源氏物語の「光る君」が「シャイニング・プリンス」に生まれ変わるまで…翻訳者が明かす意外な工夫

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「源氏物語」は今から100年前、イギリスの東洋学者であるアーサー・ウェイリーによって英訳され、それをきっかけに世界で読まれるようになりました。ウェイリー版「源氏物語」は、今月のNHK-Eテレ「100分de名著」でも紹介され、注目が集まっています。

毬矢まりえさん、森山恵さんの姉妹は、このウェイリー版「源氏物語」を、あらためて現代日本語に訳し直してきました。そして、翻訳の過程でさまざまな発見をします。そうした発見を描いたのが『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』です。

二人はどのようにしてウェイリー版を翻訳したのか、そこにはどのような意外な工夫があったのか。著者自身による特別エッセイをお届けします。

光る君からシャイニング・プリンスへ

沈みゆく金色の夕日が、ゲンジに降り注ぎ、ふと楽の音が高まる、その妙なる瞬間。あまりに美しく感動的で、エンペラーの目もうるみ、皇子や貴公子たちだれもが嗚咽せんばかりでした。(…) 頬を生き生きと紅潮させ、一心に舞う姿は、まさにゲンジ、ザ・シャイニング・ワン。

(『源氏物語 A・ウェイリー版』「紅葉賀」より)

『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』は、『源氏物語』への招待状です。それも紫式部が開く、特別なお茶会。

ヴィクトリア朝のレディ・ムラサキのティーパーティへの招待です。

いまから約100年前、『源氏物語』は世界ではじめて英語全訳されました。

全6巻で、出版は1925年から1933年にかけてのこと。

翻訳したのはイギリス人の東洋学者・アーサー・ウェイリー(1889〜1966)です。

『源氏物語/ザ・テイル・オブ・ゲンジ』は、イギリス、アメリカ、ヨーロッパの読者に、驚きと称賛をもって迎えられました。

「ここにあるのは天才の作品である」

「文学において時として起こる奇跡」

「紫式部は近代小説とも呼べるものを創り出した」

1925年に第1巻が刊行された時の、イギリス、アメリカの新聞書評です。

「光る君」が「シャイニング・プリンス・ゲンジ」となって、世界に躍り出た瞬間。源氏物語は「世界文学」となったのです。

1000年も前に、東アジアの小国で、しかも女性がこのような物語を書いていたとは。

そこに描かれた人間の心の動き、物語の奥行き、そして文章の美しさは、20世紀当時の最新の文学に通じるものでした。イギリス人の作家ヴァージニア・ウルフも、ファッション誌『VOUGE』に書評を寄せ、

「紫式部の筆からは、急ぐことも休むこともなく、また衰えぬ豊饒さで物語が後から後から流れ出ます」

「それにしても美しい世界――この物静かなレディは完璧な芸術家でした」

と称えます。

ウェイリー訳の影響は大きく、各国語に重訳されるなどして世界に広がります。

1940年、日本文学研究者のドナルド・キーンもNYでウェイリー版と出会い、その道を志すこととなりました。偉大なる研究者・著述家の運命を決したのも、このウェイリー訳だったわけです。

現在、源氏物語は30以上の言語に翻訳され、読み継がれています。

ウェイリー源氏との出会い

わたしたち姉妹も『源氏物語』、そしてウェイリー訳源氏に魅了されてきました。

幼いころから百人一首で遊ぶなど、文学少女で古典文学にも親しんだのです。

やがて姉の毬矢はアメリカ留学を経てフランス文学を専攻、妹の森山は20世紀イギリス文学を専門としましたが、そのなかでウェイリー源氏を知ることになりました。

出会ったときは、衝撃でした。100年前の英語で読む源氏物語は、間違いなく平安の世界でありながら、まったく異なる華やかなイメージをもかき立てたのです。

そしてある時。思い立って、これを現代日本語へ再翻訳しない?と二人で決心。そうして、思いついただけでなく、ほんとうに始めました。

3年半毎日毎日、1日10時間。食事をするのも忘れて、没頭しました。

手書きの原稿は原稿用紙にして約7000枚。夢で紫式部やウェイリーと会話するほどでした。こうして完成したのが、『源氏物語 A・ウェイリー版』(毬矢まりえ、森山恵訳、全4巻)です。

共訳とはいえ、わたしたちは分業しませんでした。2人ともに手書きで全訳し、原稿を交換しては推敲し、文章を練り、徹底的に磨きあげていきました。

飽きたことも、やめようと思ったことも、完成できないと思ったことも、一度もありません。それほどウェイリーの源氏物語はすばらしく、流麗で、みやびやか。人物は生き生きとしていました。

一人、孤独に翻訳したアーサー・ウェイリーというひとが、100年前にいたのです。それを伝えたい。この新鮮な源氏世界を知り、楽しんでもらいたい。きっとウェイリーも喜んでくれる。わたしたちはそう信じ、熱中していました。

帝が「エンペラー」になった理由

私たちの訳文の特色として、次の二点についてお話したいと思います。

カタカナを多用したことと、ルビに工夫を凝らしたことです。

勇んで始めた訳業でした。ところが、早くも最初の行で悩みました。

“Emperor”の言葉をどう訳すべきでしょうか。もちろん「帝」「みかど」のことです。けれど、どうもしっくりこない。「天皇」でも「帝」でもないとすると「皇帝」……? わたしたちはなんども話し合いました。

そしてついに「エンペラーがいい!」と決めたのです。エンペラーなら、ローマ皇帝のジュリアス・シーザーをはじめ、ナポレオンや満州国のラストエンペラー溥儀まで、世界史に登場するさまざまな文化のイメージが重ねられます。

そのほかの人物もたとえば「六条御息所」は「レディ・ロクジョウ」に、「葵上」は「プリンセス・アオイ」に、「頭中将」は「トウノチュウジョウ」です。

「御殿」は「パレス」、笛、琴、琵琶はそれぞれ「フルート」「シターン」「リュート」となりました。

またルビにも心を砕きました。さまざまなルビ遣いを工夫することによって、言語、文化の重層性をあらわせる、と考えたのです。

「ワードローブのレディ」という言葉には「更衣」、「ベッドチェンバーのレディ」には「女御」という古語のルビを振るなどしました。

「らせん訳」とは何か

わたしたちは、この「戻し訳」を「らせん訳」と名付けてみました。ドイツの哲学者ヘーゲルのいう「事物はらせん的に発展する」という考えがもとになっています。

「1000年前の源氏物語」⇒「100年前の英訳」⇒「現代日本語訳」

これは同じ「源氏物語」ではありますが、100年前のヨーロッパの文化や歴史を潜り抜けてきたものです。今までの固定観念から解き放たれた新たな源氏世界が、らせんを描きながら蘇ることを目指しました。

本書『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』では、その拙訳の誕生背景、さらに翻訳という言語をめぐる、わたしたちの冒険、発見を描いています。

シェイクスピアやイギリス・ロマン派詩の響きを聞き取ったり、フランスの作家プルーストの文体を見出したり。果ては、膨大な英文のなかから、旧約聖書の言葉を掘り当てたり。わたしたちの日記や会話、創作もはさまれています。

らせん渦巻く宇宙です。

大河ドラマ《光る君へ》から、源氏物語に興味を持った方も、いるかもしれません。

NHKの番組《100分de名著》「ウェイリー版・源氏物語」を見てくださった方も、いるかもしれません。

ウェイリー源氏は「世界文学」としての源氏物語。わたしたちの先入観をゆさぶり、物語を鮮やかに蘇らせ、その普遍性に気づかせてくれます。

「世界文学」としての源氏物語とは、どんなものか。

『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』をとおして、源氏物語をめぐる世界旅行へ、わたしたちと共に旅立っていただけますように!

もっと読む⇒【ウェイリー版「源氏物語」の翻訳者が明かす、千年前の物語が世界で絶賛された理由】では、『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』の冒頭を抜粋してお届けします。

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