次期首相が確実視される李強氏(右)は習近平主席の最側近。経済政策の司令塔としての存在感をどこまで発揮できるか注目されている。昨年10月の党大会での撮影(写真・中国通信/時事通信フォト)

3月5日の午前9時(現地時間)、北京の人民大会堂・大ホールに微笑をたたえた習近平国家主席がゆっくり入ってきた。年に一度開催される全国人民代表大会(全人代、国会に相当)の開幕だ。

この全人代で、習近平指導部の3期目が本格的にスタートする。共産党の最高指導部である中央政治局常務委員会を構成するメンバーは昨年10月の党大会で決定済みだが、行政を担う国務院の主要ポストは全人代でやっと交代するのだ。

習主席に続いて硬い表情で入場したのは、国務院のトップである李克強首相だ。全人代の冒頭では、首相が前年1年間を総括し、新たな施政方針を説明するのが恒例となっている。

この全人代での退任が決まっている李克強首相にとって、事実上最後の仕事である。すでに意思決定の中枢である常務委員会からは外れており、企業でいえば取締役ではなくなった名ばかり社長のような立場だ。

中国の歴代首相は全人代の閉幕後には記者会見に出席し、2時間前後の質疑に応じてきた。3月13日の全人代最終日には、次期首相への就任が確実視されている常務委員の李強氏がその任に当たるとみられている。今回の全人代は、新旧首相のバトンタッチを演出する政治ショーということができる。

2年連続で成長率目標を引き下げ


退任する李克強首相が新たな政策を打ち出すはずはない。そのため、国内外の関心は「今年の経済成長率の目標がどの程度になるか」に集中していた。結果は「実質で5.0%前後」で、2年連続で前年の目標より引き下げた。

2022年には実質成長率「5.5%前後」という目標を掲げながら、結果は3.0%という大幅な未達だった。新型コロナウイルスの感染を徹底して封じ込める「ゼロコロナ政策」のもとで、最大の経済都市である上海などをロックダウンしたことが響いた。

経済の失速に加えてゼロコロナ政策への抗議活動が続発し、中国政府は昨年12月に感染防止の措置をいきなり撤廃。一気に経済活動正常化に舵を切った。

春節(旧正月)をはさんだ大移動シーズンの延べ旅客数は16億人(前年比5割増)に上ったものの、新たな感染爆発は報告されていない。大きな混乱なく「ウィズコロナ」に転換したことを受け、国際通貨基金(IMF)は1月30日に中国の2023年の成長率予想を4.4%から5.2%に引き上げた。

足元では景気の先行きを示す2月の製造業PMI(購買担当者指数)が52.6と、1月の50.1から大幅に改善した。50が景況改善・悪化の分岐点で、2月の数字は2012年4月以来の高水準だ。

ほかにも景気の好転を示す指標が出始めている。この流れを続けて「5.0%前後」の成長を確実にするために中国政府は財政出動の規模も拡大する。財政赤字の対GDP比率を2022年の2.8%から今年は3.0%に引き上げる。

強く意識しているのは雇用の確保だ。2022年7月に都市部若年層(16〜24歳)の失業率は19.9%に達し、その後も高止まりしている。李克強首相は政府活動報告で「青年、特に大学卒業生の就業促進をより際立った位置に置く」と述べ、若者の雇用対策への危機意識をにじませた。

今年は都市部で2022年並みの1200万人前後の新規雇用を創出することを目標としている。2022年は大学卒業予定者が1076万人に達し、はじめて1000万人の大台に乗った。2023年の卒業予定者はさらに82万人増え1158万人の見通しだ。

習体制下で変化した首相の権限

今回のバトンタッチがいつにも増して注目されるのは、今後の経済政策の司令塔を誰が担うのかが見通せないからだ。胡錦濤政権までは、共産党トップである総書記が政治を、国務院を率いる首相が経済を担当するというすみわけがあった。

習近平政権でも当初は李克強首相による市場原理重視の経済政策が「リコノミクス」と称され注目されたが、やがて習主席直轄の小組(タスクフォース)が続々と設けられて政策の主導権は奪われた。そして習主席の一極体制のもとで、国有企業の育成を重視する社会主義的な色彩の強い経済運営が定着した。

李克強首相は全人代での政府活動報告の中で、自らが進めてきた行政手続き簡素化、起業促進の成果に言及した。

「デジタル化により、行政サービスの90%以上はネット上で行えるようになった」「昨年末の企業数は5200万、自営業者の数は1.1億にのぼり、(合計した)市場主体の数は10年前の3倍に増えた」といった事例の紹介を通じて、挫折したリコノミクスの正当性をあらためて訴えているかのようだ。

存在感の軽い李強新首相

その李克強氏に比べても、新首相となる李強氏の存在感は軽いものになりそうだ。中国ではこれまで、首相に登用される人物には副首相の経験があることが不文律となってきた。しかし李強氏には副首相どころか中央で勤務した経験すらない。10年前までは浙江省の地方幹部にすぎなかった。

それが現在の地位に上り詰めたのは、ひとえに習主席との縁によるものだ。2000年代に浙江省党書記だった時代の習主席に秘書長として仕え、見いだされた。習政権の発足と同時に猛烈なスピードで昇進を重ね、2013年には浙江省の省長(党書記に次ぐナンバー2)に大出世。2016年には江蘇省の党書記に栄転した。2017年には党中央政治局員となり、かつて習主席が務めた上海市党書記に就任している。

上海市党書記在任中には上海証券取引所への新市場や、アメリカの電気自動車メーカー・テスラの工場を誘致するなどの実績を残している。

しかし、地方経済を活性化する手腕と、世界第2位の経済大国のマクロ政策を仕切る力量とは別物だ。李克強氏にしても、中央官庁の制御にかなり手を焼いた時期があった。2015年には「部長(大臣)たちの会議で決めたことに処長(日本の官庁では課長に相当)が注文をつけるのはおかしい」と発言したことがある。

官僚がトップの力量、本気度を見定めないと動かないのは日本も中国も変わらない。李強氏は、李克強氏と違って副首相の経験も積まずに、こうした難敵に立ち向かうことになる。

そもそも李強氏は昨年10月末まで上海市のトップである党書記を務めていた。2022年3月末から2カ月にわたって続いた上海市のロックダウン(都市封鎖)を決めた張本人だ。

李強氏はウィズコロナへの移行により上海の経済を活性化することを模索してきたが、結局は習主席のゼロコロナ政策に従った。立身のために上海の市民生活と経済を犠牲にした、と言われかねない立場だけに、メッセ―ジの打ち出し方が難しい面もありそうだ。

李克強氏から李強氏へ経済政策の主導権が切り替わるまでに半年近いタイムラグがあり、それだけ景気対策などの発動も遅れた。この間、中国の経済政策にはエアポケットが生じた印象だ。

常務委員への就任以来、李強氏の肉声はほとんど伝わってこない。昨年11月4日に上海で国際輸入博覧会の開幕式に出席し、「中国の内需を拡大し、対外開放を継続する」と強調してみせたことくらいだ。3月5日には全人代で雲南省代表団の会合に参加して講話を行ったが、習主席をたたえ、政策面では政府活動報告をなぞる内容にとどまった。

習氏は文化大革命へ逆戻り?

ボスの習主席は、このところ「雷鋒精神」に繰り返し言及している。雷鋒は1962年に殉職した人民解放軍の模範兵で、文化大革命の時期に共産主義への献身の象徴とされた。

全人代が始まった3月5日は、まさに1963年に毛沢東が「雷鋒に学べ」運動を開始してから60周年目の記念日だった。そのため中国全土で小学生から軍人・警察官までがボランティア活動に動員された。改革開放路線が本当に堅持されるのか、やや危ぶまれる雰囲気だ。

「中国の内需を拡大し、対外開放を継続する」という李強氏のメッセージは政府活動報告に盛られた政策と一致しており、国際的にも望まれるものだ。李強氏は改革開放路線を推進し、経済政策の司令塔として存在感を発揮するのか、あくまで習主席の忠実な側近に徹するのか。その片鱗は3月13日の記者会見で見えるはずだ。

(西村 豪太 : 東洋経済 コラムニスト)