集中できないのは私たちの能力低下などではなく、環境が大きく影響していると言います(写真:Ushico/PIXTA)

仕事がなかなか終わらないと、「集中できれば進むんだけどな」「なぜあの人は集中できているんだろう」と思ったことは一度ではないはずです。マッキンゼーや一流外資系企業を経て独立した大嶋祥誉氏は、集中できないのは私たちの能力低下などではなく、環境が大きく影響していると言います。

※本記事は大嶋祥誉著『マッキンゼーで学んだ 時間の使い方がうまい人の一瞬で集中する方法』の内容を一部抜粋・再編集したものです。

私たちは集中力がなくなった?

もし今、街中に田中角栄氏並みの迫力を持った政治家が現れて、演説を始めたとしたら、あなたはどうするでしょうか。立ち止まり、その名演説にしばし、聞き惚れるかもしれません。

しかし、おそらくは数分もすると、チャットやLINEの通知が気になってスマホを見たり、「この人ってどんな人なんだっけ?」とウェブで検索してみたりするのではないでしょうか。

あるいはスマホで写真を撮ってSNSにアップしようとするかもしれません。あるいは、突然の電話に気づいて、その場をそそくさと後にするかもしれません。いくら演説が興味深いものだったとしても、立ちながらじっと話を聞いていられるのは、せいぜい数分というところではないでしょうか。

それに対して、テレビで流れていた田中角栄氏の演説を聞いている人たちは、微動だにせず彼のほうを向き、その演説に耳を傾けているのです。もちろん、あくまで映像で見ただけですから、その後ろには適当に聞き流している人もいたかもしれません。

田中角栄氏の演説が巧みだということも、もちろんあるでしょう。でも、それを差し引いて考えても、当時の人たちはよほど、今の我々よりも集中力、あるいは忍耐力を持っていたように思います。

これだけ見ると、やはり現代の我々は以前に比べて「集中力」を失ってしまっているように思います。かつてのような集中力を取り戻すことができれば、仕事もプライベートも、よほどはかどるようになるかもしれません。

ただ、私が申しあげたいのは別のことです。それは、「現代人は集中力がなくなったのではない。そもそも、集中できなくて当然なのだ」ということです。

その一番の理由は「スマホ」です。スマホを持っていない当時の人たちは、演説がちょっと中だるみしても、他にやることがないから聞き続けるしかありません。でも、今なら携帯をさっと取り出して新しいニュースがないかを見てみたり、SNSに「この演説つまらない」などと書き込むことも可能。スキマ時間を利用してゲームをやることさえ可能です。

そして、演説中だろうがお構いなく、チャットやメール、着信はどんどん入ってきます。このような中で集中して何かをし続けることは、極めて困難です。

現代人は集中できない環境に置かれている

そう、以前は「他にやることがない」から、集中して話を聞くことができた。現代人は昔の人に比べて集中力が落ちたのではなく、そもそも集中できない環境に置かれているから集中できない、ということなのです。

仕事においては、スマホに加えて「パソコン」の普及もまた、私たちの集中力を奪っています。パソコンがない時代には、職場のデスクでおおっぴらにサボるのは気が引けたものです。しかし、今では仕事中であってもパソコンで最新ニュースをチェックすることもできるし、こっそりゲームをすることすら可能です。

加えて、昨今のコロナ禍です。在宅勤務が増え、監視の目がなくなったことで、ますます「なんでもできる」状況になりました。リモート会議中にニュースサイトを見たりするようなことはもちろん、「少しだけ」と思って仕事中にゲームをやっていたらいつの間にか数時間が経っていた、などという人もいることでしょう。

とにかく今の我々をとりまく世界は「情報」が多すぎるのです。しかも、その情報が簡単に手に入る。人間は知的好奇心を持つ生き物ですから、知ることができるのなら知りたいと思うのは当然です。ネットで調べ物をしていて、ついつい関係のない情報まで調べているうちに数時間経っていた、ということもざらです。

それだけでなく、知りたくない情報すらネットニュースやSNSによってどんどん入ってきます。そしてこの「情報過多」は、別の問題も引き起こします。それは「疲れ」です。

情報の疲れが生み出す悪循環

問題は、その疲れを多くの人が自覚していないということです。身体の疲れと違い、情報過多による疲労は目に見えにくいものがあります。眼精疲労も慢性化してしまうと、それに気づきにくくなります。

疲れている状態で何かに集中しようとするけれど、できない。それでも頑張って「集中しよう、集中しよう」と考えて、さらに疲れが増していく――。このような負のスパイラルに入ってしまっている人を多く見かけます。

あなたの集中力の欠如が疲れによるものなのかどうかを知る、一つのバロメーターがあります。あなたは仕事中にふと、「あの問題、どうしよう?」などと急に不安が襲ってきたり、睡眠をとろうとベッドに入った後に急に仕事の不安が襲ってきたり、ということはありませんか。

そして、「もうだめだ」という絶望的な気分になったりしないでしょうか。もし、そんなことが頻繁にあるのなら、あなたは思った以上に疲れていると考えるべきだと思います。つまり、「疲れを自覚して、休む」ことこそが、正常な判断力を取り戻すためには不可欠だということです。

大量の情報にさらされることで、頭はもちろん、特に「目」が疲労します。リモートワークで身体はそれほど疲れないはずなのに、なぜか疲労が取れない。それはひょっとすると情報過多による「頭」と「目」の疲れかもしれません。

こうした疲れは身体の疲れに比べて自覚しにくいため、疲れているのに刺激を求めて、常時オンライン接続の状態で情報の波間を漂い、また疲れる……そんな負のサイクルを繰り返している現代人が、集中できるわけがないのです。

かといって、集中しなくていいと言っているわけではありません。誰もが集中できなくなっている以上、集中が差別化のためのコアスキルであることは、まぎれもない事実です。

「集中」の定義を変えよう

ただ、「集中」というものの定義を変えてほしいのです。おそらく、多くの人が思い浮かべる集中というものは、このように「『集中するぞ!』と決意し、どこか邪魔されない場所にこもり、1時間なり2時間なり、あるいは半日くらいかけ、一心不乱にそれを行う」ということだと思います。

でも、それが実際には今の時代、難しいのは前述のとおりです。そもそも、「長時間集中し続けることは、人間にとって自然なことではない」のです。

「人間の集中力はどれだけ保てるのか」についてはさまざまな研究やデータがありますが、多くのデータは「人間の集中力は、それほど長くは続かない」ことを示しています。


私が一番しっくりきているのは、「集中できるのは、長くても10〜15分」というデータです。私もそうですが、10分も同じ作業をしていると、いつのまにか別のことが頭に浮かんできたり、つい身体を動かしたくなってきたりします。以前は私もそんなときに「集中しなければ」と思ったものですが、今では集中力が切れたサインだとわかっていますので、ここで5分くらい休みを入れます。

それでも、特に仕事に支障は出ていません。コンサルティング業や執筆業を行いながら、企業の人事改革プロジェクトに携わったり、各種セミナーで講師を務めたりと、複数の仕事を無理なくこなすことができています。

だから皆さんも、「ああ、また集中できなかった」「仕事に集中しようにも10分が限界だ」と嘆いて、自分を責める必要はありません。

大事なのは、その集中できる10分あるいは15分をフルに使って集中すること。そして、集中できなくなったら休むこと。いわば「細切れの集中」です。

「集中するためにまとまった時間を取る」、そして「頑張って長時間、集中状態を保つ」という発想を捨ててしまいましょう。それがむしろ、あなたの集中力を奪ってしまっているのです。

(大嶋 祥誉 : センジュヒューマンデザインワークス代表取締役)