春の穏やかな陽気だった週末のある日、時間は午前10時頃であっただろうか。3歳の息子の「おもちゃ片付けない問題」を巡り、家庭内イザコザ(=ママが激ギレてテラスへ息子を締め出す)の末に、ご近所の方に虐待の疑いで通報されてしまうという事態が発生した。


「ピンポーン」のチャイムと共に現れた警察官5〜6名+区役所の職員+児童相談所の職員を前に、筆者は瞬時に「……あっ!虐待と勘違いされている!」と状況を判断した。と同時に、通報したご近所の誰かが、我が家に対して抱いたであろう感情に、モヤモヤせざるを得なかった。

■しつけと虐待の線引きはどこに?


言い訳ではなく本当にそうなのであるが、私は、「子どもを傷つける目的」で行動したことはない。今回の我が家のケースで言うと、以下のような顛末であった。

・息子が部屋中におもちゃを散乱させて、遊び終わっても片付けない
・母が穏やかに「お片づけしようね」→息子無視
・母がだんだんキレてきて「片付けなさい」と声を荒げる→息子ニヤニヤ
・母は「あかん。暖簾に腕押しだ」と感じ、【我が家のルール】を執行

【我が家のルール】とは、子どもが親の言うことがまったく頭に入っていかない状況において、一旦、頭を冷やさせるために数分間テラスに締め出して、なぜ締め出されたのか本人に考えてもらう、というもの。アメリカのしつけでよく用いられる「タイムアウト法」(※)をベースとした発想である。
(※)タイムアウト法とは
望ましくない行動を減らすために用いられる行動療法の技法の一つ。人を攻撃するなどの問題行動が起きたとき、一時的にその場から引き離すことで、問題行動を強化する刺激から遠ざける。子供の問題行動への対応策などに用いられる。(出典:コトバンク)

「遊び終わったおもちゃを片付ける」という望ましい生活習慣を身につけてもらうために行った行為ではあるが、警察や児相の職員の方に顛末を説明している最中、なんだか自分が必死に言い訳しているような気分になり、さらにモヤモヤ……。

しかし、最近世間を騒がせている児童虐待死事件も、親本人は「しつけ」のつもりだったと言う。自分の行動が、「しつけ」の範疇なのか、そこから一線を超えて「虐待」になってしまっているのか、自分で気づくことは難しいのかもしれない。筆者自身が、本当の「虐待」をしてしまわない保証はない。

一方で、子どもに望ましい行動を身につけさせる「しつけ」の方も、本当に骨が折れる作業である。ご近所に子どもの泣き声が聞こえないようにするとか、そもそも子どもを泣かせないようにするとか、そんなこと不可能ではないかと感じる。ニヤニヤする子ども(明らかに自分が望ましい行動をとっていないと気づいた上でおちょくっている)の代わりに、親がおもちゃを片付けていたら、しつけが成立せず本末転倒になるのではないか?

その日は、息子の全身状態(衣服の中もチェック)と、家の中の様子もすべて確認された上で、「単なる子どものぐずり」ということでお開きとなったが、私の心の中のモヤモヤはどうしても解消されなかった。

そこで後日、筆者の居住区を管轄する品川児童相談所へ出向き、「しつけと虐待の線引きはどこに?」を詳しくきかせてもらうことにした。



■夫婦喧嘩も虐待?! 衝撃の虐待ガイドライン


対応してくれた児童相談所の職員によると、「子どもに対する不適切な関わり」はすべて虐待の範疇に入ってくるという。「不適切」かどうかの判断は、“常識”のような曖昧な社会的価値観に基づくものではなく、じつはちゃんとした科学的根拠に基づいて決められているのだとか。

例えばこんなものが虐待に当たるという。

●子どもの面前での夫婦喧嘩:
子どもの脳を傷つける作用が証明されているため

●戸外への締め出し:
状況打開を図ろうとする子どもにとってリスクが高いから
(→実際に階下へ転落、連れ去りなどの事件・事故に繋がるケースも多いという)

●「ペシっ」レベルを含む全ての体罰:
言葉によるしつけに比べて、体罰によるしつけの効果は圧倒的に低いということが証明されているため

これらがすべて「虐待」の範疇に含まれてくると言うのであれば……たしかに筆者も虐待してしまっていることになる。(上記の3つはすべてやったことがある)

「もちろん程度がありますし、これをしたらすぐ逮捕、みたいな話ではありません。でも、例えば、赤信号で車が来ていないから渡っちゃう人を警察官が目撃したら、警察官はその人に『ダメですよ』と言わなければならない立場ですよね? 児相職員も同様で、望ましくない行為をしている大人には、『やめてくださいね』と言う声がけをしなければならない立場なんです。」

なるほど、そういうガイドラインなのか。

「夫婦喧嘩は、“してはいけない”と言うことではなくて、子どもの面前でしないように工夫していただきたいんです。例えば、タイムアウト法は夫婦喧嘩にも有効で、どちらかがヒートアップしてきたら、一旦、頭を冷やす時間を取るために席を外し、落ち着いてから話し合うというのが有効です。」

少しホッとした。夫婦喧嘩が子どもに良くないことは薄々知っていたが、虐待ガイドラインでNGとされたら、結婚生活なんて続けられないだろう。良くないことはわかるけど、根性論だけでは片付けられない、「とは言え事情」が絶対に存在するものだ。児相の職員が、「とは言え事情」の部分にも寄り添ってくれたことに、筆者はすごく感動した。

■子どもを泣かせても良いんです


今回筆者は、子どもの泣き声を聞いたご近所の方に通報されたわけであるが、「児相に通報された」という出来事は、正直、筆者にとってはとても不名誉に感じる出来事であった。可能であれば、もう通報されたくない。

「児相に通報されると、皆さんショックを受けられますが、皆さんの子育てを全否定するものではないので、ご安心ください。万に一の発生確率かもしれませんが、本当の虐待を察知するために、社会全体が子どもの泣き声に敏感になることは、むしろ良いことだと思っています。」

児相職員によると、子どもを泣かせること事態が虐待に当たる訳ではないと言う。自制心も発展途上である子どもは、思い通りにいかないことに対して、愚図りで泣くこともあるし、理由なく泣くこともある。逆に、思いっきり泣くとスッキリすることもあるので、ぐずって泣いているのであれば、そのまま泣かせておいて良いんだとか。

なお児相には、「子どもの泣き声がうるさい」と言った類の通報もあるようだが、その通報者の多くは、どうやら子育て期に猛烈サラリーマン生活を送っていたことで子育てのリアルを知らない団塊世代の男性や、子どもがいない世帯が多いと言う。

児相職員が「子どもの泣き声がうるさい」の通報を受けて、現場を確認し、虐待ではなく単なる子供の愚図りと判断した場合は、通報したご本人が結果報告を望んだ場合のみであるが、「子どもの愚図りだったので問題ありませんでした」と連絡して終わるそうだ。もちろん児相職員の業務範疇に、「ご近所との関係性構築のサポート」は入らない。

今回の件は、一保護者としても大変勉強になった。この取材を通じて、虐待について、個々が持つイメージと実際のガイドラインとの間に、少なからず乖離のようなものが存在しているように感じた。

また、虐待ではないにしても、子どもを泣かせることについては、世間体やご近所付き合いの観点からも、筆者はいまだに不安を払拭できない。正解のないグレーな社会の中で、子育てをしていくのは大変なことだと、改めて感じた出来事であった。

森田 亜矢子
コンサルティング会社、リクルートを経て、第一子出産を機にフリーランスに。現在は、Baby&Kids食育講師・マザーズコーチング講師・ライターとして活動中。3才長女と0歳長男の二児のママ。