞれ3階建てだ。賃貸住宅のほか、見学会や民泊としても活用されている。今回、見学したのは3LDKの「気配コーディネーティングの部屋」である。

部屋に足を踏み入れてまず目に入るのが、部屋の真ん中にあるダイニングキッチンだ。


部屋の内部。キッチンの調理スペースはほかより数段下がっている(写真:筆者撮影)

キッチンがある部屋を囲むように、四角い部屋や球体の部屋、まるい筒状の部屋が配置されている。大きさの異なる窓があちこちにあり、雨が降って暗い日も室内に光が差し込む。


三鷹天命反転住宅の平面図。約60平方メートルの3LDKタイプと、約52平方メートルの2LDKタイプがある(図:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所提供)


三鷹天命反転住宅を北側から見た立面図。丸や四角のユニットの配置を把握できる(図:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所提供)

部屋を見渡しながら驚いたのは、”家の常識“とされるものがないことだ。

この部屋には、玄関以外に扉がない。シャワーブースに仕切りとカーテンが付いているものの、個室にも、トイレにもドアがない。


シャワーブースの奥に隠れるようにトイレがある(写真:編集部撮影)

トイレは、手前のシャワーブースが目隠しとなり、周囲から見えないようになっている。

収納もほぼない。しかし見上げると天井に多数のフックがあり、ハンガーなどを使って吊るす収納ができる。


天井のフックに長いS字フックを引っ掛け、バッグや服などあらゆるものを吊るすことができる(写真:筆者撮影)

黄色い世界が広がる球体の部屋

住宅に対する常識が覆されていくなかで、筆者が最もワクワクしたのはこの球体だ。丸くくり抜いたような空間で、足元は傾斜していてツルツルすべり、バランスをとるのが難しい。

寝そべると、目の前が一面黄色になり、声を出すと大きく響いた。色や音に包まれるような気分になる。扉がなくても、どこかほかの部屋との境界を感じることができて、ひとりだけの世界を堪能できる。


案内された「気配コーディネーティングの部屋」にある球体の中は黄色で塗られている。吸い寄せられるように足を踏み入れた(写真:編集部撮影)

床も、普通の家の床とはまるで異なる。うねって高低差があり、立つ位置によって見える景色が変わる。表面は凸凹して歩きにくいが、歩く感触の違いが面白い。室内には登れるポールがあり、久しぶりにのぼり棒を登ってみたが、身体が重く感じて思うように登れなかった。


凸凹し傾斜した床。家具を置くことにも制限がある(写真:編集部撮影)

室内で過ごしながら、身体をおおいに使っていることに気がついた。視覚や聴覚、触覚も、普段よりも研ぎ澄まされている。なぜこのような住宅ができあがったのだろうか。

松田さんは「身体を中心に建物ができている」と表現する。

この三鷹天命反転住宅を手がけた荒川修作さんは、愛知県名古屋市に生まれ、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学後、前衛芸術作家として芸術活動を始めた。1960年には吉村益信さん、篠原有司男さん、赤瀬川原平さんらと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成、若きアーティストの一人として注目を集める。

さらなる飛躍を目指した荒川さんは、1961年にアメリカ・ニューヨークへ渡った。翌年には生涯のパートナーとなる詩人のマドリン・ギンズさんと出会い、共同制作を開始。60年代〜80年代にかけて、荒川さんは日本を代表する美術作家として美術館やギャラリーで作品を発表してきた。

そして芸術活動と並行して、荒川さんとギンズさんは「身体」で体験できる建築の世界に関心を寄せ始める。

1995年に岐阜県・養老町に「養老天命反転地」をつくり、長年の構想を実現した。

約1万8000平方メートルの広大な敷地には、人間の平衡感覚や遠近感を混乱させる仕掛けがさまざま施された。筆者も現地を歩き、視覚的な錯覚や不安定な感覚を味わった。ここまで身体の感覚に意識が向いたのはいつぶりだろうか。


養老天命反転地の「楕円形のフィールド」に立つ(写真:筆者撮影)

養老天命反転地は完成後大きな話題となったが、荒川さんとギンズさんはあることに気づく。それは「養老天命反転地が非日常の体験ができる場である一方で、日常を退屈なものだと感じさせる場にもなってしまう」ということだった。養老天命反転地もほかの遊園地も同じで、そこでの体験が楽しければ楽しいほど、家に帰ってきたときに日常との差を感じてしまう。

荒川さんとギンズさんは、家に帰ってからも楽しめる「日常空間をつくろう」と決意。それが住宅づくりのスタートだった。

三鷹の地を選んだ理由

ちなみに「三鷹」を選んだ理由はあるのだろうか。

土地探しのときからスタッフとして関わっていた松田さんは、「荒川とギンズは『日常空間に日常生活の場としてつくろう』とよく言っていて、ほどよい生活感があり、生活の場として認知されているエリアで探しました」と振り返る。

そこで予算などの条件に合ったのが三鷹市のこの地だった。松田さんは「なぜ、避暑地や別荘地など風光明媚な場所につくらなかったのか」と聞かれることもあったというが、日常生活が感じられる地域だからこそ、三鷹を選んだのだ。


東八道路沿いに建つ三鷹天命反転住宅。この地に建って20年を迎える(写真 撮影:加藤健、提供:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所) © 2005 Reversible Destiny Foundation. Reproduced with permission of the Reversible Destiny Foundation.

三鷹天命反転住宅を建てるにあたって、荒川さんとギンズさんの世界観を、どのように実現したのか。

流れとしては、まず荒川さんとギンズさんが考えたイメージをもとに、荒川+ギンズのニューヨーク事務所の建築スタッフがデザインに起こして設計図を引いた。企画段階から安井建築設計事務所も関わり、法規制や構造に合わせた実施設計を行った。施工は竹中工務店が担当した。

基礎工事は2005年1月に始動。球体や四角いユニットは工場で制作され、現場で取り付け工事が行われた。突如出現した、球体や立方体、円形の筒が重なる巨大な物体に、現場も近隣の人も驚いたという。

「コンクリートの物体がドーンと建ったので、皆さんびっくりしたようです。建築の構造がお好きな方もたくさん見に来ていました」


外廊下も色鮮やか。何色もの色が目に飛び込んでくる(写真:筆者撮影)

建物に用いられているカラーは14色。パネルにペンキを塗り、屋外でも色の見え方の確認を重ねたという。

砂浜のような床が出来上がった背景

内部の工事では、荒川さんとギンズさんのイメージを形にするために、まず1つの住戸を試作室とし、トライアンドエラーを繰り返した。その後、ほかの部屋に応用していった。


砂浜のような凸凹とした床(写真:筆者撮影)

ユニークなのは、先にも述べたうねる床のつくり方だ。図面で凸凹を表現することは難しい。部屋に実際の砂を敷き詰め、荒川さんの立ち会いのもと、左官職人と確認しながらつくっていった。

「荒川は“歩くことを意識する”というキーワードで、当初は大きなうねりのある形状を想像していたようです。しかし現場の職人さんから、足の裏で掴みやすい小さな凸凹はどうだろうと提案をもらいました。職人さんが自主的にコテもつくってくださり、凸凹の形を見せたところ、荒川は『面白い!ぜひやろう』と。このように仕上げに向けてのディテールは、1つひとつ現場で決めて進めました」

荒川さんはニューヨークから頻繁に来日し、現場に立ち会った。キッチンカウンターの高さ、室内に塗る色など、細かなところまで確認を重ねた。

2005年8月に外壁が塗られ、9月には敷地内に樹木が植えられた。そしてこの年の10月、ついに「三鷹天命反転住宅」は完成したのである。施工費は、2005年当時で3億9000万円だった。

どんな住人が住んでいるか聞いてみると「もの作りをしている人が多い印象ですね」と松田さんは語る。

「ここでの体験をすごく大事にしてくださり、ご自身の創作のきっかけにしてくださる方もいらっしゃいます」

スマートニュースのファウンダーの鈴木健さんや、独立研究者の森田真生さんも元住人のひとり。三鷹天命反転住宅のイベントで当時の思い出を語っている。

「荒川とギンズは、住人の皆さんと頻繁にコミュニケーションを取っていました。彼にとってここはある種、実践の場。どんなふうに暮らしているかをよく聞いていました。FAXでやりとりするのが好きな2人に、住み心地を書いて伝える住人の方もいらっしゃいました」

ドキュメンタリー映画にした住人も

なかには、インタビュー映像で伝えた住人もいる。映画監督の山岡信貴さんは、住人を撮影して映像を編集し、荒川さんとギンズさんに送ったという。その後、ドキュメンタリー映画『死なない子供、荒川修作』として、劇場でも公開された。

筆者も鑑賞し、一般的に考えられる快適さとは異なる住居で、それぞれ自由に創造しながら生活を送る様子が伝わってきた。やはり固定観念が覆される暮らし方で面白い。


三鷹天命反転住宅にある荒川+ギンズ東京事務所の室内。球体の部屋はオレンジがかった色で、ブランコやクッションが見える。手前のポールはマガジンラックとして活用(写真:筆者撮影)

ちなみに、5年ほど前から暮らしている妖怪絵本作家の加藤志異さんは、意外な発見として「五感の解像度が上がる」と話してくれた。

「自分の気配と他人の気配がまざって、不思議な雰囲気をつくりだす。子どもと猫は走りまわって、この家を楽しんで使いこなしています。寝ていると反響して、自分の呼吸音が外から聞こえたり、毎日驚きと発見があります」(加藤さん)

賃貸の家賃は16万〜18万円前後。

竣工後、「住宅を見たい」と訪ねてくる人が増えたことから、2007年に見学会をスタートした。民泊も行っており、3泊4日で1人6万7000円からプランが用意されている。これらは荒川さんとギンズさんが大切にしていた「体験」の場になっている。

筆者も見学会に参加し、参加者の年齢層の広さに驚いた。各々、裸足になって歩き、球体の斜面で寝そべり、キッチンや洗面台に立って暮らしをイメージする人もいた。子どもから年配の人まで建物を楽しむ姿が見てとれた。

日常の大切さに気づかされる住宅

「楽しいとか、ここが嫌だなどの反応は、住宅で体験するからこそ感じるものです。この住宅は突拍子もない指標みたいなものです。自分が想像できなかった生活スタイルがあり、家に対する見方や、生活も変わります。日常がどれだけ大切かを気づける場であることが、三鷹天命反転住宅の楽しさのひとつなのかもしれません」(松田さん)

2025年は三鷹天命反転住宅が20周年を迎える記念の年だ。3月に三鷹市美術ギャラリーで荒川さんとギンズさんの展覧会の開催が予定されている。

2人の芸術家の構想をかたちにした「三鷹天命反転住宅」。フシギな空間に足を踏み入れると、身体の感覚や思考を意識する思いもよらない体験が待っているだろう。

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三鷹天命反転住宅の屋上には植物が植えられている(写真撮影:中野正貴、提供:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所) © 2005 Reversible Destiny Foundation. Reproduced with permission of the Reversible Destiny Foundation.

(鈴木 ゆう子 : ライター)