SNS時代の「友だち」のあり方。コロナ禍を経て思うこと<暮らしっく>
作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。緊急事態宣言が解除され、少しずつ友だちに会えるようになった久美子さんが、ふと考えた「友だち」の定義について、つづってくれました。
●友だちの定義ってなに?そう聞かれて考えてみた
やっと、少しずつ人に会えるようになって嬉しい。会議も友だちとの会話も、オンラインが可能になった今、人に直接会う時間がとても貴重だと気づく。と同時に一人の時間もやはり大切なんだとも思う。
友だちと会うときは、私の家に来てもらって話すか、ピクニックのような形で外を歩きながらとか、緑道のベンチに座って話したりする。とくに外で会うと、悪い方向に話が進まないのでいい気がする。流れる空気、景色、人々、さまざまな地球上の動きのなかで話すことで、凝り固まった自分を解き放ってくれる。
先日、友だちが家に人生相談にやってきた。ずっと同じ悩みでぐるぐるしているみたいだ。
「ほかの友だちに相談したら、こう言ってくれたんだ」
と言う。私と夫は延々と彼女の話を聞き続ける。結局は君が決めることなのだから、いろんな人に意見を求めても堂々巡りなのだと気づいた方がいいけど、悩んでいるとき人は気づかない。グーグルじゃないので、だれに聞いても確実な正解はない。いやグーグルで検索しても人生の行き先は出てこない。
「ところでさ、女子の『友だち』の定義ってなんなの?」
と、しびれをきかせた夫が言った。彼女がさっきから連発する「友だちが」という言葉ほど頼りないものはないと言うことらしかった。
私と彼女は、「友だちは友だちだよ」と意味不明な言い分で反論したが、はて…確かに「友だち」の定義はなんだろう。高校時代の友だち、社会人になってからの友だち、ママ友などいろいろありそうだが、私にとっての友だちはなんだろう?
●私をここまで導き出してくれた存在って?
30代も後半になって、自分の悩みを人に相談することがほとんどなくなったし、彼女以外からは相談を受けることもなくなった。自分で時間をかけてじっくりと導き出すほかないなと、これまでの人生でわかったからかもしれない。
それに時間は有限だ。子育て中の友だち、仕事に邁進する友だち、趣味に没頭する友だち、それぞれがそれぞれのなにかに向き合っているから、学生の頃のように条件が同じという友人はいないのだ。久々に会ったときに「こんなことがあってね」と報告するくらいかもしれない。
それでも、どうしてもというときは母や夫に相談することはある。結局は自分のなかにもう答えはあって、それを導き出すための呼び水のようなものなんだけれど。
私は、数日間「友だち」というものについて考えた。それは夫婦の関係とも似ていると思った。私にとってのそれらは、許し合い慰め合うだけでなく、互いに育て合う存在だということだった。高め合うというとなんだか鼻につくので、育て合うという関係性。私は心の日記をつけてみることを彼女に提案した。それから、今読むべき本2冊を自分の本棚からセレクトして貸した。全然知らないだれかの言葉や体験の方が響くことがあるからだ。
考えると、私は学生の頃からどちらかというと人に相談してこなかった。子どもの頃から私はすでに自分で決めて事後報告だったと母は言っていた。じゃあ自分ですべて考えて導き出していたのか? いやそんなことはない、本や音楽が友だちであり先生だったのかもしれない。
オアシスのアルバムに『Standing on the shoulder of the Giants』というのがある。直訳すると「巨人の肩の上に立つ」ということ。元々は12世紀のフランスの哲学者の言葉が元になっているそうだ。巨人とは過去の偉人たちのこと。私たちと同じように悩みさまざまな実験や失敗を繰り返し、途中までつくっては次の世代にバトンを渡し、またつくりまた渡し、そうして現代がつくられてきた。ずっとゼロから始めていては、何十回人生を繰り返しても足りないだろう。私たちはここまで積み上げてくれた人たちの歴史の大きな大きな肩の上にいる。そして私たちもよりいい方に改良をして次の世代にバトンを渡す。
それをいちばん身近に教えてくれたのが祖父母の存在であり、本だったんじゃないかと思う。祖父母はもはや身近な伝記だった。そして本は祖父母さえも知らない世界を教えてくれた。それらは時に、私を緑道のベンチに誘ってくれ、心にすーっと風を送り込んでくれるものだった。
●SNS時代の友だちのあり方
コロナ禍で多くの人がSNSと一緒に部屋にこもってしまった数か月でもあっただろう。人々の心の風通しは緑道のベンチの真逆の状態だったと思う。若い命が正体のない悪意で握りつぶされたことはあまりにも悲しかったし、これまでの犠牲者を思うと、やっと今規制されるのか、遅いだろ…とも思った。
若ければ若いほど魂はやわらかく無垢で、刃はどこまでも深く突き刺さる。私も若い頃にそういう匿名の悪口に魂を突き刺された経験がある。相手に会えたなら、なんだこんな奴が言っていたのかと思えるけど、相手が見えないというのがどんどん想像を膨らませて、心を破滅に追い込む。
年を経て、今はそういうものに対し鎧を着けるすべを知ったから流せるようになったが、あの日の傷は残り、それらが心を固くしてしまったのだとも思う。
拾いに行った梅の外見はきれいなのに、たった一つの虫食い穴を掘っていくとやわらかい部分はぐちゃぐちゃに食べられていたことがあった。それを見て心も同じだと思った。外からみたら元気に見えるのに、中は食い荒らされていたりする。本当につらいことってなかなか友だちにも言えなかったりする。バカとは闘うな。そう言っても悩んでいるときには届かないこともある。
私は緑道のベンチに友だちやいろいろな人を誘いたい。ここも、そういうベンチのような場にしたい。まず心に風を通して日光をあてて巣食っている悪い虫を退治していけば、必ず次の解決方法は見つかる。友だちは人間である場合もあるし、動物や本や映画やスポーツや山であってもいいのだから。
作家になって9年。自分の書きたいことを書くだけだと思っているが、そういった何気ない祖父母の言葉や、何気なく手に取った本に私は救われてきたように思うのだ。
【高橋久美子さん】
1982年、愛媛県生まれ。作家・作詞家。近著に、詩画集「今夜 凶暴だから わたし」
(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』
(マイクロマガジン社)。主な著書にエッセイ集「いっぴき」
(ちくま文庫)、絵本「赤い金魚と赤いとうがらし」
(ミルブックス)など。翻訳絵本「おかあさんはね」
(マイクロマガジン社)で、ようちえん絵本大賞受賞。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどアーティストへの歌詞提供も多数。公式HP:んふふのふ
第22回「人と人について」
●友だちの定義ってなに?そう聞かれて考えてみた
やっと、少しずつ人に会えるようになって嬉しい。会議も友だちとの会話も、オンラインが可能になった今、人に直接会う時間がとても貴重だと気づく。と同時に一人の時間もやはり大切なんだとも思う。
友だちと会うときは、私の家に来てもらって話すか、ピクニックのような形で外を歩きながらとか、緑道のベンチに座って話したりする。とくに外で会うと、悪い方向に話が進まないのでいい気がする。流れる空気、景色、人々、さまざまな地球上の動きのなかで話すことで、凝り固まった自分を解き放ってくれる。
先日、友だちが家に人生相談にやってきた。ずっと同じ悩みでぐるぐるしているみたいだ。
「ほかの友だちに相談したら、こう言ってくれたんだ」
と言う。私と夫は延々と彼女の話を聞き続ける。結局は君が決めることなのだから、いろんな人に意見を求めても堂々巡りなのだと気づいた方がいいけど、悩んでいるとき人は気づかない。グーグルじゃないので、だれに聞いても確実な正解はない。いやグーグルで検索しても人生の行き先は出てこない。
「ところでさ、女子の『友だち』の定義ってなんなの?」
と、しびれをきかせた夫が言った。彼女がさっきから連発する「友だちが」という言葉ほど頼りないものはないと言うことらしかった。
私と彼女は、「友だちは友だちだよ」と意味不明な言い分で反論したが、はて…確かに「友だち」の定義はなんだろう。高校時代の友だち、社会人になってからの友だち、ママ友などいろいろありそうだが、私にとっての友だちはなんだろう?
●私をここまで導き出してくれた存在って?
30代も後半になって、自分の悩みを人に相談することがほとんどなくなったし、彼女以外からは相談を受けることもなくなった。自分で時間をかけてじっくりと導き出すほかないなと、これまでの人生でわかったからかもしれない。
それに時間は有限だ。子育て中の友だち、仕事に邁進する友だち、趣味に没頭する友だち、それぞれがそれぞれのなにかに向き合っているから、学生の頃のように条件が同じという友人はいないのだ。久々に会ったときに「こんなことがあってね」と報告するくらいかもしれない。
それでも、どうしてもというときは母や夫に相談することはある。結局は自分のなかにもう答えはあって、それを導き出すための呼び水のようなものなんだけれど。
私は、数日間「友だち」というものについて考えた。それは夫婦の関係とも似ていると思った。私にとってのそれらは、許し合い慰め合うだけでなく、互いに育て合う存在だということだった。高め合うというとなんだか鼻につくので、育て合うという関係性。私は心の日記をつけてみることを彼女に提案した。それから、今読むべき本2冊を自分の本棚からセレクトして貸した。全然知らないだれかの言葉や体験の方が響くことがあるからだ。
考えると、私は学生の頃からどちらかというと人に相談してこなかった。子どもの頃から私はすでに自分で決めて事後報告だったと母は言っていた。じゃあ自分ですべて考えて導き出していたのか? いやそんなことはない、本や音楽が友だちであり先生だったのかもしれない。
オアシスのアルバムに『Standing on the shoulder of the Giants』というのがある。直訳すると「巨人の肩の上に立つ」ということ。元々は12世紀のフランスの哲学者の言葉が元になっているそうだ。巨人とは過去の偉人たちのこと。私たちと同じように悩みさまざまな実験や失敗を繰り返し、途中までつくっては次の世代にバトンを渡し、またつくりまた渡し、そうして現代がつくられてきた。ずっとゼロから始めていては、何十回人生を繰り返しても足りないだろう。私たちはここまで積み上げてくれた人たちの歴史の大きな大きな肩の上にいる。そして私たちもよりいい方に改良をして次の世代にバトンを渡す。
それをいちばん身近に教えてくれたのが祖父母の存在であり、本だったんじゃないかと思う。祖父母はもはや身近な伝記だった。そして本は祖父母さえも知らない世界を教えてくれた。それらは時に、私を緑道のベンチに誘ってくれ、心にすーっと風を送り込んでくれるものだった。
●SNS時代の友だちのあり方
コロナ禍で多くの人がSNSと一緒に部屋にこもってしまった数か月でもあっただろう。人々の心の風通しは緑道のベンチの真逆の状態だったと思う。若い命が正体のない悪意で握りつぶされたことはあまりにも悲しかったし、これまでの犠牲者を思うと、やっと今規制されるのか、遅いだろ…とも思った。
若ければ若いほど魂はやわらかく無垢で、刃はどこまでも深く突き刺さる。私も若い頃にそういう匿名の悪口に魂を突き刺された経験がある。相手に会えたなら、なんだこんな奴が言っていたのかと思えるけど、相手が見えないというのがどんどん想像を膨らませて、心を破滅に追い込む。
年を経て、今はそういうものに対し鎧を着けるすべを知ったから流せるようになったが、あの日の傷は残り、それらが心を固くしてしまったのだとも思う。
拾いに行った梅の外見はきれいなのに、たった一つの虫食い穴を掘っていくとやわらかい部分はぐちゃぐちゃに食べられていたことがあった。それを見て心も同じだと思った。外からみたら元気に見えるのに、中は食い荒らされていたりする。本当につらいことってなかなか友だちにも言えなかったりする。バカとは闘うな。そう言っても悩んでいるときには届かないこともある。
私は緑道のベンチに友だちやいろいろな人を誘いたい。ここも、そういうベンチのような場にしたい。まず心に風を通して日光をあてて巣食っている悪い虫を退治していけば、必ず次の解決方法は見つかる。友だちは人間である場合もあるし、動物や本や映画やスポーツや山であってもいいのだから。
作家になって9年。自分の書きたいことを書くだけだと思っているが、そういった何気ない祖父母の言葉や、何気なく手に取った本に私は救われてきたように思うのだ。
【高橋久美子さん】
1982年、愛媛県生まれ。作家・作詞家。近著に、詩画集「今夜 凶暴だから わたし」
(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』
(マイクロマガジン社)。主な著書にエッセイ集「いっぴき」
(ちくま文庫)、絵本「赤い金魚と赤いとうがらし」
(ミルブックス)など。翻訳絵本「おかあさんはね」
(マイクロマガジン社)で、ようちえん絵本大賞受賞。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどアーティストへの歌詞提供も多数。公式HP:んふふのふ