子が服を着たがらない、それは単なるワガママではないかもしれません(写真:yamasan/PIXTA)

刺激に対する脳機能の働きや疾患、個人的な経験など、さまざまな理由で起きると考えられている「感覚過敏」――。光、音、におい、肌触りなど、私たちを取り巻くさまざまな“刺激”が、いま、多くの子どもたちを苦しめています。

本記事では、そんな感覚過敏の当事者で、「感覚過敏研究所」所長を務める現役高校生・加藤路瑛さんの著書『カビンくんとドンマちゃん 感覚過敏と感覚鈍麻の感じ方』(監修:児童精神科医・黒川駿哉、ワニブックス)の一部を抜粋・編集しつつ、見えない“感覚過敏のセカイ”に迫ります。

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制服のズボンが「紙やすり」に感じるワケ

服のタグが気になる、あるいは、不快感からタートルネックのセーターを避けるという人は少なくないだろう。しかし、「紙やすりで出来たズボン」「小石が入ったままの靴下」と毎朝“格闘”している子どもがいることをご存じだろうか。

「感覚過敏研究所」を主宰する加藤路瑛さんは、「靴下が嫌いな子ども」だった。真冬でも裸足で過ごし、外出時も裸足のままサンダルを履いた。当然、その足は氷のように冷たい。親には「見ているだけで寒い」と言われたという。

「今なら、何が不快だったのかを説明できます。一番苦手なのは、靴下のつま先部分の縫い目。そしてその縫い目の左右にあるつなぎ目の小さなコブ。これが小石を踏んだように痛く、また尖った石の砂利道を歩いているような痛みがあって、履いていられません。さらに、つま先から足の裏にかかる生地のツッパリ感や肌へのはりつき感が気持ち悪くて、履いた瞬間に脱いで投げたくなるほど……」

今では、出かける際には家を出る直前に靴下を履くようにしているが、それでも「今、家を出ないと遅刻するという葛藤の中で、本当に泣きそうな気持ちで靴下を履く」のだという。

また、加藤さんを苦悩させたのは靴下だけではなかった。

「そもそも、服の生地が痛いんです。ズボンはまるで紙やすりのようで、太ももを削られているように感じます。制服のブレザーも、鉛のように重かった。せっかく買ってもらった、けっして安くはない学校指定のポロシャツも、結局“痛み”で着ることができませんでした」。

ずっと“服とは痛いもので、それを人間は我慢して着ている”と思っていた加藤さんだが、「みんなは痛くないんだ!」と知ったのは中学1年性のとき。「感覚過敏」という言葉に出会ってからだった。

“服が痛い”のは「触覚過敏」が原因だった

現在、多くの人が自身の“困りごと”として認識しつつある「感覚過敏」とは、感覚特性のひとつ。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの感覚が過敏になり、日常生活に困難を抱える状態のことをいう。

私たちは通常、光、風、音、におい、味、寒さなど、さまざまな刺激を感じ取り、その刺激に対応しながら生きており、この感じ取った刺激を「感覚」として認識している。たとえば、気温の高い夏には、暑さを感じ取って涼しい服装をしたりクーラーをつけたりして、快適に過ごそうと努めることだろう。

しかし、同じ温度でも人によって「暑くてたまらない」と感じる人もいれば、「私はこのくらい平気。気持ちいい」と感じる人もいる。つまり「感覚」には個人差があり、本当は一人ひとり違っている、というわけだ。

ところが、人は社会の中で生きているため「多くの人はこう感じる」という“平均値”から設定された環境や仕組みの中での生活を余儀なくされる。このとき、もし、あなたの「感覚」が“平均値”から大きく離れていたとしたら、少なからず、困りごとが発生したり、周りの人間が苦もなく行っていることが努力しないとできない、といったハードルを感じることだろう。

この“平均値”から離れた感覚の特性を「感覚過敏」「感覚鈍麻」といい、くわしくはいまだ研究中であるものの、刺激に対する脳機能の働きや疾患、個人的な経験など、さまざまな原因で起きると考えられている。

「服が痛い」と訴える加藤さんの特性は、「人に触れられることが苦手」「服のタグ、縫い目などに痛みや不快感を感じ、快適に着られる衣服が少ない」「化粧品やリップクリーム、ハンドクリームなど肌に塗るものが苦手」といった代表的な症状である「触覚過敏」によるものだった。

「わがまま」ととらえられるケースも……

「触覚過敏」のほかにも、感覚過敏には以下のような症状がみられる。

【視覚過敏】
・スマホやパソコンの画面の光が目に刺さる感じで痛い
・太陽の光で頭が痛くなる etc.

【聴覚過敏】
・冷蔵庫や空調、時計の秒針などの生活音、環境音が気になる
・大きな音に恐怖を感じたり、騒がしい場所にいると体調が悪くなる etc.

【嗅覚過敏】
・化粧品やシャンプーなどニオイのあるものが使えない
・食べ物のニオイで頭痛や吐き気がする etc.

【味覚過敏】
・味に敏感で食べられるものが極端に少ない
・食感にも苦手なものが多い  etc.

【触覚過敏】
・人に触れられることが苦手
・服のタグ、縫い目などに痛みや不快感を感じ、快適に着られる衣服が少ない etc.

【五感以外の感覚過敏】
・熱さに敏感すぎて、風呂に入ることができない(温度感覚)
・ブランコや遊園地の乗り物が苦手(平衡感覚)

症状の強弱こそあれ、感覚過敏は“見えない特性”のひとつ。だからこそ、周囲には当人の困っているレベルがわからず――そもそも「感覚過敏」「感覚鈍麻」といった特性への理解も満足といえない状況下で――「なぜ、こんなことができないの!」「わがままではないのか?」といった認識を持たれることが多い。当然、当人のつらさは増していき、不登校などにつながるケースも少なくない、という実態がある。

いま、“見えない特性に対する、環境面での配慮”が、必要とされている。

たとえば、視力が弱く、黒板の字がよく見えない子に対して「見えないのは甘え。がんばって見なさい!」という人はいないだろう。ところが、感覚の特性が原因で決まった行動が取れない子に対しては「みんなできているのに、あなたはなぜできないの! きちんとしなさい!」という指導が行われたり、「あの子はわがまま」といった目で見られたりすることが、先述した通り、しばしばある。

本来、すべての子どもは不便を感じることなく学校生活を送る権利を持っているはず。たとえば、視覚過敏で光の反射が眩しいのであれば、教室内でもサングラスを着用したり、聴覚過敏があればイヤーマフをつけるといったことが――メガネをかけるのと同じように――本人の必要に応じてできる環境をつくるべきなのだ。

とくに学校などの教育現場では、これまで「みな同じ」「足並みをそろえる」ことがよしとされてきた。しかし、これからは多様な“個性”を受け入れることが課題となってくるだろう。そう、どんな特性を持つ子であっても、誰もが不自由や不便を感じないよう、違いに配慮する社会をつくることが求められているのである。

「感覚過敏」が当たり前に配慮される環境を

加藤さんが主宰する「感覚過敏研究所」で医療アドバイザーを務める児童精神科医の黒川駿哉氏は、感覚過敏の実態と課題について、こう話す。


「お子さんによってさまざまな感覚過敏がある中で、もっとも苦労されているのは、それがなかなか周囲に伝わらないことだと感じています。可能なかぎり“見える化”して周囲に伝わりやすくすること。そして、社会そのものが『感覚とは人によって全然違うもの』ということを前提に、受け皿として変わっていく必要があります」。

「感覚過敏にはまだ明確に有効な治療法がありません。だからこそ『目が良い/悪い』と同じように、個人のプロフィールの1つとして、自然に感覚過敏に関する情報も含まれるべきであり、『目が悪い子は前のほうの席にする』など、学校で当たり前に配慮されていることと同じような立ち位置になってほしい」。 

顔かたちや能力に個性があるように、感覚も1人ひとり違うもの。感覚に特性がある人もそうでない人も、まずは「こんなふうに感じる人がいる」「決しておかしいことではない」と知ることが、まずは最初の“第一歩”ではないだろうか。

(加藤 路瑛 : 「感覚過敏研究所」所長)
(黒川 駿哉 : 精神科医)
(国実 マヤコ : 書籍編集者、文筆家)