サッカー選手本の最右翼、右サイド後方からついに登場!

2011年はサッカー本が大流行の年でした。100万部を突破し、あやうく日本一の本になるところであった「心を整える。」。こんなものがこんなに売れるのかとショックを覚えた「日本男児」。「ブームに便乗すればもうちょっと売れると思った」と担当者も涙をこぼしたであろう「泣いた日」。さらには世界を制した澤穂希さんが、恥じらいもてらいもなく書名・装丁から構成まで堂々とパクってきた「夢をかなえる。」など、次から次に著作が誕生したもの。

そんな中、本とはこうして作るのだ、ゴーストライターに書かせてそれで終わりじゃ面白くないぞ、サッカーの成功を隠れ蓑にして自己啓発本を売りつけるな、そんな力強い宣言をぶち上げたのが内田篤人さん初の著作「僕は自分が見たことしか信じない」。すでに大ヒットを記録している2012年カレンダーと同じく、ふわっと柔らかいウッチーのフォトから始まるこの本は、間違いなく2011年サッカー選手本のナンバーワン。表紙の柔らかさとは裏腹に質実剛健な中身は、まるで内田篤人その人のよう。

一般的サッカー選手本のサイズが新書判なら、ウッチーの著作は約2倍のB5変形判。僕は編集者サイドの気持ちを推測しながら、おそらくはフォトに比重が寄ったフォトエッセイなのだろうと想定していました。しかし、フタを開けてみればエッセイ寄りの本書。一番お客をキャッチできるであろうウッチーセクシーグラビアはギリギリまでそぎ落とされ、そぎ落とした結果「ベッドで半裸」とか「バスタオル姿で乳首」とかズバドンの場面だけが残りました。自室フォトから卒業文集に掲載したウッチーイラスト、同級生女子や番記者などウッチーをよく知る人物たちからのコメントなど、208ページをドロドロにした濃厚なウッチーエキス。僕がオビへの推薦文を書くなら「もうウッチーの情熱大陸は必要ない。この本を読め」とするところです。

そして何より素晴らしいのが、この本は時間を掛けてじっくり作り込まれていること。ゴーストライターを立てて、インタビューを適当に膨らませれば2、3ヶ月で一冊仕上げることは可能です。自己啓発チックな本をアスリートに書かせるような流行も、それが計算しやすく、かつ作りやすいという側面があるのです。二匹目のどじょう以降は「長谷部みたいな感じでいきましょう!」と企画提案すらサボルことが可能な状況です。

その点ウッチーの著作は、「ウッチーの今」をピュアに絞り取ろううと丁寧に熟成されています。構成についても全体的に本人が協力しているのでしょう。面倒臭がりかつ自分の嫌いなモノは嫌いと言ってしまうあの男が、よくぞこうした一冊をまとめ上げたものだと感心すらします。オードリー・ヘップバーンの美貌が「ローマの休日」で永遠に愛されるように、サッカー選手・内田篤人の若き日が「僕は自分が見たことしか信じない」で振り返られる…そんな一冊になるのではないでしょうか。正直、こうした一冊を手掛けた仕事師たちに嫉妬してしまいますね。

ということで、僕も小銭に目を輝かせつつ、内田篤人さん初の著作「僕は自分が見たことしか信じない」をチェックしていきましょう。



◆表紙にダマされるな!本の奥底に隠された情熱と苦悩を感じるんだ!


でかい判型、ウッチーの写真。商売としては、これだけで問題はなかったはず。しかし、本作りのプロたちと、口出しせずにはいられない男の邂逅は、そんな安直な作りを許しませんでした。キュートな笑顔ではなく、苦み走った苛立ちのマスクをカバーにあしらったのも偶然ではないでしょう。ウッチーが体内に宿す毒も含め、すべてを曝け出すという意志表示。全編モザイクなしの一冊がスタートです!





●前書き〜目次

巻頭グラビアで逆立ちをしてみせたウッチー。ペロンとまくれたウッチーのお腹を見ていると、まるでアイスキャンディーのようななめらかさで、僕の舌もペロペロと動き始めます。しかし、この姿勢こそが隠されたメッセージ。「素直に読むな」「期待には応えないぞ」「逆立ちして見ろよ」というウッチーからの宣言。書名の「僕は自分が見たことしか信じない」とはどういうことなのか、壮大な謎掛けはすでに始まっているのです。


●第1章 函南、鹿島、清水東、そして日本代表

まずは少年時代から現在に至るまでをザッと振り返る第1章。ウッチー初心者のみなさんにも、わかりやすく現在に至るまでの足跡を知ってもらえる内容です。「平和だー!」「お母さんありがとうー!」「えっへん」など、ゴーストライターにもウッチーらしい文面を徹底させ、ファンの雰囲気を壊さない配慮を感じます。ゴーストライターは決して悪いモノではありませんが、あくまでも本人が書いたという体裁は守りたいもの。その意味で、この本のスタッフは丁寧な仕事をしており、「絶対にバレないクチパク」と言えるレベルです。

自身の半生を振り返るウッチーの視線は、常に下から注がれます。休みがちの自分のためにノートを取ってくれた女子には「大変だろう」という労いを。鹿島に入団したばかりのウッチーに「2〜3年したらスタメンを取ってもらわないとなぁ」とアドバイスする岩政大樹には「おかげで頑張れました」という感謝を。シャルケへの移籍前の最後の試合で、4-1で勝っている局面からも自分を起用しなかったオズワルド監督には「勝負に徹するとはこういうことか」という感嘆を。

ウッチーの目は相手の素晴らしさを探す能力に長けているのでしょうか。すべてをよいものとして受け止め、自分に吸収する。そんな繰り返しが今に至る道だったことが自然に描き出されます。「屋上から飛び降りようとしたけど鍵が閉まってて止めた」とか、「逃げ出そうとクルマを走らせたけれど3時間したらケツが痛くなったので帰った」とか、精一杯ネガティブな思い出を語ったつもりのくだりもどこかユーモラスなものばかり。楽しくウッチーを学べること請け合いです。


●第2章 サッカー選手に必要な資質〜第3章 男らしく生きたい−内田篤人の人生訓22−

いわゆる自己啓発要素をまとめた第2章。つづく第3章と合わせて水増しすれば、それで十分に一冊まとめられたはず。とにかくウッチーの語る自己啓発的内容は、これまでの同様のものと似ていながらも、一風毛色が変わったものばかり。自分は周りに気を遣える人間でありたいと言いながら、周りに気を遣われるのはイヤなので「辛い」とか「苦しい」とか泣き言は一切言わない、でも自分の素の自分は隠さない…語るごとに複雑になる独特な考えと矛盾。しかし、それは「俺は俺」という人間の大原則を腹の底に据えた男だからこその自然体。

ウッチーの人生訓はさながら、自分の人生をよくするためのポジショントーク。怪我について語るウッチーは特にわかりやすいのですが、「少しくらいの怪我なら休まない」「怪我で休むことでチームに迷惑を掛けたり、周囲に気を遣わせたくない」「自分のポジションを失うのも嫌だ」と言い切ります。一方で実際にプレーできないレベルの怪我をしてしまうと、「これは神様がくれた休みだ!あのままプレーしてたら俺潰れてたよ」と前向きにとらえます。立場や状況が変われば考え方も変わる、そんな柔軟さで常に自分にとって良い方に人生を解釈するのがウッチーの人生訓なのです。

そんなウッチーにしてみれば、他人の人生訓に影響を受けること自体「どうよ?」という感じかもしれませんが、誰かのコピーではない考え・言葉は参考にする価値があるでしょう。「ときには面白がって揚げ足を取られることもあるけれど、これからも自分の言葉を搾り出す」と語るウッチーには、ぜひ「相手にピカチュウはいない」などの独自の言葉を今後も搾り出してもらいたいものです。


●第4章 内田記者しか知らない篤人の話

報知新聞で鹿島番をつとめた内田知宏記者が寄稿した内田評。ウッチーの人柄を感じられるようなエピソードがつづきます。本人が自身のことを語った1〜3章と合わせて読むと、ウッチーの言動は一致し、いつも変わらない「ウッチー」であることが感じられるでしょう。

個人的に気になったのは鹿島アントラーズ時代に通ったという定食屋の話。ひっそりとして見つけづらい定食屋を「隠れ家」として、ひとりの時間を確保していたという話なのですが、その店については仲良しのチームメイトにも決して語らなかったというのです。

シャルケで同僚だったGKノイアーが移籍するとき、ノイアーはウッチーを誘い「ここは俺のお気に入りのアイスクリーム屋なんだ」と、ウッチーに自分の隠れ家を教えたという逸話があります。ウッチーは鹿島を離れるとき、その定食屋を誰にも引き継がなかったのでしょうか。ウッチーならそんな引き継ぎはしないことでしょう。番記者さんには「俺は黒を連想される人間になりたい」と語っているようですが、僕の中のウッチーはすでに「真っ黒」なのです。自分のお気に入りは絶対に他人に教えない、そんなウッチーであってほしいものですね。

↓この章の末にはウッチーのセクシーグラビアを濃縮掲載!
「理想を言えば、サッカーは知らない女の子がいいかな」と女性の好みも披露し、23歳の素顔も見せている。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/12/07/kiji/K20111207002191630.html

1カット目:半裸でベッドで眠るウッチーの腹臥位
2カット目:半裸でベッドで眠るウッチーの後背位
3カット目:半裸でベッドで眠るウッチーの正上位
4カット目:翌朝我に帰り「あんなになるなんて…」と後悔するウッチー
5カット目:朝のシャワーを浴びて第2ラウンドにのぞむ前のウッチー
6カット目:歯磨きをしてキスのとき口臭がしないよう気遣うウッチー

バスタオルの下に、確実にアレと思われる膨らみがある…!

おおよそ「手首から中指の第一関節」程度のサイズなので、14センチ前後か…!

早く自分の目でサイズを確かめたい…!







●第5章 僕はひとりではない

今度は逆にウッチーが周囲の人を語るという企画。扉でノイアーについて語るのを皮切りに、お父さん、お母さん、姉・妹、恩師、小笠原満男、岩政大樹、三浦知良、トレーナー、代理人、アディダスジャパンの担当者、高校時代の仲間…ウッチーが大切に思う人たちへの感謝と尊敬の念がつづられます。そのどれもが印象的なエエ話ばかりで、これだけ膨らませてテレビの特番を構成できそうなほど。

ひとつだけ紹介するなら岩政大樹さんとのエピソードでしょうか。ウッチーが苦しいときに支えとなった言葉をくれた岩政さんへの感謝。シャルケへの移籍が決まりドイツに旅立つ前夜にもらったというそのメールは、今も消さないようにロックしていると言います。文面はあえて紹介しませんが、ウッチーファンなら一度は目を通しておきたいでしょう。何せ、本人愛用の携帯電話の写真込みで掲載されているのですから。

ちなみに、岩政ファン(いないかもしれませんが)にとっても、「熱いメールの中のどうでもいい部分だけ響いてるぜ」「技術とかじゃなく『気持ち』だけ評価されたぞ」「ロッカールームでユニフォームねだったこと蒸し返された」など、ウッチーが語る岩政面白エピソードが必見となっております。まだ小僧っ子のウッチーに「お前にはもう何も言うことはない」と断言してしまう岩政さんを、「岩政の指導力低すぎwww」「もっとないのかよアドバイスwww」「すぐに言うことなくなったwww」などと見守るのも楽しいに違いありません。


●第6章 内田先生から子どもたちへ

長谷部さんほどの説得力はないけれども、という前置きで始まったウッチーから子どもたちへのメッセージ。並んだメッセージは「友だちを大事にしましょう」「お金を大切にしましょう」「おじいちゃん、おばあちゃんを大事にしましょう」などごくごく当たり前、誰もが知っていることばかり。しかし、ウッチーらしさというか、それはすべて経験と体験に紐づいた教え。親や先生に言われて何となく思っていることではなく、自分の経験で「やはりそうなんだ」と納得したものを、体験と合わせてまとめているのです。

ウッチーに憧れているサッカー少年には、ぜひこの章を読んでもらいたい。この章の末尾でウッチー先生は「世間や親への反抗はムダ」と切り捨てています。誰もが人生を歩むうちに納得できることも、ある時期には逆らってみたくなるもの。茶髪にしたり、ワザと制服を着崩したり、親に反抗したり。そうした「反抗」をウッチー先生は無駄な遠回りだよと諭してくれています。ウッチーの言うことなら聞いてもいい、そう思うサッカー少年たちは、この章で無駄な遠回りを避けられるはずです。


●第7章 ルール−僕のこだわりと決めていること−

この章はいわゆる自己啓発ではなく「ジンクス」集。大会ごとに同じ曲を聴きこみ、その曲にその時期の想いを刻みつけて、あとで振り返るときの助けにする。怪我をしないように幼馴染のおじいさんからもらった数珠を身につける。カッコイイから試合では長袖。といった、ウッチーなりの小さなこだわりがまとめられています。「代表の合宿では常にマヤの隣の部屋」なんて腐女子ガクブルのこだわりもありますが、こちらは仲がいいから…ではなく、吉田麻也が持っているWi-Fiの電波を使いたいからだとか。マヤとの会話はいらない、電波だけ持って来い、そんなウッチーのこだわりを感じられるでしょう。

章末には女性観も書かれており「サッカーを知らない良妻賢母と早く結婚したい」なんて願望も。食事を用意してもらいたいなんて甘えた一面も照れずに明かされていました。ゲルゼンキルヘンの自宅を掃除している召使いも、もう少し料理の勉強をしないと、ウッチーが結婚を急いでしまうかもしれませんね。


●第8章 シャルケ04での日々

ドイツ移籍後の近況についてまとめた最終章。自分の半生を振り返り、自分の人生哲学を語ってきたウッチーの今が描かれます。少しとっつきづらいところや、何を考えているかわからない部分も、自身による「ウッチー解説」を読んだあとなら理解しやすいというもの。ドイツに渡ることを決断したときのことや、日々の生活、今ウッチーが頑張れる理由などがスーッと頭に入ってきます。

そしてこの章は、ドイツにきて思う「日本もこうなってほしい」という願望でもあります。サポーターへ、メディアへ、サッカーの周辺にいる人たちへ。自身の経験で感じたドイツの素晴らしさと、逆にこれからも大切にしてほしい日本の素晴らしさをウッチーなりにまとめているのです。そのためにメディアの取材も面倒臭がらずに受けて、しっかりウッチーの今を伝えてもらうようにするそうですよ。


●あとがき〜あとがきのあとがき

本書のタイトルは「僕は自分が見たことしか信じない」ですが、それは経験に基づいて生きている自身の人生哲学でもあり、ファンに対する「自分の目で見て内田篤人を感じてもらいたい、できればわかってほしい、まぁわかってくれなくてもいいけど」という想いなのかもしれません。本書ではときにわかりづらく、ときに生意気だったり不遜だったりする内田篤人を読み解くカギが明かされました。このカギを持って、内田篤人という人物を見つめれば、温かくて人間らしいウッチーの本質に迫れるのかもしれませんね。

あえてひとつ付け加えるなら、ウッチーはもう少し自分自身を鏡で見たほうがいいだろうなと。他人に対する温かい視線、見方を変えればネガティブもポジティブに変えられる独自の解釈力、そうした「ウッチーの目」を自身にも注いだほうがいいだろうと、僕は思います。ことあるごとに繰り返す「俺は弱い」「俺はダメだ」という自己批判も、「しなやかで軽やか」だと解釈することもできるのですから。まぁ、自分自身は自分の目で見ることはできませんから、永遠にウッチーが「俺すげー」な天狗になることはないかもしれませんが。


と、ここまで紹介してきた本書の内容。かなり抑えたつもりだったのですが、相当な長さになってしまいました。大ヒット片づけ本を「リモコンをキレイに並べるとスッキリする」という一言でまとめた僕としては、これほど冗長になったことに若干の不満足もあります。だが、それこそが本書の濃密さの証とも言えるでしょう。「セクシーグラビアはオカズとして物足りなかったですが、内容には満足しました」などのコメントで、アマゾンのレビュー欄を埋め尽くしてやりたいものですね。


澤穂希さんの本は、このくらいの気持ちでゼロから作り直すべきだと思います!