2024年8月、南シナ海サビナ礁近海で、フィリピン当局の船(手前)と衝突する中国海警局の船(写真・フィリピン沿岸警備隊提供の動画から、AFP=時事)

石破茂首相が「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」の創設を主張している。得意の安全保障分野におけるかねての持論だ。しかし憲法上の問題が指摘され、日米安保条約や地位協定の見直しに同時に言及していることからアメリカの反発も予想される。

さらなる疑問は、いったいアジアのどの国が参加するのか、という点だ。アジアと看板を掲げながら、アジアの視点が決定的に欠落しており、現況はポエムと言わざるをえない。一介の議員として夢を語るならともかく、宰相として非現実的な構想を打ち出せば、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議などで失笑を買う恐れもある。

「今のウクライナは明日のアジア」とは言うが…

アメリカのシンクタンク「ハドソン研究所」は2024年9月27日、自民党総裁選挙で勝利した石破氏の寄稿をネット上で公開した。首相就任を前提とした掲載である。

石破氏はそのなかで「今のウクライナは明日のアジア。ロシアを中国、ウクライナを台湾に置き換えれば、アジアにNATOのような集団的自衛体制が存在しないため、相互防衛の義務がないため戦争が勃発しやすい状態にある。この状況で中国を西側同盟国が抑止するためにはアジア版NATOの創設が不可欠である」と述べている。

NATOとは北大西洋条約機構のことだ。アメリカと欧州の計32カ国が加盟し、1つの国が攻撃を受ければ、機構全体への攻撃とみなして、集団的自衛権を行使すると定めている。共通の脅威はロシアである。

アジア版の同様の組織ができたとして、日本は憲法9条との兼ね合いから参加は難しいだろう。

2016年施行の安保関連法により、集団的自衛権の行使は可能になったが、日本と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされて国民の生命などに危険が及ぶ存立危機事態となった場合、という条件がある。

NATOと同様の組織をつくり、加盟国のひとつでも攻撃を受けたら戦闘に参加するという積極的な集団的自衛権までも認めたとはとても言えない。

安保はハブ・アンド・スポークから格子状へ

アジアの安全保障環境はこれまで、アメリカを中心にその同盟国である日韓豪フィリピンなどと直接につながるハブ・アンド・スポーク型だったが、バイデン政権となって以降のアメリカは同盟国同士も連携する「格子状」の関係をめざすようになったとされる。

例えば日米韓や日米比が首脳会談で結束を確認する枠組みがそれにあたる。日米豪印の「QUAD」、米英豪の「AUKUS」もその一環ととらえることができる。

背景にはアメリカの軍事力・経済力の相対的な低下と、ロシアによるウクライナ侵略や中東紛争を受け、アジアに資源を集中させることができないアメリカの状況がある。

石破氏は寄稿で、アジア版NATO創設への道のりとして「現在、日本は日米同盟の他、カナダ、オーストラリア、フィリピン、インド、フランス、イギリスと準同盟国関係にある。そこでは「2+2」も開催されるようになり戦略的パートナーシップの面として同盟の水平的展開がみられる。韓国とも日米は安全保障協力を深化させている。

これらの同盟関係を格上げすれば、日米同盟を中核としたハブ・スポークスが成立し、さらにはアジア版NATOにまで将来は発展させることが可能となる」と説明している。

しかしながら現況の「格子状」の枠組みや、石破氏の言う「日米同盟を中核としたハブ・スポークス」と、加盟国すべてが集団的自衛権行使の義務を負うNATOや、そのアジア版との開きは大きいと言わざるをえない。

そもそも日本が呼びかけたところで話に乗るアジアの国があるのか、甚だ疑問だ。よしんばアメリカがオーストラリア、韓国、フィリピンといった同盟国やインド、シンガポール、タイといった「友人」に働きかけたとしても、同調する国は少ないだろう。

どこが加盟してくれるのか

本家NATOはロシアという仮想敵がはっきりしている。これに対してアジア版NATOの設立は「中国を西側諸国が抑止するため」と石破氏の寄稿は説明している。

ロシアと欧米との関係と違って、アジアのほとんどの国の貿易相手国のトップは中国だ。米中対立のなかで中国寄りを鮮明にする国がいくつもある。対立に巻き込まれたくないと考える国はそれ以上に多い。反中国で旗幟を鮮明にしているのは現在、南シナ海の領有権争いを抱えるフィリピンぐらいだ。

そのフィリピンとてドゥテルテ前政権当時は中国寄りの姿勢を示していた。政権が変われば、対中政策も変わりうる。「西側諸国が抑止するため」という論理展開には最初から「アジア」が欠落している。

石破氏が寄稿のなかで挙げたアジアの国はフィリピンとインド、韓国の3カ国に過ぎない。台湾有事や中国の脅威、ロシアと北朝鮮の結託などについては危機感を表明しているものの、南シナ海の紛争勃発の危険性やインドと中国の領土紛争については触れていない。

南シナ海は、中国の公船がフィリピンの艦船に体当たりを繰り返し、負傷者も出る「いまそこにある危機」だ。一触即発の事態が続き、切迫性という点では、台湾有事や北朝鮮の核・ミサイル開発を上回る状況だ。フィリピンと相互防衛条約を結ぶ同盟国アメリカにとっても看過できない事態となっている。

アジア版NATOが創設され、石破氏が言うようにフィリピンとインドが参加したとして、南シナ海や中印国境紛争で日本が当事者として集団的自衛権を発動して参戦する覚悟はあるのだろうか。

安倍首相の「対ASEAN5原則」の二の舞か

石破氏は初の外遊として10月10、11の両日、ラオスで開かれるASEAN首脳会議に出席する意向を9月29日のNHKの番組で示した。その場でアジア版NATO構想について説明するのだろうか。残念ながら、真剣に検討の対象として取り合う首脳はいないだろう。


石破氏の仇敵、安倍晋三元首相は2013年1月、第二次政権発足後初の外遊に東南アジアを選び、対ASEAN外交5原則を発表した。

自由、民主主義、基本的人権、法の支配など普遍的価値の実現をうたったが、その後に起きたタイのクーデターやカンボジアの野党弾圧などについて民主主義や人権、法の支配の観点から大きな声を上げることもなく、この原則を語る日本政府関係者もいつしかいなくなった。ASEAN内でも記憶にとどめる人はほとんどいない。

アジア版NATO構想も安倍5原則に続く掛け声倒れの二の舞になる可能性は大きい。

(柴田 直治 : ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表)