松山商vs松山聖陵
好投を見せた山本 寛大(松山商)
圧倒的な差を見せ付けられた。個人能力・基本技術・意識レベル。そして1978年の1県1代表制採用以来、27年ぶり2度目となる4県初戦敗退。四国勢の2005年夏の甲子園は、これまで文化的存在であった「高校野球」の意義付けを根底から再考しなければならない結果だけが残された。
それでも次の年代は容赦なくやってくる。8月は愛媛県では東予・中予・南予の地区別、高知県では全県レベルで県高野連主催の「新人戦」が開催される。重い足をマドンナスタジアムへ運ぶと、そこには大きなヒントがあった。 最も目を引いたのは昨年10月に開催された「第9回15U全国Kボール野球秋季大会」の愛媛県選抜メンバーにも選出されている松山商エースの山本 寛大(1年・右投右打・172センチ62キロ・伊予市立伊予中出身)である。
ネット裏の新田スカウティング部隊スピードガンが示したストレートの最速こそ130キロ、持ち球もスライダーとカーブのみ。だが、そのいずれもが低目を突き投球テンポも抜群。内角攻めも全く躊躇ない。
しかもリリースがより前で強く腕を叩けるため、旧チームから不動の4番、新チーム発足後では甲子園出場の明豊(大分)で4番を張った山中 大輝とバッテリーを組んだ宇和島ボーイズ時代以来となる捕手に復帰した稲葉 智也(2年・右投右打・166センチ75キロ)をはじめ、強打が持ち味の松山聖陵打線は攻略の糸口すら5回までつかめなかった。
3点リードをもらって迎えた6回裏には二死二塁から1番・大村 弘稀(2年・中堅手・右投右打・175センチ71キロ・松山市立雄新中出身)左中間エンタイトル二塁打で1点を返されても「気持ちの折れないピッチングをしようとした」山本のペースは乱れず。
優勝を決めた松山商
加えて夏の愛媛大会でも目を引いた打球の右側からスムーズに入る正面守備。この日自己最速となる138キロをマークした松山聖陵エース・アドゥワ 誠(2年・右投右打・195センチ80キロ・熊本中央リトルシニア<熊本>出身)に対し、「インコース低めのスライダーに反応できた」5回表二死一塁から4番・堀尾 晃生(2年・一塁手・右投右打・176センチ73キロ・えひめ西リトルシニア出身)の大会第1号、自身高校通算4本目の2ランに代表される強くコンパクトに振るスイングと併せ、松山商は終始利に叶った野球を展開していた。
「最終回は勝ちを急いだ」と重澤 和史監督も振り返ったように山本がスタミナ切れに陥り、失策・併殺時の判断ミスから2点を失い、あわや松山聖陵に同点へ追い付かれるピンチを招いた点は猛省すべきだが、3年ぶりの新人戦優勝は必然の結果だったといえよう。
「27年ぶりの四国勢初戦敗退は非常に残念な結果。皆さんには野球王国愛媛、野球王国四国復活のため、全力で練習に励んでほしい」
閉会式で岩村 正雄・愛媛県高等学校野球連盟会長がこう挨拶したように「四国勢夏の甲子園勝利」。もはや「全国制覇」以前にこの目標を成し遂げることすら困難であることを認めざるを得ない。
ただし、この日、山本 寛大が見せた投球スタイルはベスト4に入った2001年夏を最後に甲子園から遠ざかる松山商のみならず、愛媛県勢・四国勢に1つの光明となったことは確かである。
(文=寺下 友徳)
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