昨夏のブラジルW杯でも戦況に応じた柔軟な采配を披露。アルジェリアをベスト16に導いた。 (C)Getty Images

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 現役時代のヴァイッド・ハリルホジッチは、素晴らしいセンターフォワードだった。ユーゴスラビア(当時)のクラブ「ヴェレジュ・モスタル」のアイドルとしてゴールを量産していたが、当時の同国では28歳まで他国への移籍が認められていなかったため、彼もこの年齢まで待たなければならなかった。
 
 そのためフランスでは、”黄昏時”の彼しか目にすることができなかった。だがナントとパリSGでプレーした6年の間にも、彼は120ゴールを叩き込み、フランスリーグの得点王を二度も獲得。1982-83シーズンには、チームをリーグ優勝に導いている。
 
 やがて現役を引退し、指導者の道に進んだハリルホジッチは、かなり早い段階で選手に突きつける要求の高さと、激昂する姿で知られるようになった。だがこうした振る舞いは、実は胸に秘めたセンシビリティ(感受性)の高さと、旧ユーゴスラビア時代の内戦で負った心の傷を、彼なりのやり方で隠していると言っていいだろう。
 
 だが、カリカチュア(風刺)にまでなった激情型のマネジメントスタイルに、自らが順応することによって、彼は実像まで隠してしまっている。「怒れる厳格な監督」というパブリックイメージとは裏腹に、実際のハリルホジッチはドグマ(教義)にこだわらず、柔軟な思考を持った良い監督だからだ。
 
 彼にドグマは存在しない。自らの手もとに置いた選手たちの持つ力を最大限に活かしながら、チームを作り上げていく。主に採用するシステムは4-4-2、または4-2-3-1だが、これに関しても自分の好みを押し付け、選手たちを強引に当てはめていくようなタイプではない。
 
 指揮官としての彼の強みは、どこかのタイミングで必ずチームが持ち得る最高のパフォーマンスを引き出すことに成功し、それを一定期間持続させられる点だ。逆に弱さは、その期間が必ずしも長続きしないという点である。
 
 その原因が、ハリルホジッチがあまりにも高い要求を突きつけるため、選手たちが心理的について行けなくなってしまうからなのか、それとも選手たちが指揮官の高い要求にしっかりと応えているのに、彼自身がさらに要求のレベルを引き上げてしまうからなのか、どちらかは判然としない。
 ハリルホジッチ自身は常に、「自分にはヨーロッパのビッグクラブの監督になる価値が十分にある」と考えていた。だがここまでのところ、ビッグクラブの会長は誰も、彼に監督の座を託したことがない。
 
 ある日彼は、私たちにこう言ってきたものだった。
「私がレアル・マドリーを率いられるということを、あなた方はなぜ信じないのか?」
 
 ハリルホジッチはスター軍団より、成長途上の選手たちを上手く管理できるタイプだ――我々が議論の末にそう報じた翌日のこと、彼がその記事を知って電話してきたのだ。
 
 ハリルホジッチは指導者となってからの25年の間に、クラブと代表を合わせて12のチームの監督を務めてきた。今回の日本代表監督が、彼にとって13番目の仕事となる。監督を務めていくうえで、彼が常に周囲との”紛争”を求めているのかは分からないが、これまで絶えずそうした出来事があったのも事実だ。
 
 ブラジル・ワールドカップの決勝トーナメント1回戦で、後に優勝するドイツを相手に見事な戦いを見せ、アイコン(聖人像)とさえなったあのアルジェリアでも、ハリルホジッチ監督と同国サッカー連盟会長のラウラ氏との関係は修復不可能な状態だったのである。
 
 こうした点を踏まえると、日本代表監督というのは彼にとって、最適な働き場所であるように思える。
 
 現在の日本代表は、すべてを灰の中から再建しなければならないような壊滅的な状態ではないため、無駄な時間を費やすことなく仕事に取りかかれる。しかもディシプリン(規律)をひとつずつ、忍耐強くチームに植え付けることに必死になる必要もない。アルジェリアと違って、ピッチ外の問題が少ない日本の環境下であれば、彼のチーム作りはよりスムーズに進んでいくのではないだろうか。
 
文:ヴァンサン・デュリュック(『レキップ』紙)
翻訳:結城麻里