■この1年間で急成長を遂げた右サイドバック

6月13日、酒井宏樹のハノーファー移籍が正式に決定した。高い身体能力を有し、183センチというサイドバックとしては規格外の体躯は、外国人選手との激しいフィジカルコンタクトにも屈することはない。

この1年間、酒井の急成長には目を見張るものがあった。2010年のJ2では、わずか9試合に出場しただけのバックアッパーに過ぎなかった。優勝した昨シーズンも開幕戦の清水戦ではスタメンはおろかベンチにすら入れず、メンバー外となっている。しかし、序盤戦に右サイドバックの定位置を確保すると、瞬く間に頭角を現し、今やA代表の右サイドバックの座を内田篤人と争うまでに成長を遂げた。

酒井の最大の特徴は、何と言ってもスピーディーかつダイナミックな攻撃参加と、右足から放たれる鋭利な高速クロスだ。田中順也、北嶋秀朗(現熊本)ら酒井のクロスからゴールを挙げてきたFWは「あのタイミングでクロス上げてくれるとFWとしてはやりやすい。相手はオウンゴールを怖がるので駆け引きがしやすい」と賛辞を惜しまない。確かに相手GKの届かない位置へ、急降下するかのような鋭い弾道は、田中、北嶋の言葉にもあるようにDFにとっては非常に処理がしづらい。

■天性のクロスと、ついて回ったポジショニングの問題

酒井が柏のジュニアユースに加入したのは2003年、彼がまだ中学1年生の時だった。加入当時のポジションは、サイドバックではなく右サイドハーフ。トップチームに上がったばかりの頃、セールスポイントを問われた酒井が「守備よりも攻撃の方が得意です」と答えた理由もそこにある。

「ディフェンスラインの裏へ出て行くタイミングの良さと右足のキックには天性のものがあった。スペースに合わせる感覚、スペースに入ってくる人に合わせるイメージを昔から持っていた」
03年から08年までの6年間、柏のアカデミーで酒井を指導した吉田達磨(現強化部長)はこう解説する。また、アカデミー時代からのチームメイトで、現在は柏のトップチームでプレーする工藤壮人も「酒井はあのクロスをジュニアユースの頃から蹴っていた」と述べている。昔から酒井を知る両者の証言からすれば、あのオーバーラップと高速クロスは近年になって身に付いたものではなく、彼の天性の才能であるという十分な裏付けになるだろう。

クロスと攻撃参加に関して天性のものを持っていた。ただし、そのストロングポイントをトップチームに加入した直後から披露していたかと言われれば、それには疑問符が付く。したがって、あの高速クロスが「もともと持っていた能力」ではなく、「最近になって習得した」との見方がされてしまうのは致し方ない。

柏のアカデミーでプレーしていた酒井には「戦術理解に乏しい」という課題があった。ジュニアユース時代にサイドハーフからサイドバックにポジションをコンバートされ、吉田強化部長は、酒井の攻撃面に関しては「手を加えず、持ち味を生かすようにした」と話す反面、「サイドでのナチュラルな動き、ディフェンダーとして中に絞る動きには課題が多く、主にポジショニングの修正をしていた」と振り返る。

「ユースの頃まで、酒井は良い時と悪い時の差が激しいと感じていました。気持ちを表に出すタイプでもないし、何を考えているのか分からないところもありましたね」
工藤もまた、同僚のかつての姿をそう評した。プレーの波も激しく、最高のプレーを披露したと思えば、次の試合ではポジショニングの悪さが際立ち、途中交代を命ぜられるケースも珍しくはなかった。

■変化の兆しが芽生えたブラジルへの短期留学

おそらく酒井自身、自分のストロングポイントをフルに発揮する術を10代の頃までは知り得なかったのではないだろうか。コンディションの良い時には自然と体が動き、サイドを豪快に切り裂いて存在を発揮できたから問題はなかったが、体の調子、戦術の整理、メンタルが噛み合わなければ、ストロングポイントをどう発揮してよいかが分からない。調子の悪い時はあれこれ思考を巡らしているうちに頭の中がパニックになり、挙句の果てには自分のストロングポイントを出すどころかゲーム自体から消えてしまう。ユース時代、そしてトップチーム加入当初にはそんな雰囲気が感じられた。