「寒い」「暑い」を我慢していないか?(イラスト:ナカオテッペイ)

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「あなたは職場で、“寒い”“暑い”を我慢していませんか?」
そう語るのは、これまでに400以上の企業や自治体等で、働き方改革、組織変革の支援をしてきた沢渡あまねさん。その活動のなかで、「人が辞めていく職場」には共通する時代遅れな文化や慣習があり、それらを見直していくことで組織全体の体質を変える必要があると気づきました。
その方法をまとめたのが、書籍『組織の体質を現場から変える100の方法』です。社員、取引先、お客様、あらゆる人を遠ざける「時代遅れな文化」を変えるためにできる、抽象論ではない「具体策が満載」だと話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「室温を変えにくい職場」の問題点について指摘します。

職場が暑かったり寒かったりする組織

「寒い」「暑い」。そんな声が聞こえる職場もある。
 オヤジギャグが飛び交っているとか、熱量の高い人が騒いでいるとかの比喩ではない。室温の話である。

 実際のエピソードを一つ。
 筆者はかつて東京都内の企業に勤めていて、今では静岡県浜松市で法人を経営している。浜松で仕事をするようになった当初、驚いたことがある。

 職場が寒いのだ。冬場、妙に寒いビルや事務所が多い。東京で仕事をしていた頃には味わったことがなかったため、なおのこと印象深く心に刻まれた。
 仕事の空間のみならず、カフェやレストランも冬場は寒くて隙間風を感じるお店も心なしか多かった。

「冬だから寒くて当たり前」。皆そのような感覚なのか、製造業が盛んな土地だけにコスト削減意識や光熱費を節約する同調圧力が強いのか、いずれにしても冬の職場や居室が寒くて驚いた。

 職場によっては、毛布にくるまったり、分厚いジャケットやコートを羽織って仕事をしている人もいる。慣れない人は我慢大会の会場に迷い込んだのかと一瞬目を疑う。

 誤解を避けるために断っておくが、浜松に代表される静岡県西部地区や隣の愛知県東部は、比較的温暖で年間を通じて過ごしやすい気候である。それゆえに建物の設計や構造、ひいては温度管理も寒さや暑さに無頓着なのかもしれない。

 筆者は2月に北海道(北見市)に出張したことがある。気温は氷点下であるにもかかわらず、どこのオフィスやお店も暖かくて、じつに快適に仕事に集中できた。温暖なはずの浜松に帰ってきて「やっぱり寒っ!」と思ったものである。

じつは皆も、我慢しているかもしれない

 この違和感を現地の人たち数人に伝えてみたところ、「ですよね! 私も職場が寒くて(暑くて)つらいと思っていました」と共感の声が得られた。

 しかし、皆そういうものだと思って受け入れて耐え忍んでいたらしい。

 組織側の光熱費を節約したい気持ちもわかるが、それで働く人たちの生産性が下がってしまったり、ましてや体調を崩したりしては元も子もない。実際、体調不良になり休む人もいる。働く人たちの人権を尊重し、快適な職場環境を維持するのは企業の社会的責任である。

 エアコンの温度設定を変えてしまえばいいのだが、節約意識が強い人に睨まれる場合もある。人によって快適な温度設定も異なるため、あなたが温度を上げた次の瞬間、他の人が下げるなど、静かなる闘いが繰り広げられてしまうことも。

 大型ビルなどで室温設定が集中管理されている場合は、一入居者や一個人の意思で温度を変更できないこともある。なんとも悩ましい。

職場の温度「さえ」変えられなくて、何が変えられるのか?

 あなたの職場は、自由に温度を変えられるだろうか。
「それくらい我慢すればいい」と思うかもしれないが、こういう小さなところからも「自分の意見を主張してはいけない」「みんなが我慢しているなら自分も我慢しなくてはいけない」体質が醸成されてしまう。

 皆同じ環境で我慢して当然。職場は寒くて(暑くて)当然。違和感を口にしない。
 これは製造業的、全体主義的、かつコスト削減主義的マネジメントの悪しき一面でもある。ダイバーシティ&インクルージョンにも逆行する。

 各人の適温の違いから、自分の感覚が正しいとは限らないと気づき、他者へ配慮する意識も生まれてくるだろう。

 なにより自分たちの生産性が上がる「勝ちパターン」を実践し、心地よく成果を出せるようにすることが組織が望んでいることでもある。そのためには主張と行動が必要だ。おとなしく黙っていては何も変わらない。

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