岩谷産業は2006年には国内最大の液化水素製造プラントを稼働させるなど、水素事業の旗振り役を務めてきた。コスモとも協業している(記者撮影)

12月8日、日本経済新聞にコスモエネルギーホールディングスの大々的な広告記事が掲載された。「未来を変えるエネルギー」をうたい、QRコードを読み込むと山田茂社長のインタビュー記事に飛ぶ、力の入った仕立てだ。

だがそこに「岩谷産業との協業」などの文字はない。「記事は12月14日の臨時株主総会に備えたものだったのだろう。皮肉にも岩谷産業の株取得が寝耳に水だったことを浮き彫りにしている」。こう話すのは、企業の買収防衛などに詳しいIBコンサルティングの鈴木賢一郎社長だ。

産業ガス大手の岩谷産業は12月1日、村上世彰氏の影響下にあるシティインデックスイレブンスなど(以下、旧村上ファンド)が保有するコスモ株のほぼすべて(1740万株)を取得し、保有比率19・93%の筆頭株主となった。公正取引委員会の審査後、さらに25万株を譲り受け、コスモは岩谷産業の持ち分法適用会社となる見通しだ。

旧村上ファンドは400億円規模の売却益を得る

岩谷産業は株取得資金として1053億円を三菱UFJ銀行から借り入れる。旧村上ファンドが2023年4月に提出した変更報告書によれば、コスモ株1768万株の取得資金は618億円。税金の支払いなどはあるが、今回の譲渡で旧村上ファンドは400億円規模の売却益を得るとみられる。

旧村上ファンドとコスモは1年半にわたって再生可能エネルギー事業のあり方や株主還元をめぐって対立を深め、旧村上ファンドがコスモ株を25%弱まで買い増す意向を示していた。これを受けコスモは12月14日に買収防衛策発動の是非を問う臨時株主総会を開催する予定だった。が、旧村上ファンドがコスモ株を譲渡したことで総会は中止となった。

岩谷産業は、一見コスモにとって「救世主」にも見える。だが、鈴木氏は「臨時株主総会ではコスモ優勢との観測もあった。その矢先に株を買い取った岩谷産業はホワイトナイトではない。旧村上ファンドは高値で売り抜けることが目的だが、岩谷産業は事業会社だ。村上氏以上に手強いストラテジックバイヤー(戦略的買収者)になる」と話す。


12月8日、日本経済新聞に掲載されたコスモエネルギーホールディングスの広告記事(編集部撮影)

従来からLPガスなどで取引がある岩谷産業とコスモは、2022年3月に水素事業の協業検討で基本合意し、2023年2月に水素ステーション事業の普及を目的に合同会社を設立した。11月にも水素関連のエンジニアリングで新会社を立ち上げている。

岩谷産業がコスモ株の取得を発表したのは12月1日。一方、コスモが「本譲受けを前向きに捉えております」とのリリースを出したのは12月4日。取締役会で臨時株主総会の中止を決議したのも同日だ。友好的であれば事前にすり合わせをして、両社が同時にリリースを発出するのが一般的だ。

また、8月には経済産業省から「真摯な買収提案に対して真摯に検討」を促す行動指針が発出されたことも岩谷産業の背中を押した可能性がある。「コスモが『敵対的』と声を上げにくい状況で株を買い取った。岩谷産業の巧みな戦略が垣間見える」と鈴木氏は言う。

今のところシナジー効果は不明

一方、岩谷産業はコスモ株取得のために借り入れた1053億円もの資金を1年以内に返済しなければならない。返済資金のために増資もありえるとの観測も出て、12月1日に7141円だった岩谷産業の株価は13日には6234円まで下落した(終値)。

三菱UFJモルガン・スタンレー証券の荻野零児シニアアナリストは、「数字上の見た目は問題ないが、今のところシナジー効果が不明だ」と評価する。

コスモの在庫影響を除く2023年度純利益予想は620億円。岩谷産業はその約20%の120億円超を営業外利益に取り込める。5年間で4700億円の投資枠内でもある。だが、岩谷産業は1000億円超を投じて、コスモと何をしようとしているのか。

ある業界関係者は、「燃料電池自動車普及の一手として岩谷と親密な自動車会社の思惑が背後にあるのか、純粋に牧野明次会長の深い思い入れなのか。それ以外に理由が見当たらない」と話す。

岩谷産業は1941年、創業者・岩谷直治氏の「必ず水素の時代は来る」との信念から、硬化油メーカーから余剰水素を買い取って需要家に販売を始めた。いまや水素は石油精製の過程やプラスチックなどの添加剤、半導体や液晶パネルの製造には欠かせないガスになっている。 

創業者からの指名で、2000年に社長に就任したのが牧野会長兼CEO。2006年には国内最大の液化水素製造プラントを稼働させるなど水素事業の旗振り役を務めてきた。その結果、岩谷産業の産業ガス売上高1336億円(2023年3月期)のうち14%を水素が占め、特殊ガス市場で岩谷産業の水素シェアは70%、液化水素の売上シェアは100%を占める。

岩谷産業は水素関連の売上高約200億円を2030年までに2000億円とする構想をぶち上げている。そのためにはこれまでの産業用途に加え、燃料電池トラックなどの需要拡大が欠かせない。そのカギとなるのが水素ステーションだ。

岩谷産業は水素ステーションの拡大に今後5年間で330億円を投じる計画だ。コスモとは2003年頃から水素ステーション設置で協力関係にあり、約2650カ所(2023年3月末)あるコスモのサービスステーションに水素ステーションを併設していく可能性もある。

株価下落は「説明せよ」との市場からの督促

しかし、水素ステーションはそもそも赤字事業だ。「政府は2030年までに水素ステーション1000基設置などをうたうが足元は160基程度。踏み込んだ政策がなければ普及はおぼつかない」(業界関係者)。

一方、荻野氏は、「岩谷産業の水素戦略全体でシナジーを考えている可能性がある」と話す。岩谷産業は、水素の海外製造や輸送・受け入れ基地の整備、パイプライン敷設といった水素供給網構築のため、2027年度までに1780億円を投資する計画だ。この戦略全体でコスモと協業していく可能性がある。

ただ、水素供給網の構築は川崎重工業やENEOSと進めている。なぜ、コスモと事業提携だけでなく、1000億円超を投じて持ち分適用化するのかは不明瞭だ。

「政策保有株の縮小を求められる中、シナジー効果がゼロなのは事業会社としてありえない。株価が下落したのは、シナジー効果を説明せよとの市場からの催促だ」と荻野氏は指摘する。

コスモ株取得の真意はどこにあるのか。岩谷産業は早期に明らかにする必要があるだろう。

(森 創一郎 : 東洋経済 記者)