ゲイであることを理由に母に家を追い出され、ホームレスとなった青年フレンチは海兵隊に志願するが、そこでは過酷な試練が彼を待ち受けていた。 ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

アメリカのA24といえば、アメリカ・アカデミー賞の作品賞に輝いた『ムーンライト』 や 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』をはじめ、『ミッドサマー』『レディ・バード』『20センチュリー・ウーマン』『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』など、数多くの話題作を手がけている注目の映画会社だ。

芸術性とエンターテインメント性のバランスがうまく調和した作品群は非常に評価が高く、近年は「A24の作品ならば」といった形でブランド化している。2012年に設立されたA24が躍進を遂げた理由として、世界中の若きクリエーターたちの才能を見極めるその選択眼の確かさと、そんな才能あふれる彼らに自由に映画を撮らせることによって生まれるエッジの効いた企画が映画ファンに熱い支持を集めていることなどが挙げられる。

ゲイが理由で家を追い出される

そんな業界屈指の目利きたちが新たに見つけ出した才能が、8月4日よりTOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほかにて全国公開となった映画『インスペクション ここで生きる』のメガホンをとったエレガンス・ブラットン監督だ。

物語は、監督自身の実体験をもとに生み出された。ゲイであることを理由に母に家を追い出され、社会からも見放され、ホームレスとなった青年フレンチ(ジェレミー・ポープ)が、すがるような思いで海兵隊に志願。だがそこで彼を待ち受けていたのは度を越えた過酷な訓練、そして軍という閉鎖社会に吹き荒れる差別と憎悪の嵐だった。

そんな四面楚歌(そか)の状況の中でもフレンチは希望を捨てずに生きていく――。主演のフレンチを演じたジェレミー・ポープは本作の熱演が認められ、第80回ゴールデングローブ賞の主演男優賞(映画・ドラマ部門)にノミネートされている。

そこで今回はこの心揺さぶる実話を描きだしたエレガンス・ブラットン監督に、いかにしてその過酷な状況を乗り越え、アメリカンドリームをつかむに至ったのか。そして「人は変わることができる」と語るその心境について聞いた。


気鋭の映画会社A24でデビュー作を発表したエレガンス・ブラットン監督 ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

――監督のエレガンスというのはすごくいいお名前だなと思ったのですが、これは本名なんですか?

そう、本名なんです。出産のときに、赤ちゃんを泣かせるために背中をトントンとたたくことがあると思うんですけど、うちの母が僕を産んだときに、僕の振り返り方がすごくエレガントに見えたらしくて。それで母がエレガンスと名付けてくれたんです。ただしそのときは薬で意識がもうろうとしてたようなので、それでそう見えただけなのかもしれないですけどね(笑)。

母は敬虔なクリスチャンで刑務官だった

――敬虔(けいけん)なクリスチャンであり、厳格な職業である刑務官という仕事をしていたお母さまからはゲイであることを理由に家を追い出されたわけですが、その出来事とは裏腹に、監督にエレガンスという名前をつけたという事実からはお母さまからの非常に強い愛情を感じるのですが。

うちの母親というのはすごく複雑な人なんですが、ポジティブなことがとても好きな人でした。愛というものはいろんな矛盾を抱えたものだと思うんですが、彼女がエレガンスと名付けたこと自体がものすごく悲劇的な皮肉だったと言えます。

若い頃から、人前に出てエレガンスだと名乗った瞬間に、みんながなんとなく、もしかして僕のことをゲイじゃないかと思っていたようなふしがあって。結果として彼らは正しかったんですけど、そう名付けた母親自身は僕がゲイであることを受け入れられなかった。それはものすごい皮肉ですよね。

――アメリカの海軍といえば、閉鎖的な社会であることでも知られていますし、実際にこの映画でも、周囲の人たちからの、ゲイの人たちへと向けられる偏見に苦しめられる描写がありましたが、ゲイであるエレガンス監督が、その過酷な環境にあえて身を投じたのはなぜだったのでしょうか?

その話をするためには、まず自分のバックグラウンドから話す必要があります。自分は母親に家を追い出されてからずっとホームレスシェルターで暮らしていたんですが、母親に家に戻りたいと懇願したときには、「だったら軍隊にでも入れば」と言われたんです。

それがちょうど2005年頃で、いわゆるイラクでの対テロ戦争が起きていたときですね。ニュースでは兵士が戦死したとか、アルカイダに兵士が誘拐されたとか、そういうニュースばかりが流れているときだったので。母親からは「息子がゲイであるくらいなら死んだ方がマシだ」と言われているように感じられて。ものすごくネガティブな感情にさいなまされたんです。

「今の暮らしを変えたい」と海兵隊に入る

それでまたシェルターに戻ったわけですが、それでまわりのホームレスの人たちを見てみると、ここで10年、20年と、暮らしている人たちばかりで。自分も将来、こういうふうになりたいのかと考えたときに、「いやなりたくない。今の暮らしから抜け出したい!」と感じたんです。

そうしたら翌朝、海兵隊のリクルーター(採用を担当する軍人)が僕のところにやって来て、勧誘をしてきたんですが、彼が着ていた軍服がパシッと決まっていたので。君みたいにカッコよくなれるなら、ぜひとも入りたいね、と言ってしまった(笑)。でも彼の自信に満ちた姿、堂々としている姿を見て、自分もこうなりたい。自分だって彼のようになれると思った、というのは事実なので。それで海兵隊に入ることになったんです。


海兵隊に入隊したフレンチは、壮絶な逆境に苦しみながらも、自らの尊厳を守るために困難に立ち向かう。 ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

――海兵隊というのは、監督にとってどういう場所だったのでしょうか?

海兵隊というのはいわゆるエリート。アメリカ軍の中でもエリートとして扱われている組織なんです。僕自身ニュージャージーの郊外のゲットーで育った人間なので、そういうステータスに憧れがありました。そういうわけで海兵隊に飛び込んだんです。

――この映画で描かれた海兵隊時代の差別と憎悪の嵐は、非常に壮絶な体験だったと感じたのですが。

そうですね。この映画で描かれた主人公が感じる欲望、恐れ、そして最終的に抱く目標まで、すべて本物ですから。

――この時代の経験が映画監督のキャリアに影響したことはありますか?

いろんな意味で自分の糧になっています。海兵隊の採用試験を受けたときは非常に高い点数を獲得しました。そこで記録映像担当に従事することになったのですが、そこでは戦場のドキュメンタリー映像を作ったり、武器の扱い方、撃ち方などを指導する映像を作ったりしていました。


映画のメイキング風景。自分の半生を映画化することについて「完全に個人的な映画だが、自分と似たような体験をした人への慰めとインスピレーションになれば」と監督は語る。 ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

そこからもいろいろと学びましたし、あるときはブートキャンプを終えたときに上官に呼び出されたこともありました。そんな偉い人から急に呼び出されたので、怒られるのかなとビクビクしていたんですが、そこでは彼が書いた脚本を手渡されたんです。

それは彼の退官式のための脚本だったんですが、読んで意見をほしいと言われて。僕をそういうふうに、映画監督のような存在として見てくれるのかと。もしかしたら彼は僕の才能に気づいてくれていたのかもしれないなと思った、ということは強く印象に残っています。

映画の撮影に入る前に母が亡くなった

――監督にとっては映像の仕事が現状を打破するきっかけになったと思うのですが、映像の仕事が癒やしになったところはありますか?

実はこの映画の撮影に入る直前に母親を亡くしているんですけれども、母親は自分を追い出してから、決して自分を家の中に入れてくれることはありませんでした。

だから家の中に入ることができたのは、母が亡くなってからだったんですが、遺品を整理しているときに出てきた母の形見のジュエリーや聖書などを、撮影のときに(母親を演じた)ガブリエル・ユニオンに使ってもらいました。

そうすることによって彼女が母親をよみがえらせてくれたという感覚があって。それがある種の癒やしにもなったし、セラピー以上の効果はあったかなと思います。あと母親が住んでいたアパートのセットも実際のアパートを再現しているんですけれども、こういうプロセスも、自分の苦しみから救ってくれたのかなと感じます。

――注目の映画会社であるA24で映画を作るというのは世界中の映画監督たちが夢見ることのひとつだと思いますが、デビュー作がA24で作られることになったということで。まさにアメリカンドリームじゃないかなと思うんですが。

本当にその通りだと思います。“Oh my god!!!!!!!”と叫びたくなるくらいに興奮しています。2017年にこの脚本を書いていた頃から、この作品は絶対にA24向きだから、一緒に組みたいと思っていたんですが、彼らが僕の存在に気づいてくれたのは2020年のことだったので。

ちょっと時間がかかってしまいました。でもこうやってA24で公開できたことによって世界各地、アメリカ各地を回ることができました。(A24が手がけ、アカデミー作品賞をはじめ7部門で受賞した映画)『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のダニエルズ監督やミシェル・ヨーとも仲良くなれたし、(アカデミー賞主演男優賞を獲得したA24作品)『ザ・ホエール』のブレンダン・フレイザーとも仲良くなれました。

そういう人たちと交流できるというのは本当にアメリカンドリームだなと思いますね。

――劇的な変化ですね。

本当にそう思います。だって20年前はホームレスのシェルターにいたわけですから。これからもできる限り彼らと一緒に映画を作っていきたいと思っています。

A24に入り大きな影響を受ける

なんといってもA24作品といえば、アカデミー賞作品賞をとった『ムーンライト』のバリー・ジェンキンス監督の存在が大きくて。常々、彼のことは尊敬してきましたし、彼の作品からも大きな影響は受けています。

もちろんこの状況に浮かれてはいけないですし、自分にとって本当に重要なことだと思ってるので。おごることなく、これからも彼らと一緒に素晴らしい作品を生み出していけたらなと思っています。

――映画の冒頭で、老人のホームレスが「君は自分の望むものになれる」と主人公フレンチの背中を押すシーンがありましたが、今の監督だと、そのセリフに感じるものがあるのでは?

そのセリフに対してフレンチは「そんなのうそだ」という感じで返したと思うんですが、やはり多くのアメリカの若者たちは、今の社会状況において、何でも可能だと言われても、そんなのはうそだ、と壁にぶつかってしまうのは明らかだと感じてしまうと思います。今はそういう社会状況ですからね。

でも自分自身は、何となく無意識的ですが、自分は何かを成し遂げられるんじゃないかと思っていました。もちろんその方法もわからないし、何のドアをノックすればいいのかもわからない。誰に教えを請えばいいのかもわからない。

とにかく根拠はなかったけど、それでも何かしらのことは成し遂げられるんじゃないかと思っていたんですよ。

というのも、自分の名前がエレガンスなので、幼い頃から、近所ではちょっとした有名人だったんですね。「エレガンスって名前のやつがいるぞ」と言われて。みんながのぞきに来るような存在だったので、いつかは注目されて成功できるんだ、と思い込んでいたんです(笑)。

いろんな苦労を乗り越えて今がある

もちろん黒人でゲイだということで、人生においていろんな苦労はありました。それを乗り越えて今に至るんです。だからあの冒頭に出てくるホームレスの男性というのは、その当時、自分にいろいろと教えてくれたメンター的な人たちの象徴的存在として出したキャラクターです。

自分のまわりにいた多くの人がAIDSや、いろいろな理由で命を落としてきたんですが、映画のように自分に声をかけてくれて、若者には可能性があるんだということを教えてくれた人たちもいた。

なのでもしすべてを失って、絶望の淵に立ったとしても、何かしらの努力をすること、チャレンジすることが大切。それはこれまでの人生経験から学んできたことなので、それを観客の皆さんにも伝えたいと思っていました。

何かしらの危機的状況にある人、苦しんでいる人、もう変わることは無理だと諦めている人だって、行動に移せば人間は変われるんだと。この映画を観て、そう受け取ってもらえたらいいなと思っています。

Elegance Bratton(エレガンス・ブラットン )/1979年生まれ。16歳でホームレス生活となり、そのまま10年過ごした後、アメリカ海兵隊に入隊。海兵隊在籍中に映像記録係として映画の制作を開始し、コロンビア大学の理学士(2014)とニューヨーク大学ティッシュ校大学院映画学科の修士(2019)の学位を取得。ヴァイスランド・テレビのシリーズ「My House」の企画および製作総指揮としてテレビ・デビューを果たし、2019年GLAADメディア賞の最優秀ドキュメンタリー部門にノミネートされた。2021年、フィルム・インディペンデントのトゥルー・ザン・フィクション・スピ リット・アワードを受賞。自身の半生を描いた『インスペクション ここで生きる』で長編映画デビューを果たし、トロント国際映画祭でプレミア上映。世界各国の映画祭で絶賛された。

(壬生 智裕 : 映画ライター)