82歳の今も現役の職人として活躍されている「梅おばあちゃん」こと、乗松祥子さん。

4月に上梓された『梅おばあちゃんの贈りもの』(誠文堂新光社刊)は、4年以上乗松さんの梅仕事を追い、暮らし方や活動、そして生き様などが次世代に伝えていきたいことがまとめられた貴重な1冊です。

82歳・乗松祥子さん。「梅干しづくりは失敗続きだった…」

ここでは本書より、乗松さんの梅干しづくりについて書かれた章を一部抜粋し、再編集してお送りします。

●なかなかうまくいかなかった梅干しづくり

私が毎年欠かさず梅干しをつくるようになったのは、100余年前の梅干しと出合ってからです。

当時働いていた、茶懐石料理店「辻留」銀座店では休みがほとんどなかったので、梅干しづくりを口実にすれば少しは休めるかな、という下心も大いにありました。旦那様に『梅干しを漬けたいので、土用干しのときの2〜3日ほど休暇をいただきたい』と申し出たところ、あっさりとお許しが出ました。

ところが、実際に梅干しをつくろうと思ったら、知識不足もいいところ。母の梅干しづくりを見ていたので塩で漬けることくらいは知っていましたが、シソのこととなるとかなり曖昧です。とりあえずシソを洗ってよくふき、壺に放り込んでおいたら、後日うっすらとかびが生えているではありませんか。慌てて本を買い、シソは塩でもみアク抜きが必要だったことを知る始末です。このときの梅は無事で、クエン酸の効果を初めて実感した出来事でした。

そんなドタバタ劇の中で、心がハッとするような梅の神秘性と出合う瞬間がありました。アク抜きをしたシソに梅酢を加えると、アントシアニンの働きによって一瞬にして鮮やかな赤紫色に変化する様は、まことにドラマティック。何度見ても、いくつになっても感動を覚えます。

この頃の梅干しづくりは試行錯誤を繰り返しながら、一喜一憂するという手探り時代。でも、まっさらな気持ちで梅と真摯に向き合え、毎日が新しい発見の連続でした。

●梅を触ることがなによりの養生に

おかげさまで82歳を歳を迎えてもこの通り元気ですが、若い頃は驚くほど身体が弱かったんです。

春先は今でいうアトピー性皮膚炎に悩まされ、シャワーも浴びられない時期がありました。暑さも苦手で、夏の太陽を見るとクラクラッとめまいがして立っていられないくらいでした。加えて、肩こりで冷え性でもありました。『辻留』で働き始めたときの体重は、34kgしかありませんでした。

しかし、毎年、無我夢中で梅を漬けていたら、梅のクエン酸のおかげなのか、赤しその色素のおかげなのか、体調がどんどんよくなっていく。

もっとも苦手だった夏の炎天下の土用干しも楽しみの1つに。いつの間にか身体が冷えにくくなり、血行もよくなりました。梅仕事は私の身体に合っていたのでしょうね。梅を触ることが私のなによりの養生になっています。

●梅のためにアパートを一棟借り

「辻留」時代、私は千葉県市川市の4畳半ひと間の木造アパートに住んでいました。

最初は5kgの梅干しづくりから始めたのですが、鎌倉の農家から分けていただけるようになると、10kg、20kg、30kgと年々増えていきました。そして、自分で漬けたお宝を眺めているのが至福のときでした。

ところが、販売しているわけではないので、梅干しは毎年増える一方です。

部屋がどんどん手狭になっていくので、アパートの間借り人が出て行くたびに私が借り、ついには6室を持つ二階建てのアパートを一棟借り。それでも足りなくて、お隣のアパートをさらに2部屋借りて、合計8部屋借りることになりました。

なんとか梅の保存場所は確保したものの、干す場所には往生しました。最初はアパートのトタン屋根を利用したり、お隣のビルの屋上や空き地をお借りしたりしていました。でも、極上の梅干しづくりの仕上げには、たっぷりの夜露が必要なんです。これが街中ではなかなか望めない。

最終的にはご縁あって、鎌倉のお寺の山の中で干せるようになりました。ここは十分な夜露が降りるので、梅の弾力やしわ加減が断然いいのです。100年先まで生きる梅干しづくりには、自然環境がとても大事です。

●じつは酸っぱいのは苦手だった…

大きい声では言えませんが、私は酸っぱい食べ物が苦手でした。

梅干しは食べるよりもつくるのがおもしろくて続けていました。梅肉エキスジュースは毎日欠かさず飲んでいましたが、梅干しは夏場や疲れたときにしか口にしませんでした。

梅干しのおいしさに目覚めたのは、20年ほど前に体調を崩して入院をしたとき。病院食が口に合わずなにも食べられなくなったんです。ある日、後輩がお見舞いに来て、お守り代わりに持っていた自分の梅干しを置いていってくれました。

その晩、初めて梅干しをおかゆに入れて食べたらおいしくて、200gものおかゆをペロリと食べてしまいました。気分はすっきりとして、身体もシャキッとしました。今さらながら梅干しの底力を、身をもって体験したのです。

昔から「梅はその日の難逃れ」「梅は三毒を断つ」というじゃないですか。先人たちの知恵には頭が下がります。

このときから私も自分でつくった梅干しを毎日食べるようになりました。とくに、梅仕事が忙しいときは疲れてなにも食べる気がしない日があります。そんなときは、おかゆにくずを溶いて梅干しと一緒に食べると、徐々に食欲が戻ってきます。最近は、おかゆを多めにつくり冷凍しておくようにしています。

『梅おばあちゃんの贈りもの』には、このほかにも、乗松さんの梅仕事や料理レシピを多数掲載されています。さらに、家族ぐるみでつき合いのあった文筆家・内田也哉子さんとの対談も収録。暮らしに役立つヒントが満載です。