ボールはイスラエルの手に?イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相(JeenahMoon/Bloomberg)

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イランによる弾道ミサイルが着弾したイスラエルの施設(写真:ロイター/アフロ)

ゲームのルールが完全に変わったーー。イランがイスラエルの空軍基地や対外情報機関モサド本部を狙い、約200発の弾道ミサイルを発射し、数十発が着弾した。

イランは4月にもイスラエルを弾道ミサイルなどで攻撃しているが、今回は迎撃がより困難な弾道ミサイルを短時間に集中してイスラエルの治安関係の中枢に発射。「報復する」というショー的な要素が大きかった4月の攻撃よりも実質的な打撃を狙ったものだ。

今回の攻撃によりイランは直接的にハマスとイスラエルの戦いであるガザ戦争に関与することになり、イスラエルとの全面戦争もちらつく。イスラエルの報復は確実視され、核施設が報復対象になれば、イランはより破壊的な攻撃を行う可能性があり、全面的な戦争に発展する可能性が一段と高まりそうだ。

なぜこのタイミングでの攻撃になったのか

7月末にハマスの最高幹部イスマイル・ハニヤ氏がテヘランで暗殺された後、イランの最高指導者アリー・ハメネイ師は報復を宣言していたが、大方の予想に反して踏みとどまっていた。

舞台裏では全面戦争をおそれるアメリカやヨーロッパ諸国がイランに報復を思いとどまらせるよう活発な外交工作を展開。その代わりにイラン側にガザ地区やレバノンでの停戦を実現することを確約していた。イランとしても、イスラエルとの全面戦争は望んでおらず、軍事圧力で停戦という成果を引き出すことでハニヤ氏暗殺問題の落とし所を探ろうとしていた。

ところが、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は停戦を拒否。ポケベルやトランシーバーに仕掛けられた爆発物が一斉に爆発して約40人が死亡、3000人以上が負傷したほか、レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラへの攻勢を強めた。

さらに、イランが支援する中東各地の対イスラエル抵抗勢力の中でも最もカリスマ性を誇るヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師を、本部地下施設への地中貫通型爆弾(バンカーバスター)による空爆で殺害した。

「大きな賭け」に出たイラン

イランの外交・軍事戦略の根底にあるのは「戦略的な忍耐」である。西側諸国による経済制裁下にあるイランと、アメリカと強固な同盟関係にあるイスラエルを近代的な軍事装備の面で比較すれば、その差は歴然だ。

イランは、イスラエルと真正面から衝突するのは得策ではないとの判断の下、匿名性の高い攻撃や民兵勢力を使った「非対称戦争」を仕掛け、4月の直接攻撃以降もこうした枠組みの中での戦いに収めようと努めてきた。

しかし、耐え忍んでいる間にイランは対イスラエル戦略の要であるヒズボラの指導者を失い、最大20万発といわれたヒズボラのロケット弾や、ミサイルの約半数がイスラエルにより無力化されたと伝えられる。

ヒズボラやハマスなど対イスラエル抵抗戦線の首領であるイランは、メンツを潰されたことから自制してきた報復を実施せざるを得なくなるとともに、ヒズボラの弱体化を招いているイスラエルの攻勢に歯止めを掛けるための抑止力の確保を狙い、大きな賭けに出た格好だ。

だが、イスラエルの決意も固い。ガザ戦争でパレスチナ人の死者が4万人を超し、ガザ地区が壊滅的な被害を受ける中、イスラエルは相手が屈服するまで大規模破壊を伴う軍事力を段階的に増大させる戦略を採用している。国際世論を重視せず、軍事力行使のハードルは大幅に下がっている。

イスラエルは先月、ロケット弾やミサイルによる攻撃を続けるヒズボラに対し、避難生活を余儀なくされている6万人を超すイスラエル国民の自宅帰還をガザ戦争の目標に加えることを閣議決定している。

「テロの首謀者」であるナスララ師を殺害するのは当然との認識で、イスラエルはイランが報復してくるのは自国の安全保障問題への直接的な介入と受け止めている。

これまではイランがヒズボラを支援して間接的な形でイスラエルと対決してきたが、イランがイスラエルに報復攻撃を行ったことにより、ゲームのルールは完全に変わった。

イスラエルは石油施設を標的にする可能性

ただ、イランとしてはこれ以上のイスラエルの横暴を許さないためにも抑止的な効果を狙ったもので、イスラエルと全面対決する構えはないとのメッセージを送っている。イランのアラグチ外相はXへの投稿で、「イスラエルがさらなる報復を決断しなければ、われわれはこれ以上の行動をしない」と牽制している。

もっとも、イスラエルの報復があるかどうかよりも、その規模や対象がどうなるかという問題になっており、アメリカのジョー・バイデン大統領も報復そのものを自制するよう求めておらず、報復は不可避だ。

報復の内容として、最も激しいものは核施設への空爆が挙げられる。イスラエルは4月の報復で、イラン中部イスファハン州の核関連施設を守るレーダーサイトを標的にしたとされ、核施設攻撃の可能性を視野に入れていることは間違いない。

核施設への攻撃はイランとの全面戦争を招きかねないことから、バイデン大統領は核施設を攻撃しないようイスラエルに呼び掛けている。イスラエル当局者は『タイムズ・オブ・イスラエル』紙に対し、報復は「大規模な財政的損失」を及ぼすものになると言明している。イランは石油輸出などが歳入の約2割に上るため、イスラエルは石油関連施設を標的にするのではないかとの見方が出ている。

イランは長年、イスラム宗教指導者が率いる現体制への不満を原因とした反体制運動に悩まされており、石油関連施設など重要インフラへの攻撃を機に国民の不満がさらに高揚することも考えられる。ハマスやヒズボラの問題に首を突っ込み、イスラエルと戦争状態になるのは迷惑との認識が国民の間では根強いためだ。

改革派のペゼシュキアン大統領が誕生し、外相にも現実派のアラグチ氏が登用されている。アラグチ氏は在日大使時代、イランからアメリカに対してアフガニスタン問題でイスラム主義勢力タリバンに関する治安関係の情報を提供して秋波を送ったが、返答はなかったと筆者に明かしている。

ハメネイ師やイスラエルに対する強硬路線を主張する革命防衛隊と、改革派のペゼシュキアン政権の間で対立が深まる可能性を指摘するイスラエル識者も存在する。ハメネイ師はイスラエルによる暗殺を恐れて安全な場所に避難したとされるが、改革派政権との亀裂など不安材料は国内にも少なくない。

石油施設が標的にされたらどうなるか

イスラエルが石油関連施設を標的に報復を実施すれば、イランとしてはさらなる報復を検討せざるを得ないだろう。イランは今回の攻撃で、3カ所のイスラエル軍基地とヒズボラ暗殺作戦が練られたとされる商都テルアビブ郊外にあるモサドの本部を狙っている。イランのミサイルが正確に標的を狙える能力に欠ける上、イスラエルの世界最高水準の防空システムが効力を発揮し、被害は限定的だった。

イランは、民間施設を狙わないという「レッドライン」を越えていないが、イスラエルがイランの石油関連施設に大規模な報復攻撃を加えれば、イランによるイスラエルの都市やインフラへの攻撃も現実を帯び、報復合戦の応酬から全面的な戦争に発展する危険性が一気に高まりそうだ。

(池滝 和秀 : ジャーナリスト、中東料理研究家)