《36人が犠牲》遺族取材で警察とマスコミが対立…「京アニ放火事件」で報道が直面した「壁」

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テレビをつけニュース番組にチャンネルを合わせると、小麦色の建物からもくもくと黒煙が立ちのぼる映像が流れていた。

2019年7月18日午前10時半過ぎ。京都府京都市伏見区の住宅街に位置する『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』や『涼宮ハルヒの憂鬱』など数々の人気アニメ作品を世に送り出してきた、京都アニメーションの第1スタジオ。

地上からの映像のあと、やがて中継は空撮に切り替わった。ブルーシートの隙間からストレッチャーで運ばれる人々。消防隊は必死に消火活動を続けているが、それを嘲笑うかの如く炎と煙は衰えを見せない〉(鉄人社刊『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』より)

36人が犠牲となった京都アニメーション放火事件から5年、青葉真司被告は京都地方裁判所で死刑判決を言い渡されたが、不服として控訴している。

どれだけ衝撃的な事件であっても、時間の経過とともに世間の関心は薄れていき、マスコミでの扱いもだんだんと小さくなってしまう──。事件に関わった人々の“声なき声”を掬い上げることはできないのか。登録者数8万超のYouTubeチャンネル『日影のこえ』とノンフィクションライターの高木瑞穂氏は、メディアが伝えない真実を追い求めて取材を重ねてきた。

今年6月には『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)を刊行。千葉小3女児殺人事件、八王子中2女子いじめ自殺事件、目黒5歳女児虐待死事件、大阪姉妹殺人事件など、9つの重大事件を深掘りしている。取材がもっとも大変だったものの一つが、「京アニ放火事件」だったという高木氏。事件取材の裏側を聞いた。

京都アニメーション放火事件は、発生当時、おそらく警察が遺族取材に制限をかけた初めての事件でした。実名報道の可否をめぐり世論の声もあり、警察の発表も遅れた。

そういう前提があって、普段だと遺族コメントの自粛要請についてペーパーで配るだけの警察が、京アニ事件では府警の一課長レクで個別の社に対して遺族取材のあり方について恫喝するような場面もあったといいます。警察の言いつけを守らないなら出禁。そうなると、当然取材の動きは鈍ります。それは容疑者取材についても同じでした。『日影のこえ』のような取材をしていた大手メディアもありましたが、在京の社会部の面々たちは、取材しても取材を仕切る在阪(京都支局、大阪本社など)の社会部に出すなと言われ出せない、という声をよく聞きました。各社よくやっていたはずですが、大手メディアが取材の中で出せている部分は圧倒的に少ないのではとも思います」

大手メディアが制限を受けるなか、高木氏と『日影のこえ』取材班は事件直後から独自に動いていた。実家周りの取材は、映像作家の我妻憲一郎氏が担当したという。

「これは個人的な話になりますが、我妻も私も青葉と同世代で、我妻に関しては郊外のベッドタウンで育ったというところも同じ。旧浦和市もそうでしたが、同じぐらいの築年数の住宅が非常に多いのです。

つまり、青葉が子供のころ、街は急速に発展していった。我妻も同じ環境で、幼少期に街の勢いを非常に感じたといいます。子供の数も多くて、街全体がキラキラしているような感じだったそうです。

しかし青葉の暮らしていたアパートは、そうした明るいイメージの中で取り残されてしまった暗いイメージの建物だった。そのコントラストが印象に残っていると我妻は話していました」

事件直後だけの取材では、「全体像を描くにはほど遠い」。そう感じた高木氏たちは、その後も取材を継続した。その過程で、真実を掴み取る難しさも感じたという。

「最近の事件取材は、地上戦(いわゆる地取り取材)より、空中戦(SNSなどのネット取材)の頻度が高くなっています。しかしこの事件に関しては『余りにも印象が薄かった』『同級生など覚えている人がいなかった』『SNSへの投稿などもなかった』などの理由から、近年の容疑者取材では珍しくほぼ100%が地上戦でした。

自ら青葉について発信したい人がいない場合は、地道に回り続けるしかありません。そして私たちは青葉から聞いたという証言を取り上げたのですが、裁判で誤りが判明したものもありました。裁判前の事件取材の難しさを改めて実感した瞬間でした。

しかしだからといって裁判を傍聴して、それをそのまま書けばいい、それが正しい、とは思いません。多角的な取材でしか見えてこないもの、現場でしか拾えない声があると信じているし、これまでの経験からそう思っています」