広島ひと筋19年目の青山敏弘が背負ってきたもの。「ピッチに立てなくても、みんなの想いは伝わってきた」
2度のVAR介入により、アディショナルタイムはすでに10分を超えていた。タイムアップがまもなく迫るなか、サンフレッチェ広島には最後のチャンスが訪れていた。
満田誠が鋭いCKを送り込むと、中で待ち受けていたのはピエロス・ソティリウだった。5分前に同点PKを決めたばかりのキプロス出身のストライカーが巧みに右足を合わせると、ゴール裏の紫は長年のうっぷんを晴らすかのごとく、マグマのように爆発した。
ファンの前で感無量の表情を浮かべる青山敏弘
アディショナルタイムの2ゴールという、圧巻の逆転劇である。セレッソ大阪を下したサンフレッチェ広島はついに"シルバーコレクター"の汚名を返上し、悲願のルヴァンカップ初優勝を成し遂げたのだ。
リーグ戦では3度優勝に輝いている広島だが、このカップ戦のタイトルには振られ続けてきた。初めて決勝にたどり着いたのは2010年。ジュビロ磐田と対戦した広島は、李忠成と山岸智のゴールで逆転しながら土壇場で追いつかれ、延長戦で力尽きた。
2度目のファイナル進出は2014年。ガンバ大阪との一戦は佐藤寿人の2ゴールで2点を先制しながら、その後に3点を奪われ、逆転負け。またしてもタイトルには届かなかった。
ルヴァンカップだけではない。天皇杯でも屈辱を味わい続けてきた。1995年、1996年、1999年、2007年、2013年。いずれも決勝に駒を進めながら、カップを掲げられていない。
そして、6日前の天皇杯決勝でも同じ悔しさを味わったばかり。J2のヴァンフォーレ甲府にPK戦の末に敗れ、負の流れを払拭することはできなかった。
「正直、試合の前日くらいまで引きづっていました」
塩谷司は、そう振り返った。勝てるはずの相手に敗れたのだから、そのダメージは計り知れない。6日後に悔しさを晴らす機会があったのは幸いだったが、気持ちを切り替えるには時間が足りなかったのもたしかだろう。
工藤壮人とプレーした2年間さらに、当日の朝にショッキングな報せが届く。かつて広島に所属した工藤壮人さんが病に倒れ、帰らぬ人となったのだ。正常な心理状態で試合に臨むには、あまりにも酷な状況だった。
負の歴史を塗り替えるために。6日前の悔しさを晴らすために。そして工藤さんのためにも----。広島の選手たちはさまざまな想いを胸に秘め、このルヴァンカップ決勝に臨んでいた。
おそらく、そのすべてを背負っていたのは青山敏弘だろう。広島ひと筋19年目を迎えたクラブの象徴は、リーグ優勝3回の歓喜を味わった一方で、それ以上の悔しさを経験してきた。
2010年の磐田との決勝では1点リードで迎えた56分からピッチに立ったものの、そこから逆転負け。2014年は佐藤寿人からキャプテンを引き継いだシーズンだったが、リーグ3連覇を逃し、G大阪との決勝にも敗れ、涙を流している。
天皇杯では2007年の決勝はケガのためにピッチに立てず、2013年も勝利に導く活躍はできなかった。
そして2017年から2年間、広島に在籍した工藤さんとも、出し手と受け手の関係性を築いている。
今年で36歳となった青山は、ミヒャエル・スキッベ監督のスピード感あふれるサッカーにフィットできないでいた。
2006年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督に見出され、レギュラーの座を掴んで以降、広島の中盤には常に青山の姿があった。何度も大きなケガを負い、長期離脱を強いられながらも、その都度這い上がり、ポジションを取り戻してきた。昨季もリーグ戦では32試合に出場し、変わらぬ存在感を見せつけている。
ところが、今季は開幕戦こそスタメン出場を果たしたものの、徐々にベンチスタートが増え、ついにはメンバーに入れないことも珍しくはなくなった。リーグ戦ではここまで14試合に出場し、スタメンは4試合のみ。甲府との天皇杯決勝でも、メンバー外となっていた。
ルヴァンカップ決勝はメンバー入りを果たしたものの、出番は最後まで訪れなかった。
それでもピッチに立てなくとも、青山はベンチから仲間を鼓舞し続けた。ピンチの場面や微妙な判定にはライン際まで歩み寄り声を張り上げ、チャンスの場面ではゴール裏に詰めかけた大観衆をあおる姿も見られた。熱さを胸に秘めながら、いつもクールに振る舞っていたかつての青山を知る身とすれば、驚きの光景である。
本当はピッチに立ちたかった「サポーターのみなさんには、先週も含めてずっと悔しい想いをさせてきたので、今日は一緒に戦っているということを示したかった」
青山の熱い行動は、サポーターだけでなく、ピッチで戦う選手たちにも届いていたに違いない。ミスから失点し、窮地に追い込まれながらも、若き紫の戦士たちは勝利だけを追い求めて走り続けた。
元来、負けず嫌いの男である。相手が誰であろうとも、闘志をむき出しにしたプレーで激しく削りにいく。中村俊輔だろうが、中村憲剛だろうが、小笠原満男だろうが、遠藤保仁だろうが、青山はビッグプレーヤーにも臆することなく立ち向かっていった。
しかし今は、試合に出られない自らの立場を受け入れているように感じる。もちろんピッチに立ちたい想いは誰よりも持っているだろうが、一方で満田をはじめとする年下のチームメイトたちの活躍を誰よりも願っている。そこには、低迷した広島を立て直したスキッベ監督に対する信頼感があるからだろう。
「今のこのチームには、若い子の頑張りがある。そこにベテランもそうだし、中堅の頑張りもある。それは監督が道筋をしっかり作ってくれたから。そこに僕らは乗せてもらっている。僕もそうだし、若手もそう。だから監督に感謝したい」
当然、チームメイトたちも青山をリスペクトしている。長年広島を牽引してきた偉大なる先輩に、まだ手にしたことのないカップを掲げてもらいたいという想いがあったはずだ。
「優勝させてもらおうと思って。みんなの力を思いきり借りて、自分もカップを掲げさせてもらうという想いを持っていました。まさに、そのとおりになりましたね。
(逆転したあとに)最後、出てやろうと思って着替えていたんですけど、もう交代を3回切っていたので、それは無理だったなと(笑)。本当は出たかったですけど、何より勝ちたかった。
僕のためかどうかわからないですけど、僕にはみんなの想いが伝わっていた。ピッチに立っても、立てなくても、あそこでユニホームを着て、みんなで喜べたのはよかった。みんなに感謝したいですね」
優勝カップを大事そうに抱えてキャプテンを務めた2014年は、カップを掲げることは叶わなかった。しかしピッチに立てなかった今回は、待望の瞬間を迎えた。そして試合後のミックスゾーンでも、カップを大事そうに抱えて歩く、青山の姿があった。
自分が勝たせる思いが強すぎ、空回りすることもあった。しかし、今の青山は違う。立場を受け入れ、後輩たちが活躍できる環境を率先して作っていく。
若手が台頭し、ベテランからポジションを奪っていくことで、チームは活性化し、進化していく。2015年のリーグ優勝から7年、青山はそれを待ち続けていた。そして今年、ついにそれが現実のものとなり、タイトル奪取へとつながったのだ。
この日、3バックの一角として不動の存在である塩谷が、終了間際にピッチを退いている。「久しぶりに交代させられた」と悔しがる塩谷に、青山はこう言った。
「俺ら、だから勝てるんだよ」