写真/産経新聞社

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 ドジャース大谷翔平の打棒が留まるところを知らない。
 大谷は、現地22日(日本時間23日)のロッキーズ戦で、1点を追う9回裏に先頭打者として打席に入ると、右中間へ起死回生の同点弾。これで球場のボルテージが最高潮に達すると、直後にムーキー・ベッツが左翼席へ今季19号を放ち、ドジャースが劇的なサヨナラ勝ちを収めた。

 大谷はこの一撃で今季の本塁打&盗塁を「53-55」として、「55-55」は時間の問題。「60-60」でさえ、十分視界に入ってきた印象だ。

 また、先週の7試合で32打数16安打(打率.500)、6本塁打、17打点、7盗塁という圧巻の成績を残した大谷は文句なしの週間MVPも受賞。この勢いでチームをリーグ優勝に導き、いいリズムでポストシーズンへと入っていきたいところだろう。

◆先発投手陣は崩壊の危機に…

 大谷の神がかり的な活躍で9月の成績を11勝9敗としているドジャースだが、すべてが順風満帆というわけではない。特にポストシーズンで最も重要となる先発投手陣は崩壊の危機に陥っている。

 8月中旬には、エース格のタイラー・グラスノーが右肘腱炎を発症し、負傷者リスト(IL)入り。今月に一度は復帰のプランもあったが、今季中の復帰は絶望と伝えられている。

 また、今季11勝を挙げブレイクした2年目のギャビン・ストーンも右肩の炎症でILに入っており、こちらもポストシーズンを含めた今季中の復帰は難しそう。

 計算が立つのは今月10日に戦列復帰した山本由伸と、7月下旬にタイガースから移籍してきたジャック・フラーティくらい。ただし、エースとして期待が懸かる山本もまだ球数制限を強いられている状況。前回の登板では3イニングを投げて4失点と打ち込まれているのも気掛かりだ。

 そこで思い出されるのが、7月にドジャースが下した“ある決断”である。

◆ベテラン左腕のDFAが分岐点に

 遡ること約2か月前の7月21日。ドジャースはオールスター直後のレッドソックスとの3連戦最終戦に勝利し、見事にスイープを達成。3連勝を決めた試合の先発マウンドに立っていたのは、35歳のベテラン左腕ジェームズ・パクストンだった。

 メジャー12年目にして初めてナ・リーグ所属チームで開幕を迎えたパクストンは、古巣のレッドソックス相手に我慢強い投球を披露。5回を投げ、3失点の粘投を見せると、打線の援護もあり、今季8勝目をマークした。

 その時点で防御率は4.43と安定感を欠いていたものの、8勝2敗で、チームに6つの貯金をもたらしていた。ところが、負傷していた先発投手陣の戦列復帰にメドが立ったことに伴い、翌日の22日に事実上の戦力外通告(DFA)を受けてしまう。

 結局、パクストンは4日後にトレードでレッドソックスに移籍したが、新天地での3試合目の登板で負傷し戦線を離脱中。今季いっぱいで現役を引退する意向もすでに発表済みだ。

◆9月の先発投手陣の防御率は6点台に…

 そんなパクストンを放出したドジャースは、先発ローテーションの頭数がそろったはずだった。ところが、その後に再び負傷者が続出し、今に至っている。
 パクストンがドジャースのユニホームを最後に纏った7月21日まで、ドジャースの先発投手陣はシーズン防御率3.97と3点台を維持していた。ところが、同投手がDFAとなった22日以降の約2か月間の防御率は4.59と悪化。特に勝負の9月に入ってからは、6.07と悪化の一途を辿っている。

 パクストン移籍前後(〜7/21、7/22〜)と、および9月のドジャース先発投手陣成績を比較すると、以下の通り。

開幕〜7/21 100試合 34勝25敗 防御率3.97
7/22〜9/22  55試合 16勝14敗 防御率4.59
9/1〜9/22  20試合  4勝 7敗 防御率6.07

 一時は投手・大谷の“前倒し復帰”の可能性も取り沙汰されるほど危機に直面しているドジャースの先発投手陣だが、果たしてデーブ・ロバーツ監督に打開策はあるのか。

◆ポストシーズン勝利のカギとなるのは

 また、ドジャースの打線にしても、現在絶好調といえるのは大谷くらい。主軸を担うベッツやフリーマンも、本来の実力からすればまだ物足りなさを感じる成績だ。

 このままではポストシーズンで大谷に真っ向から勝負を挑むチームはないだろう。不調の先発投手陣をカバーする打線のカギは、大谷の直後を打つベッツ、フリーマンが握っているといえそうだ。

 ポストシーズンを勝ち進むためには、先発投手陣の再整備、そして大谷頼りの打線の再構築は必要不可欠となる。ロバーツ監督は、いかにしてこの2つを成し遂げることができるか。レギュラーシーズン残り6試合でその手腕が試される。

文/八木遊(やぎ・ゆう)

【八木遊】
1976年、和歌山県で生まれる。地元の高校を卒業後、野茂英雄と同じ1995年に渡米。ヤンキース全盛期をアメリカで過ごした。米国で大学を卒業後、某スポーツデータ会社に就職。プロ野球、MLB、NFLの業務などに携わる。