会見に出席した植草歩。会見冒頭、目を真っ赤にして涙を流すシーンも【写真:中戸川知世】

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都内で引退会見、9月から日体大柏高で監督に就任

 東京五輪の空手・女子組手61キロ超級に出場した植草歩が24日、都内で現役引退会見を開いた。全日本選手権4連覇、世界選手権優勝など輝かしい実績を誇る32歳。空手が東京五輪で正式種目に採用される可能性が浮上した頃から、競技普及にも大きく貢献してきた。「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」の愛称もつけられた人気者だが、その裏では体に異変が出るほどの大きなプレッシャーとも戦っていた。

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 会見場、植草の背後に掲げられた横断幕には「皆さんの応援で成長できました。ありがとうございました」の言葉が記されていた。涙あり、笑顔ありの約50分。発言にも、競技への思いが溢れた。

空手は自分を成長させてくれたもの」と断言する。人口およそ6万6000人の千葉・八街市出身。「映画館も未だにない。木に登ったり、昔ながらの遊びをして育ってきた」と笑うが、強くしてくれた関係者には感謝してもしきれない。

「子供の頃から指導してくれた先生方、関わってくれた方々のおかげ。たくさん怒られたこともあったし、勝っても負けても自分はたくさん泣くんですけど、いろんな経験をさせてもらえた」

 2000年、小学3年生で始めた競技。大学を卒業したら辞めるつもりだったが、東京五輪で正式種目入りの可能性が浮上。オリンピックムーブメントに大きく貢献することになる。多数のメディア出演を果たす一方、2015年からは全日本選手権4連覇。16年の世界選手権も制し、新種目の金メダル候補として期待されるまでになった。

 愛らしさから「空手界のきゃりー」とメディアに呼ばれ、人気を博したが、心は弱かった。「元々ネガティブな選手。負けたらどうしよう、私なんて……と」。五輪の正式種目入りが決まった後、当時出会ったトレーナーに「植草は二流の選手だ。一流にならなければ、五輪で勝つこともできない」と言われ、心を入れ替えた。

 一生懸命なのは空手に対してだけ。食事やトレーニング、メンタル面には無頓着だったが、意識を変えてからはスクワットで150キロを持ち上げられるほどにまで成長。「女性ではやらないようなトレーニングもやって、誇りにも自信にもなった。サポートがあったから自分自身のマイナスの部分がポジティブにとらえられたり、苦しい時に立ち向かえることができた」。ここまで歩んできた道は誇りだ。

オリンピックレースで体に異変「顔はニキビだらけ」

 世界のトップで戦ってきた植草だが、オリンピックレースで体に異変も生じていた。世界選手権とは全く違った緊張感。「その時の顔はニキビだらけに。今はストレスがないのでニキビがほぼないんですけど」。各国の競技力も上昇する中、知らず知らずのうちにナーバスになっていた。

 金メダル候補として期待された東京五輪では、まさかの7位。今になってその特別さが身に染みる。

「4年に一度の大会は普通に強いだけでは勝てない、異常なものだと感じました。いろんな大会で優勝しましたけど、五輪のような空気の大会は一度もない。特別な場所だったんだなと思っています」

 負けで終わりにしたくない。そんな思いから現役を続行し、23年には4度目のプレミアリーグ年間王者に輝いた。現役引退を決断したのは今年になってから。1月の大会で、試合前にいつも感じる緊張感も、負けた後の悔しい気持ちも沸き立たなくなった。「競技を続けるのは難しい」。日本代表選考も辞退した。

 最後の試合は7月、フィリピンで行われた国際大会・守礼堂カップ。優勝で締めくくった。9月からは日体大柏高の監督に就任。モデル、メディア出演などにも意欲的だが、第一の目標は指導者として日本一の教え子を生むことだ。

「32歳まで競技を続けて、これからも指導していくということは、きっと空手が好きだからこそ。もっと空手を広める活動にも重きを置いてやっていきたい」。会見を終え、頭を下げる植草を出席者が温かく送り出す。何気ないシーンにも、周囲に愛されるその人柄が透けて見えた。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)