テレビドラマの人気ですっかり定着し、今もトレンドワードになっている「バイプレーヤー(脇役)」。サッカーの世界にも、チームになくてはならない名脇役がいる。今回は日本代表で活躍した、とっておきのバイプレーヤーを紹介する。

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守備的ポジションならどこでもプレーした今野泰幸

献身的守備で「バイプレーヤー」を体現

今野泰幸 
MF/国際Aマッチ93試合出場4得点(2005−17年)

 抜群のボール奪取能力を生かした、献身的な守備......。まさに「バイプレーヤー」という言葉を体現したような選手だった。

 ボランチでも、センターバックでも、サイドバックでも、守備的なポジションならどこでもこなし、暑さも連戦もものともせずコンスタントに力を発揮して、日本代表でもガンバ大阪でも天才的ゲームメーカーの遠藤保仁を支えつづけた。

 謙虚な性格で知られ、「コンちゃん」と呼ばれて愛され、「いじられキャラ」として若手選手からも親しまれた。

 そんな今野だが、面白いのは得点場面に突然現われて"主役"となってしまうプレーがあることだ。

 2005年のJリーグ最終節ではFC東京の一員として「勝てば初優勝決定」というセレッソ大阪と対戦。アディショナルタイムに同点ゴールを決めてC大阪の"夢"を打ち砕いた。

 日本代表でも、2012年のフランス戦では自陣から50メートル以上のロングドリブルで決勝点をお膳立てして、日本に"奇跡の勝利"をもたらした姿が忘れられない。


豊富な運動量とクロスで、日本代表を支えた駒野友一

多くの監督に使われたクロス職人

駒野友一 
DF/国際Aマッチ78試合出場1得点(2005−14年)

「クロスの職人」とでも言おうか。守備網を深くえぐる強いクロスは、相手に脅威を与えつづけた。

 右サイドバックを主戦場としていたが、左サイドも難なくこなし、さらに左右のウイングバックでもプレーした。「利き足は右だが手は左利き」というあたりに左右でのプレーを同じようにこなせる秘密があるのだろう。

 豊富な運動量も武器だったが、何よりもどちらのサイドからでもクロスの質がまったく変わらないのが持ち味。

 同時代をプレーしたサイドバックには、加地亮や長友佑都、内田篤人など多くのライバルがいたにも関わらず、多くの監督が駒野を招集しつづけたのも、監督にとって「計算のできる選手」だったからだ。

 真面目な性格と「いじられキャラ」で、チームメイトとの関係性も良好だった。2010年の南アフリカW杯で日本代表はラウンド16でパラグアイと対戦。PK戦では駒野がクロスバーに当てて失敗。日本敗退の原因となってしまったが、その後もPK戦になると臆することなくキッカーを務めていた。


右サイドで、誰とでも見事な連携を見せた内田篤人

右サイドで抜群のコンビネーションを引き出した

内田篤人 
DF/国際Aマッチ74試合出場2得点(2008−15年)

 甘いマスクで人気を集めたウッチーを「バイプレーヤー」と呼ぶべきか疑問にも思うが、常にチームのことを考えてプレーした選手だったのはたしかだ。

 サイドバックとして、ドリブルでボールを前に運ぶのがうまい選手で、右サイドでの「主役」にもなれる存在だったが、右サイドハーフ(SH)の選手の特徴をしっかりと引き出してプレーすることができた。

 ドイツ・ブンデスリーガのシャルケでもチームの中心として活躍したが、右SHのジェフェルソン・ファルファンとのコンビネーションは抜群だった。

 日本代表でも何人もの選手と右サイドでコンビを組んだが、そのひとりが本田圭佑だった。前線でボールを収めてポイントをつくる本田との関係でも、内田はたちまちのうちに良好な関係を築きあげた。

 度重なるケガに泣かされた内田は、昨年引退を表明。その潔い姿が彼の誠実さを改めて浮き彫りにした。まだ、32歳の内田。もし現役をつづけていたとしたら、右サイドで久保建英とどんなコンビを組んだだろうか。


数多くの主役の選手たちと、コンビを組んだ福西崇史

強烈な個性で「バイプレーヤー」の役割を務めた

福西崇史 
MF/国際Aマッチ64試合出場7得点(1996−2006年)

 優れた身体能力を生かした空中戦が福西の見せ場だった。整ったマスクも含めて"スター性"を感じさせた選手。ボランチで守備的な役割を果たした姿が目に焼き付いているが、実は攻撃的なセンスを併せ持つ万能タイプのMFだった。

「バイプレーヤー」という印象が強いのは、彼がプレーしたチームが並みのチームではなかったからだ。

 福西が現役当時のジュビロ磐田はまさに"日本版銀河系"だった。緻密なパスワークで中盤を組み立てる名波浩を中心に、感性溢れるパッサーの藤田俊哉や、カバーリング能力に優れた服部年宏などの多彩な顔触れ。福西の入団当時にはブラジル代表主将のドゥンガまで在籍していた。

◆中東の地で、なぜ福西崇史は中田英寿と言い争ったのか>>

 日本代表では攻撃への志向が強い中田英寿とボランチを組んだので、福西はバランサーとしての役割を要求された。磐田のようなスター軍団のなかで、あるいは中田と組んで「バイプレーヤー」としての役割を果たすには、福西くらいの強烈な個性を持つ選手でなくては務まらなかったことだろう。


W杯予選で大活躍し、日本の初出場に貢献した北澤豪 photo by AFLO

日本をW杯初出場へ引っ張った

北澤 豪 
MF/国際Aマッチ58試合出場3得点(1991−99年)

 日本代表のピンチを救った「バイプレーヤー」である。

 1997年秋、日本代表は翌年行なわれるフランスW杯最終予選を戦っていた。2002年大会の自国開催を控えて「予選突破」は至上命題だったが、日本代表は苦戦の連続。アウェーのカザフスタン戦が引き分けに終わると加茂周監督が解任され、コーチだった岡田武史が監督に就任した。

 遠征を終えて帰国した岡田は、新たに北澤をメンバーに加えてチームを立て直し、アジアの第三代表決定戦でイランを破ってワールドカップ出場を決めた。豊富な運動量を誇る北澤が、中盤のダイナモとして停滞気味だったチームに勢いを与えたのだ。

 そして、沈滞気味だったチームに明るさをもたらしたのも、「元気」を前面に押し出す北澤の人間性だった。

 当時、ある試合の前日練習を取材に行った時、わざわざ歩み寄ってきた北澤が僕の腕をつかんで「後藤さん、大丈夫です。やりますよ」と力強く語った一言を、僕はいまだに忘れることができない。

<名バイプレーヤーの共通項は、優れた献身性と人間性>

「バイプレーヤー」としてピッチ上で要求されるのは、周囲の選手との関係性だ。

 強烈なエゴを発揮する「主役」たちと良好な関係を築き、彼らがその才能を発揮できるようにサポートする。そして、重要なのはたった一度のスーパープレーではなく、どんな状況のなかでも常に一定のパフォーマンスを発揮することだ。

「計算できる選手であること」。それこそが、監督が「バイプレーヤー」に対して求めるところだろう。5人の選手を取り上げたが、いずれも常にチームのためを思って全力を尽くす献身性を持っている。そして、チームメイトと良い関係性を築き上げる誠実な人間性を持っている点も共通している。

「主役」を張る選手は「周囲にどう思われようと結果を出せばいい」という"オレ様キャラ"でもいいのだが、「バイプレーヤー」はキャラクターとしては様々であっても、誰にでも好かれ、誰からも信頼される人間性を持つことが必須条件のように思える。