ローマに所属したことが忘れられている「世界的スター選手7名」

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日本時間では14日深夜に行われるローマダービー。ラツィオにとっては勝てばヨーロッパリーグ出場圏内を確保できる一方、ローマとしては勝たなければ6位以内に入れる可能性を失ってしまうという試合だ。

今回は『Squawka』から「ローマに所属したことが忘れられているスター選手」を特集してみよう。

アドリアーノ

中田英寿、アドリアン・ムトゥとともにパルマで「トリデンテ」を形成し、セリエAで印象的な活躍を見せたブラジル人ストライカー。その強靭な体躯と弾丸のような左足シュートで話題を集め、セレソンにも選出された。

その後インテルでもインパクトを残したものの、その後私生活のトラブルが相次ぎパフォーマンスが低下。うつ病にも悩まされて一度帰国すると、サンパウロとフラメンゴでゴールを量産する活躍を見せて復活を印象づけた。

それを受けて2010年には再び欧州での挑戦を志してローマに加入したものの…結局コンディション不良でプレーすることがままならず、シーズン途中で契約が解除されることになった。

アシュリー・コール

デビューしたアーセナルで世界最高水準の左サイドバックに成長し、2006年からはチェルシーで長くプレーしたアシュリー・コール。素晴らしい攻撃力に安定した守備力まで備え、この世代では比類なき存在であった。

2014年にチェルシーとの契約が満了になった後、彼はフリーエージェントでローマに加入。同クラブ初のイングランド人選手として期待を受けたものの、セリエAではほとんど活躍することができず…。

わずか1年半でチームとの契約を解除することになり、アメリカ・メジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーへと去っていった。

ジョゼップ・グアルディオラ

ヨハン・クライフが率いたバルセロナ、通称「ドリーム・チーム」で中盤の舵取りを握った名プレーメーカー、ジョゼップ・グアルディオラ。彼はベテランになってから国外での経験を求めてイタリアに渡ったが、そこでのキャリアは短命だった。

最初はアンドレア・ピルロを放出したブレシアに加入し、ロベルト・バッジョとともにプレー。しかしドーピング検査で陽性反応を示して長期の出場停止処分を受けるなど苦しいシーズンを経験した。

2002年にローマへとやってきたものの出場機会はわずか4試合にとどまり、臙脂色のユニフォームを着ているグアルディオラの写真は非常に貴重なものとなってしまった。

マルキーニョス

今やパリ・サンジェルマンのキャプテンとしてチャンピオンズリーグ優勝を狙う立場となっているマルキーニョス。2012年にコリンチャンスからローマに加入したとき、彼はまだ10代であった。

ローマでは一握りの試合に出場したのみだったが、そのポテンシャルは疑う余地のないものだった。各国ビッグクラブのスカウトを集め、最終的に2700万ポンドでパリ・サンジェルマンへとすぐに売却されることになった。

リュカ・ディーニュ

現在エヴァートンでプレーしているフランス代表左サイドバックは、リールで大ブレイクした後パリ・サンジェルマンへと移籍。しかしそこでは一貫した出場機会を得られず、2015-16シーズンにローマへとローン移籍することになった。

そのシーズンでのプレーはかなり良いものであったが、それを見逃さなかったバルセロナのスカウトがオファーを送り、ディーニュはカンプ・ノウへと連れて行かれることになった。

トーマス・ヴェルマーレン

名門アヤックスで育成され、イングランド・プレミアリーグのアーセナルでも活躍を見せたベルギー代表DF。しかしながら、2014年に移籍したバルセロナでは度重なる怪我によって出場がままならず、2シーズンの間ほとんどプレーできなかった。

2016-17シーズンには復活を期してローマへとローン移籍を決断するが、結局わずか9試合の出場と期待を大きく裏切り、そしてバルセロナへと戻っていった。現在はもちろんヴィッセル神戸でプレー。

ガブリエル・エインセ

アルゼンチン代表の「闘将」DFは、パリ・サンジェルマンとマンチェスター・ユナイテッドで活躍し、そしてレアル・マドリーとマルセイユでも実績を作った。センターバックもサイドバックもこなせる応用力に加え、強烈なキャプテンシーも備えていた。

【写真】どっちが変?ユナイテッドvsローマ 「奇妙な背番号」をつけた10人

マルセイユを契約満了で退団した後、なんとフリーでローマへの移籍を決意。レギュラーとして出場するも1シーズンで契約が解除され、母国のニューウェルス・オールドボーイズに移籍している。現在はMLSのアトランタ・ユナイテッドで監督。