元中日ドラゴンズ主砲・大豊の壮絶な転落人生
11日放送、TBS「爆報!THEフライデー」では「第2の王貞治・・・元中日大豊の転落人生」と題し、元中日ドラゴンズの主砲で全盛時は年俸1億6千万円プレイヤーでもあった大豊泰明氏の壮絶な転落人生を伝えた。
1989年のドラフト1位で中日に入団すると王氏と同じ一本足打法で人気を博し、本塁打王にも輝いている大豊氏。1990年に女優の古荘弘子と結婚、娘二人に恵まれ、2002年に38歳で現役を引退するも順風満帆の人生を送っているかに見えた。
しかし、引退後に名古屋で中華料理店を開くも、その数年後に妻が突然の心筋梗塞に倒れ、45歳の若さで亡くなった。「メチャクチャショックでした」と振り返った大豊氏、二人の娘のために仕事から家事まで全てをこなし男手一つで育て上げたが、妻の死から4年後、今度は自分に急性骨髄性白血病が発症した。
5年後の生存率が2〜3割と言われる急性骨髄性白血病について「病名を聞いた瞬間、ああ大豊泰昭終わったなと思いました。自分は(余命)3ヶ月か半年しかないと思ってました」という大豊氏だったが、台湾に住む妹の骨髄移植に成功し、退院することができた。それでも、今後は白血病治療の後遺症に悩まされた上、入院している間に中華料理店も傾き、治療費も含め4500万円という多額の借金を抱えるまでになってしまった。
番組のカメラに「どんどんどんどん大豊泰昭のイメージが、顔から手から足から全部変わってしまって」という大豊氏だが、2011年岐阜県に飲食店を再び出すと、現在はその翌年に再婚した百合子さんと店を切り盛りして生活する。もともとは知人で大豊氏の闘病生活を支えた百合子さんは、「調子が悪い時期って治療の過程であるんですけど、そういう時が人間って本当の姿じゃないかなって思うんですけど、とても素直で優しい彼の姿を見た。そういう姿を見てしまうと、この人を守りたいと思いました」と、死と隣り合わせの大豊氏と結婚した理由を明かす。
すると、「穏やかに生きて行きましょう」と声をかける百合子さんに、大豊氏は「百合子がいなかったら大豊もいない。思ったようになかなかなれない自分がいて本当に悔しいけど、心の支えになって下さい」と頭を下げた。
1989年のドラフト1位で中日に入団すると王氏と同じ一本足打法で人気を博し、本塁打王にも輝いている大豊氏。1990年に女優の古荘弘子と結婚、娘二人に恵まれ、2002年に38歳で現役を引退するも順風満帆の人生を送っているかに見えた。
5年後の生存率が2〜3割と言われる急性骨髄性白血病について「病名を聞いた瞬間、ああ大豊泰昭終わったなと思いました。自分は(余命)3ヶ月か半年しかないと思ってました」という大豊氏だったが、台湾に住む妹の骨髄移植に成功し、退院することができた。それでも、今後は白血病治療の後遺症に悩まされた上、入院している間に中華料理店も傾き、治療費も含め4500万円という多額の借金を抱えるまでになってしまった。
番組のカメラに「どんどんどんどん大豊泰昭のイメージが、顔から手から足から全部変わってしまって」という大豊氏だが、2011年岐阜県に飲食店を再び出すと、現在はその翌年に再婚した百合子さんと店を切り盛りして生活する。もともとは知人で大豊氏の闘病生活を支えた百合子さんは、「調子が悪い時期って治療の過程であるんですけど、そういう時が人間って本当の姿じゃないかなって思うんですけど、とても素直で優しい彼の姿を見た。そういう姿を見てしまうと、この人を守りたいと思いました」と、死と隣り合わせの大豊氏と結婚した理由を明かす。
すると、「穏やかに生きて行きましょう」と声をかける百合子さんに、大豊氏は「百合子がいなかったら大豊もいない。思ったようになかなかなれない自分がいて本当に悔しいけど、心の支えになって下さい」と頭を下げた。