児玉博(こだま・ひろし)/ノンフィクション作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆を行う。2016年、第47回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。主な著書に『堤清二 罪と業 最後の「告白」』『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』など(撮影:梅谷秀司)

中国生まれ、2歳で迎えた敗戦の後も家族とともに中国にとどまった。飢餓や文化大革命を生き抜き27歳で来日。トヨタ自動車で中国事業を立て直し、豊田章男氏を社長にした男。その数奇な運命を描き出した。

――服部悦雄氏の人生は想像を絶するという言葉がぴったりです。

こんな人がいると紹介されて会う前から興味深かったが、実際に中国での体験を聞いて驚嘆した。服部さんの壮絶な人生は、まさに『大地の子』の世界だ。


小学生の頃に見た国民党残党が銃殺刑に処される姿、目隠し用の白いタオルを奪い合う子供たち。一つひとつのエピソードに圧倒的なリアリティーがある。しかも、はるか昔のことではなく、ほんの50〜60年前に隣の国で起きていたことだ。

極限の飢餓では家族でもコメを巡っていがみ合う。人間の醜悪な部分、むき出しの感情が家族に対してでも出る。日本に帰ってきて食べるのに困らなくなっても、夢に出てくるという。

令和の、AI(人工知能)の時代だが、服部さんの戦後は終わっていない。これは書き残さないといけない。ペンを持つ者の使命だと思った。

心の内に空疎感がある服部さんへの鎮魂歌

――服部さんは非常に複雑な人物です。信頼を得て、取材できたのはなぜでしょうか。

大学時代、留学生である中国共産党高官の息子と付き合いがあったため、私が中国のことをよく知っていた。それが信頼につながったのではないか。

彼のメンタリティーは中国人で、実利の人だ。ただし、取材を受ける実利はない。失意の中で日本に帰ってきて、どこかで承認欲求があったのだろう。

トヨタ中国のOB会で「第一汽車との合併、広州汽車との合弁は、すべて僕が決めて、僕がやってきた」とあいさつしている。こんなこと、日本人はなかなか言わない。だから、現役時代は周囲から違和感を持たれ、敵も多かった。

彼の心の内には空疎感がある。トヨタの東京本社が見える彼のマンションを何回か訪問したが、生活感がない。高級な革張りのソファがあるくらいで、身の回りの物は最低限。冷え冷えした部屋の空気が彼の心象風景を示しているようで哀れだなとも思った。

この本は服部さんへのある種の鎮魂歌。私なりに彼の人生に1つの落とし前を付けたつもりだ。

――副題の「豊田章男を社長にした男」や帯の「豊田家世襲の内幕」については読者自身に読んでもらうとして、服部さんのトヨタに対する思いはどういうものでしょう。

愛していた。トヨタの中国での躍進は彼の誇りだ。服部さんは中国という国に苦しめられたが、最後は中国に救われた。トヨタをツールに自分の能力を発揮して、大きな成果を得た。約束は果たされなかったが、豊田章一郎氏から「役員にする」「自家用ジェット機をプレゼントする」という言葉をもらった。彼の到達点だ。

トヨタでは粛々と仕事をする人間がよいとされる。「俺がやった」と誇る服部さんのような人間が、トヨタで役員になるのは難しかった。複雑な思いがある。

――豊田章男氏への感情は。

「章男ちゃん」と呼ぶくらい親近感がある。顧問を退くあいさつに行ったとき、「服部さんのおかげ」と言ってもらったことは本当にうれしかった。自分をうまく使ってくれた恩人という思いを持っている。

対象人物と抱き合い心中する覚悟で書く

――今作品に限ったことではありませんが、ノンフィクションを書くうえでどこまで事実の裏取りをするものでしょうか。

1冊の本を書くときに、内容すべての裏取りはできない。今作品の場合、とくに中国時代のことを調べるのは不可能だし、トヨタ時代の評価も極端に分かれる。私が知っている服部さんは一面でしかない。

ノンフィクション作家とは、人間が背負った業や運命を書き残す役目とどこか割り切っている。対象人物と天国でも地獄でも一緒に行く、抱き合い心中するくらいの覚悟で書いている。

それは東芝の社長・会長を務めた西田(厚聰)さんについて書いたときも同じだ(『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』)。結果として彼は東芝を迷走させた人物。だが、胆管がんを患う中での最後の取材でも、ついに社員や会社に対する謝罪の言葉はなく、自身の正当性を3時間話し続けた。その我執に暗澹たる思いがしたが、私が謝罪の言葉を誘導してはいけない。迷ったが、このインタビューを『テヘランからきた男』の最後に載せた。

――どういった経緯で人物にフォーカスしたノンフィクションを書くようになったのですか。

ペンを持たせてもらったのが25歳、今年で40年になる。20代、30代はニュースを中心に書いていた。東京地検特捜部に強く、スクープを得意としていた。事象を書く場合は事実の確認が必要で、徹底的に調べていた。

当時、本を書きたい、長い文章を書きたいとは思っていたが、何を書きたいかわからなかった。チャンスをくれたのは日経ビジネスだった。その後、50代半ばに文藝春秋の仕事でセゾングループ元代表で作家でもある堤清二さんにインタビューをした。1回1時間の予定が7回、16時間話してくれた。


人間の想像力を超える現実を伝えることができる。そうした「ノンフィクションの力」を信じている(撮影・梅谷秀司)

編集長に「これは肉声だけでまとめたら」と言われて3号にわたって連載し、大宅壮一ノンフィクション賞をいただいた。その後、本にまとめることになった(『堤清二 罪と業 最後の「告白」』)。編集や校正の担当者が総がかりで作品を作ってくれる。言葉をどう統一するかなど全部を見直した。その過程がすごく気持ちよかった。大してお金にはならないが、やりがいは大きい。

堤氏のインタビューを機に、主題が人間の運命や業に寄っていった。語る言葉が真実か狂気かわからない、わからないけどその言葉の強さに魅せられた。堤さん、國重(惇史・楽天元副会長)さん、服部さんにしても、特異な人だ。普通の読者にとってはひとごとですよね。

だけど、誰でも心の中、魂の中を覗くと似た部分があるのではないか。そういった意味で、実は決してひとごとではない。特異な人物を描きながらも人間の普遍を描いているつもりだ。

――ビジネスとしてノンフィクションが成り立ちにくい時代です。ネットでバッシングも受けるリスクも大きい。

思想家の内田樹さんから、ネットのネガティブなコメントは「丑の刻参り」だから見ないほうがいいと言われた。関わると悪いエネルギーを受けることになる、と。読者の反応はものすごく気になるし、ほめられるとうれしいが、ネットはあまり見ないようにしている。

世の中はワンダーランド、面白いことがたくさんある

――この後はどういった作品を出していく予定ですか。

ソニーのCEO(最高経営責任者)だった出井(伸之)さんの評伝を書いている。あと、福井の高校生がやっている原発を考える活動についても書いている。中学時代に不登校だった子らが、自分の意思で原発について学んでいく。単に賛成反対ではなく、今ある原発を見て、何かを学び、社会の矛盾に触れて揺れながら自立する姿に感動した。文春オンラインに記事として書いたが、これを本にまとめる予定だ。

この2本のほかにも脈絡なくいろんな人に会っている。この世の中、ワンダーランド。いろんなところに鉱脈はある。とくに地方には面白いことがたくさん眠っている。ネガティブなことばかりとあきらめてはいない。

――某テレビ番組ではないですが、児玉さんにとってノンフィクションとは何ですか。

現実は圧倒的にすごい。人間の想像力をいとも簡単に超えていく。それを伝えられるのがノンフィクション。だから、しがみついても書いていく。

(山田 雄大 : 東洋経済 コラムニスト)