(撮影:梅谷秀司)

写真拡大 (全4枚)


近鉄京都線の小倉駅のすぐ近くに建つニンテンドーミュージアム。花札などを作っていた宇治小倉工場跡地を活用した(撮影:梅谷秀司)

「『どうして任天堂がこんなものを作るんだ』と思われたとしたら、それは正解だ」

京都駅から近鉄京都線に乗ること約20分。最寄りの小倉駅から東側へ歩いていくと、すぐに白とグレーを基調とした四角い建物と薄紫のロゴが見えてくる。セキュリティゲートを通ると、「スーパーマリオ」シリーズでお馴染みの土管やハテナブロックなどのオブジェが出迎える。

10月2日、京都府宇治市に任天堂の資料館「ニンテンドーミュージアム」が開業する。任天堂の代表取締役フェロー、宮本茂氏は開業前の内覧会で報道陣の取材に応じ、冒頭のように語った。

10、11月分のチケットはすでに完売

トランプ・花札の製造などを行っていた任天堂の宇治小倉工場跡地に作られたこの施設。内部は大きく分けて、2つの展示で構成されている。

【写真】「ニンテンドーミュージアム」の外観や内部の様子(13枚)

エントランスの先にあるエスカレーターを上ると、2階は任天堂が発売してきた商品の展示室となっている。祖業の花札や歴代のゲーム機、これまで国内で販売したほぼすべてのゲームソフトなどがずらりと並ぶ。


スクリーンに写るキャラクターを狙う射的ゲーム。最大13人が並んでプレイできる(撮影:梅谷秀司)

1階は、入館時に付与される専用の「コイン」を使って遊べる体験型アトラクションのコーナーだ。

フロア中央にあるのは、床の巨大な画面の上を歩いて遊ぶ百人一首。そしてフロアを囲むように、「ファミコン」などの巨大なコントローラーを2人1組で操作して遊ぶゲームや、1970年代に展開した大型レジャー施設「レーザークレー」を「マリオ」の世界でアレンジした射的ゲームなどが配置されている。

このほか、花札作りや花札遊びを体験できるワークショップも開催しており、限定商品などを販売するショップやカフェも併設している。

入館チケットは事前予約制で、1カ月ごとの抽選。大人は税込3300円と決して安くはないが、すでに10月、11月分は完売した。宮本氏は、「最低でも1日1500〜2000人に来てもらいたい」と話した。

施設内にマリオなどのキャラクターは登場するものの、展示はあくまで商品が中心だ。体験コーナーは、これまで任天堂が生み出してきたゲームや玩具を、現代の技術を使って新たな遊び方で体験することに主眼が置かれている。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどで展開する「スーパー・ニンテンドー・ワールド」のようにIPを全面に打ち出したテーマパークとは一線を画し、商品や遊びを通じて「任天堂」を知ることができる施設となっているのだ。

「そんなもんやめとけ」と言われただろう

任天堂は世界的なエンターテインメント企業でありながら、商品開発の舞台裏などについては積極的に発信してこなかった。「お客さんとは商品を通じてコミュニケーションするとずっと決めてきた。山内(創業家出身の3代目社長・山内溥氏)がいたら(ミュージアムについて)『そんなもんやめとけ』と言うだろう」(宮本氏)。

ではなぜ今、このような施設を作ったのか。


任天堂の代表取締役フェロー、宮本茂氏。マリオやゼルダの生みの親として知られる(撮影:梅谷秀司)

1つには、長年任天堂を支えてきた宇治小倉工場の活用方法や、社内で蓄積された資料の保存方法について検討されていたことがある。

1969年からトランプ・花札の製造やゲーム機の修理業務などを担ってきた宇治小倉工場は、2016年に業務を宇治工場(宇治市槇島町)に移管。その後は倉庫として利用されていたが、近鉄小倉駅周辺の活性化を図る宇治市の意向も後押しとなり、ミュージアムとしてリノベーションすることとなった。

さらに宮本氏がミュージアム開業の狙いとして言及したのが、“任天堂らしい”ものづくりを伝承していくことだ。

実はこのミュージアム、宮本氏が毎年新入社員向けに話している講義の内容が展示のベースとなっている。

ゲーム機で言えば、十字ボタンが生まれたゲーム&ウオッチ、2画面とタッチペンを使うニンテンドーDS、リモコン型コントローラーを振って操作するWiiなど、任天堂は世の中に存在しなかったようなアイデアで新たな遊び方を提案してきた。

「新しいものを作るチャレンジをする一方で、ベースに流れている、家族や遊び、わかりやすさといったコンセプトを守って作っていこうというのが社員に根付いていけば、ずっと新しい任天堂が膨らんでいく」。宮本氏はそう強調する。

ただ、近年はゲームの開発規模が拡大傾向にあり、開発に携わる社員の数も増えている。任天堂の連結従業員数は、ニンテンドースイッチ発売後の7年間だけでも、5166人から7724人へとおよそ1.5倍となった。会社がますます大所帯となり世代交代も進む中で、”任天堂らしい”商品を生み出し続けるためには、過去の開発者たちが商品に込めてきた思いをいかに社員に伝えていくかが課題だった。

宮本氏は、任天堂の商品開発におけるコンセプトを、ミュージアムの展示を通じて一般消費者にも伝えていきたいという。「ゲームの競合や先端技術とは関係ないところにある会社だと思ってもらえるのが大事。(新しい技術を)いちばん適正な売り時が来たときに商品化している歴史が見てもらえると思う」。

スイッチ後継機でも問われる“らしさ”

この任天堂らしさを維持できるかどうか、1つの試金石となるのが、今期中にアナウンスするとしているスイッチの後継機だろう。

2017年3月に発売したスイッチは、テレビにつなぐ据え置き型としても、本体を持ち出して携帯型ゲーム機としても遊べる。多様な遊び方を可能にしたことで大ヒットとなり、今年6月末までの販売台数は1億4000万以上と、歴代最多のニンテンドーDS(1億5402万台)を上回る可能性がある。

スイッチのヒットは、近年の任天堂の成長を支えてきた。2024年3月期の全社業績は売上高1兆6718億円(前期比4.4%増)、営業利益5289億円(同4.9%増)と、2017年3月期から売上高は3.4倍、営業利益は18倍に伸びた。後継機の投入によって、さらなる高成長を導けるかが試される。

中興の祖とされる山内溥氏は「この業界には天国と地獄しかない」とよく語っていたという。新しい遊びを提案し続けることがアイデンティティであると、ミュージアムで改めて示した任天堂。発表が近づく後継機でもその精神が込められているのか、期待が高まる。

(田中 理瑛 : 東洋経済 記者)